『星の子』 愛情からの歪みについて
今、多くの日本中の人たちが気になるニュース、宗教と政治問題。その中でも宗教二世問題は、今まであまり考えられてこなかった。親がやっている宗教を、その子どもがどう受けとめているか。そもそもが、子どもの人権について、真剣に捉えられていなかった。なんとなく子どもは、親に黙って何でも従うことが暗黙の了解となっていた。人権が問われる現代になってやっと、子どもの意志も考えられるようになってきた。こうして世の中の多様性が進むと、創作作品の表現の間口が拡がってくる。斬新な切り口の作品でも、一般的に受け入れやすくなってくる。観客の想像力も、日々成長している。
昔から宗教と政治ネタは、世間話としてタブーとされていた。当然日本のエンターテイメントでも、そのテーマは扱い難い。でもこれは本来、気軽に語り合えたり、作品で描かれてもいい事柄。日常問題を無視してエンタメ作品をつくっても、現実逃避なだけでしらけてしまう。かといって、刺激的なだけのセンセーショナルな作品を観せられたり、社会問題をゴシップ的に羅列した、未調理のはらわたのままみたいな情報を見せつけられるのも、ひじょうに疲れる。せめて情報の整理、作者の意見がないと作品にはならない。無意味に過激なものを見せつけられて、いらぬダメージを受けたくない。そんなものに耐えられるほどの元気は、正直、もうない。
普段日本映画をあまり観ない自分でも、日本の宗教二世問題を描いた『星の子』は気になっていた。国民的天才子役と呼ばれた芦田愛菜さんの主演作。10代の俳優が主役だと、どうしてもアイドル映画になってしまうのだが、本作からはそんな軽いニオイは微塵もしてこない。
芦田愛菜さんといえば、本の虫というのは有名。芦田愛菜さんが天才というのは、メディアが勝手に創り出したイメージではなさそう。悪い響きではあるが、彼女が活字中毒者であるのは間違いない。常に活字を求めている姿は勉強家に見える。実際、天才と呼ばれる人や高学歴の人たちは、たいてい活字中毒者。気がつけば図書館の本をぜんぶ読み尽くしてしまった、なんて話も時々耳にする。ものごころがついて字が読めるようになると、すぐに活字を求める。もちろん意味がわからないものもたくさんある。でも無差別に読書をすることで、自然と多面的な視野が生まれてくる。あちらの本ではダメと書いてあることでも、こちらでは推奨されていたりもする。それでなんとなく物事の道理がわかってしまう。若くして達観してしまうのは当たり前。
芦田愛菜さんを主役にと、作品の企画は数多に来ただろう。『星の子』が、読書家の芦田愛菜さんによって厳選されたのだろうと想像がつく。今村夏子さんの原作小説は、宗教によって壊れていく家族の姿を、普遍的な冷静な文体で描いている。ゴシップ的な派手な表現ではない。すぐそばの市井の人々の生活の一例として描かれる。『星の子』というタイトルからくる、ファンタジーアニメのような響きは、計算されたミスリード。
日本の原作付き映像化作品でありがちなのは、大まかなあらすじこそは同じでも、作品の根幹である、テーマをすぎ変えてしまうものが多いということ。原作映像化作品もにあたって、多くの企業や人が絡んで、いろんな意見が錯綜してしまう。やがて原作の原型をなくした作品が世に出る。原作とはまったく違った、つまらない映像作品の完成。映像化作品は、原作を引き立てるものであって、冒涜してはならない。そうなるくらいなら、そもそも映像化などすべきでない。原作に対する敬意がない作品など観たくない。それは映像化作品も原作も共に不幸になるパターン。
自分は『星の子』は、映画版から観た。どこまで原作に忠実なのか気になって、後から原作小説を読んだ。大森立嗣監督の演出は、原作にとても忠実だった。そういえば、監督の前作『日々是好日』も良かった。原作との大きな違いは、主人公ちひろの家族設定が、二姉妹だったのを三姉妹への変更。それはちひろが幼い時のエピソードを、回想で描かないための映像的テクニック。映像作品での回想シーンは、観客を混乱させやすい。それを回避するためのもの。ただその弊害で、主人公であるちひろ不在の場面も増えてしまう。
原作ではちひろが小学生だった頃のエピソードを、妹が語る。「自分の顔がブサイクすぎて、鏡が見れない」 新興宗教を信仰する両親は、我が子の悩みに教義の中から答えを探そうとする。だから返事ができない。翌日小学校の友だちに同じ相談をすると、即答で返事がくる。両親よりも小学生の友だちのほうがが頼りになる。ちひろの姉妹は、同世代の中でも小柄で、友だちたちが大柄で大人っぽいのも、キャスティングの工夫。この一家が幼く見える。
ちひろが生まれたとき、原因不明の皮膚病になるところから物語は始まる。重苦しそうなイントロに、かなり身構えした。ちひろの父親の同僚から「それは水が悪い」と言われ、あやしい水を渡される。それで赤ん坊のちひろを清めたら、どんどん治ってきた。それがこの家の信仰の始まり。
