『1987、ある闘いの真実』 関係ないなんて言えないよ
2024年12月3日の夜、韓国で戒厳令が発令され、すぐさま野党によってそれが撤回された。日本人にはあまりピンとこないニュースだったが、この戒厳令が発令されて、すぐさま一般市民が国会へ集まって抗議デモをしたり、野党議員が国会の柵を乗り越えて、反対の可決に参加しようとしている姿は衝撃的だった。
韓国は徴兵制度があるので、国会を固めている兵隊たちも、ついこの間まで一般市民だった人たち。あわや市民と軍隊の衝突かと危機感もあったが、兵隊たちもはなから市民を傷つけるつもりなどない様子。なんだか韓国の歴史的な瞬間のようだし、とんでもない事態になっているようだけれど、そこに集まる人たちは冷静という印象を受けた。
デモに集まった人たちも、活動家のような人たちではなく、普通の市政の人々といったい感じ。デモに参加していたおばちゃんが、「もしかしたら殺されるかもしれないけれど、じっとしていられなくてここへ来た」と言っていた。戒厳令なんて絶対にイヤ!という強い意志を感じた。日本人にはない危機感。韓国市民の意識の高さを感じた。
日本ではこのニュースの報道自体も消極的で、隣国での一大事にも関わらず、BBCとか海外のメディアを通さなければニュースが流れてこない。本当に日本のニュースはダメなんだなぁと痛感してしまう。日本のネットでは、この韓国の自体を冷笑する者さえ現れる。韓国は未成熟と嗤う者がいる。はたしてそうなのだろうか。自分の印象では、日本より韓国民の方が、個々が政治に責任を持っている。いざとなったときに一丸となって、悪政に抗議できる判断力と団結力は、今の日本では足元にも及ばない。韓国の政治は極端なので、それに関しては未成熟なのかもしれないが、市民の政治に対する捉え方は真逆だろう。どうしてこうも韓国の人たちはここまで政治に通じているのだろう。
韓国映画がすごいところは、自国の政治的なスキャンダルも赤裸々にエンターテイメント映画にしてしまうところ。そこは実名で実録エンタメ映画をつくってのけるアメリカ映画にも似ている。戒厳令が発令されて、一般市民のデモ隊を虐殺してしまった光州事件は、ソン・ガンホ主演の『タクシー運転手』で描かれている。光州事件が起こったのは1980年。『1987、ある闘いの真実』は、運動家の大学生の拷問死をきっかけに、デモが拡大して軍国政治を打破した経緯を群像劇で描いている。
史実をただ辿っていくとゴリゴリの政治映画になってしまう。実在した人物ばかりではなく、フィクションの登場人物を配することで、作品がわかりやすくなってくる工夫。この作品での架空の人物は、大学生のヨニ。映画の後半から登場する彼女の存在は、多くの韓国人市民の視点に近いことだろう。それに我々海外の観客にも近い語り部となる存在。ヨニの日常は、熱い活動家たちに囲まれながらも、自身はとくに思想を持っているわけではない。とにかく活動家になるなんて危険すぎる。一歩引いた態度で、我関せずのポジションでありたい。ただ、軍国主義の市民への弾圧が強すぎるため、ノンポリを気取ってもいられなくなってくる。独裁政治が生み出す生きづらい社会は、そのままそっとしてもらえない息苦しい社会となっていく。
韓国はエンターテイメント作品を通して、かつての自国の失敗と成功を風化させまいとする流れがある。直接当時を知らない若者たちも、戒厳令なんてまっぴらだと共通認識がある。召集された兵隊たちも、市民に手を出してはならないと暗黙の了解でわかっている。そういった市民たちの間で、確固たるイデアみたいなものが流れてひとつになっている姿はカッコいい。その後の大統領弾劾まで、市民一体で抗議し続けて勝ち得たことは、なんとも誇らしいことだろう。
そういえば韓国の「国民の妹」ことIUも、大統領弾劾を訴えるデモに差し入れをしたというのも有名なエピソード。国民的アイドルが、堂々と政治的な行動ができる。それは市民の成熟でもあるけれど、それだけ韓国の人たちは苦労をし続けていたからだろう。「殺されるかもしれないけど、国会に来た」と言うおばちゃんも、もう軍国主義なんて絶対にイヤだと奮い立ったのだろう。そうした市民たちの信念を築くのに、韓国映画が貢献しているのは確かだろう。
近年の日本の政治映画はなかなか厳しいものがある。実名を使ってはいけないらしいし、実録そのままではまずいらしく、必ず茶番的な大幅脚色されてしまう。ガス抜きのつもりで観に来た映画で、かえってモヤモヤしてしまう。これなら観ない方がいいと、ガッカリしてしまう。
それでもむかしなら、日本映画でも実録映画が熱かった。岡本喜八監督の第二次大戦終了の日を描いた『日本のいちばん長い日』なんて、ドキュメンタリーを観るような臨場感があった。もうそんな熱量は日本映画には存在しないのだろう。それこそNetflixとかBBCとか、海外の製作で、今の日本を描いて欲しいものだ。国内製作では今の日本はタブーが多すぎる。中途半端な作品なら、かえって誤解を生むだけなのでつくらない方がいい。いや、誤解させたいからこそそういった映画がつくられるのかもと邪推してしまう。もうちょっと日本も真摯な態度で実録映画をつくって欲しい。そうしたら間違いなく大ヒットになるだろうに。
『1987、ある闘いの真実』を観ていて、1987年がそれほどむかしではないと愕然となる。1987年は自分も10代。この映画の後半の主人公・ヨニたちは、自分よりほんの少ししか年齢が変わらないお姉さんお兄さん。そんな人たちが、時代に翻弄されている。自分もものごころついている時代にも関わらず、あまりに隣国のニュースに疎すぎる。案外、今もむかしも隣国のニュースは、日本のメディアは消極的なのかもしれない。
でももし自分の推しが兵役中で、最前線に派遣されてしまったらと想像すると、恐ろしくもなるだろう。命令が出て、推しが誰かを殺してしまうなんてこともあり得る。そうなると他人ごととうそぶいてもいられなくなる。
『1987、ある闘いの真実』は、ずいぶん以前から名作と言われていた。いつかは観たいと思っていたが、なかなかテーマが重そうなので鑑賞を先送りにしていた。今回の韓国の戒厳令騒動がきっかけで、もっと韓国の空気感が知りたくなって作品に触れてみた。映画鑑賞のきっかけなんてそんなもの。鬱屈とした展開がずっと続いていくけれど、映画のラストシーンではやっぱり感動してしまう。市民が抗議をして、それが打ち勝っていく姿は美しい。当時も今もデモに参加した人たちは、みな誇らしかったことだろう。
韓国政府に市民が立ち向かった姿を描く映画は他にもいくつかある。これから少しずつそんな映画たちを観ていこう。隣国の近代史、けして他人ごとではない。わかりやすく映画で観せてもらえると、いろんな欺瞞の流れもよくわかる。もちろん映画は商業芸術なので、一概に学術的とは言えない。それでもいろいろと知っていくきっかけには、映画鑑賞はとっかかりやすい。映画を観てただ「おもしろかった」で終わってもいいが、それをきっかけに何かを調べたり学んだりするのはとても有意義なこと。世の中にはより良い社会を目指すための方法例がたくさんある。映画を観て何かを感じて動き出す。そんなエキサイティングな体験を、この映画を通して久しぶりに経験した。
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