確かにその水は、ちひろの皮膚に合っていたのかもしれない。でもそれはただ、それだけのこと。奇跡の水ってわけじゃない。きっとちひろのご両親は、なにもかも疲れきって、自分で考えることを諦めてしまったのだろう。信仰によって、ちひろの家がどんどん貧しくなっていくのが憐れ。
洗脳という言葉を聞くと、SFのように人格がまるで別人になってしまう姿を想像してしまう。やはり究極の洗脳は、そこまで暗示にかかってしまうものだろう。でも実際の洗脳は、その人自体は変わることはない。フワーっと自分の耳に優しい言葉にすり寄って、居心地の良い方に閉じこもってしまう心理だろう。
人間は社会の中で生きていく生き物。その社会から逸脱したとしても、やはり人は社会の一員になることを求める。小さなコミュニティになればなるほど、ルールが厳しくなって、極論がまかり通り始める。反社会と呼ばれる社会こそ、社会性が高いという矛盾。弱っている人は、強い言葉に弱い。知らず知らずのうちにのめり込んで、不本意に利他共に攻撃的な考え方を正当化し始める。これの極端なものがカルト。カルトにハマる人に高学歴者が多いのも、視野の偏りを感じる。
一般社会では通用しないけど、ここの社会だけでは「当たり前の常識」という「非常識」は、小さなコミュニティには多くある。それは会社だったり学校だったり、サークルや町内会なんかも当てはまってしまう。ネットのグループなんて言うまでもない。その中にどっぷり浸かれば浸かるほど、客観的視点がなくなっていく。そうなると洗脳はもう始まっている。悲しいのは、自分自身で選んでいる道ということ。実験用に飼い慣らされた動物は、自分から注射を打たれにくるらしい。
人間が社会を求めるのなら、ひとつの場所に深入りしないことが重要。いくつかの違ったコミュニティに属したりして、さまざまなタイプの人たちと関わっていく。SNSだとエコーチェンバーの罠にかかりそうなので信用できない。現実の場に足を動かしていく。それは定食屋とかでもいい。そこで何気なく聞こえてくる世間話のほうが、自分の生活に必要な情報だったり、しっくりくる価値観の内容だったりしてハッとする。メディアに頼るのは危うい。現実社会のラフな意見をたくさん聞いて、自分で考えて判断したい。そもそも日本人は、日常会話が下手なのかもしれない。
『星の子』は、けっして新興宗教を糾弾するような作品ではない。なんらかの信仰を持つ人を、侮辱するようなことは慎重に避けている。小さな家族が壊れていく様を淡々と描いているが、根底に流れているものは、家族愛の気持ち。信じている人が信じているものを、果たして自分も信じられるか。
ここでは新興宗教の善悪は説いていない。親が盲信的になる対象は、たまたま宗教だっただけ。家庭崩壊の原因は、ワーカホリックだったり、趣味にのめり込みすぎたりとさまざまある。宗教だけが問題だとは限らない。のめり込む姿を、他者に無防備に見せてしまうとなめられる。足元をすくわれる。偏見の目でも見られてしまう。ちひろが、憧れの先生からされる理不尽な仕打ちは、「あやしい宗教をやっている子」とレッテル貼りからくるもの。逆に、あちこちからいろいろ言われている、先生という追い詰められた立場の生きづらさも伝わってくる。
そういえば以前テレビで、他人のオーラが見えると言う芸人さんが、MRI検査など受けて専門家に調べてもらっていた。結果、確かにオーラが見えているのが、科学的に証明された。「なにか特別な力なのでしょうか?」と尋ねる芸人さん。医師の返答は、「ただオーラが見えるだけで、特別な意味はありません」と言い切った。芸人さんはがっかりしていたが、なんとも清々しい答えだった。
この『星の子』での信仰宗教は、脱会するのは簡単そうだ。要は本人の意思のみ。そうなると問題は宗教ではなくなってくる。親離れ子離れのきっかけが宗教だっただけ。自我を意識するきっかけとしてはわかりやすい。親の信じるものが、極端な思想だったため社会との壁ができてしまった。親子といえども価値観が同じとは限らない。お互いを尊重しながらも、距離をとっていくことが必要。ことの始まりが愛情ゆえに、この歪みが悲しい。
最初は「これだ」と信じて選んだ道でも、歩んでいるうちに違和感を覚えることもある。そんなときは迷わず軌道修正したほうがいい。何事も答えがひとつしかないということはない。ちひろはきっと厳しい道を選んでいくだろう。でもそれは悪い選択ではなさそう。道を違えることを、両親もきっと理解してくる。人は変えられないけど、自分を変えていく方法はある。殺伐とした世界観にも関わらず、温かい印象が残る映画だった。
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