『日本沈没(1973年)』 そして第2部が始まる
ゴールデンウィークの真っ只中、twitterのトレンドワードに『日本沈没』があがった。NHKBSでまさにその時、放送されていたらしい。我が家にはBS視聴環境がないため、そのタイムラインを眺めながら、放送されている映画のことを想像していた。あとでどこかでレンタルして観てみよう。
探してみると1973年版の『日本沈没』を扱っているレンタル店は少ない。店舗にしても配信にしても、ここ20年間くらいの作品ならば多くの作品を網羅している。でもそれ以前の作品となると、探し当てるのが難しくなる。遠い昔に一度だけ観たあの作品、タイトルもうろ覚えなら、再会できる可能性はほとんどない。失われた映画たちは、記憶の彼方に。個人的な郷愁ならそれもいいが、歴史を読み解く資料でもある映画が、ぞんざいに扱われているのはちと困る。世の中はここ20年間のカルチャー視点しかなく、それ以外はすべてなかったものにもなりかねない。
このコロナ禍で、小松左京さんの作品が再評価されつつある。『復活の日』は有毒ウィルスで人類が滅亡した後の世界が描かれていた。『さよならジュピター』は、映画版の主題歌が『シン・エヴァンゲリオン』に起用されて話題になった。現在の日本の状況に必要なテーマが、小松左京作品の中にある。半世紀前からの警鐘の意味が、2021年の現代になってやっと凡人にも理解できるようになってきた。現実は皮肉にも、作品で描かれている「最悪の状況」に近い状態になってしまった。
『日本沈没』は今までなんども映像化されている。この1973年版の映画は原作のテーマを忠実に継承している。『日本沈没』というセンセーショナルなタイトルから、ほとんどの映像作品はディザスタームービーとして扱われている。映画では物理的に日本は海に沈んでしまう。でも小松左京さんが言いたかった本質はそこだけではない。
逃げ惑う群衆のエキストラさんたちの演技が壮絶。きっと皆戦争体験者なのだろう。怯え叫びながら逃げる姿の容赦のない描写に、現代の観客は戦慄せずにはいられない。酷く残酷な死に方は、現代社会ではファンタジーの向こう側の出来事となりつつある。
災害シーンは特撮を駆使されている。でも、実物で撮影できるものは極力本物を撮影している。ミニチュア特撮は、現代のCG視点で見れば稚拙。でも本物と作り物が同一の世界観で編集されているので、ものすごいパワーが生まれる。たとえミニチュア特撮であっても、観客の想像力でその恐怖は補完できる。映画づくりが特撮班と実写班とで区別される撮影法では、この恐怖のエネルギーは伝わらない。撮れるものは絶対撮る。撮影不可能なもののみ特撮に頼る。そして災害シーンにドキュメンタリー性が生まれる。日本沈没の疑似体験。巨匠キャメラマン・木村大作さんがとらえる臨場感が活きてくる。昔は撮影監督のことをキャメラマンと呼んでいた。カメラマンじゃなくて?
物語の中心的人物で、若き潜水艇操作技師・小野寺役を藤岡弘、さんが演じている。当時は仮面ライダー役から日も浅かっただろう。彼は日本沈没の未曾有の事態の物語に、事実上とくに活躍するわけではない。でもニコニコ爽やかに笑っているだけで、観客はなぜか安心してしまう。スーパーヒーローそのままの存在感。筋肉と笑顔で、大惨事を突っ走る。パニック映画の語り部として、このアイデンティティのないところが、かえって良い。任せられる男だ。理屈や能書きだけでは困難は乗り越えられない。
為政者たちが日本の将来に語り合う場面は考えさせられる。「何もしないほうがいい」と権力者が言う。「地球の意志が日本を無くそうとしている。日本人を絶滅させたいのなら、自然の摂理に従うのも道理なのではないか」と。それでもそれを踏まえた上で、日本人が生き延びる道を探そうと語る。そこでは故郷を失い、世界中に散らばった日本人のその後も踏まえた日本脱出計画案がある。現実社会の政治家が語る「何もしない」とは意味が大きく違う。
国民が一人でも多く救われることに命がけで奔走する首相。最後のギリギリまで救助活動する者。沈みゆく母国の大地と共に、自らも滅びの道を選ぶ者。選ぶ道はそれぞれ。
小松左京さんがこの『日本沈没』を書いたきっかけは戦争体験に基づく。戦時中は国民全員がたとえ一人もいなくなっても、国のために戦えという考えがまかり通った。日本人が一人もいなくなって、その土地だけが残る。それで日本が戦争に勝っても、それは日本と言えるのだろうか。「一億総玉砕」を唱えた時点で、国家としてはもう終わっている。そんな疑問が『日本沈没』に繋がっている。
首脳会議の場面で、地動説によって日本が沈没することをプレゼンする博士が登場する。地球のマントルについて説明する。明らかに他の役者と芝居が異なる。その説明に誇りすら感じる。本物の博士なんじゃないかと思ったら、DVDの特典映像で小松左京さんと対談しているのは、まさにその人だった。東大名誉教授の地球物理学者・竹内均さん。残念ながら小松左京さんも竹内均さんも今は故人。この対談は2003年に収録されたもの。対談でお二人は、「日本には技術力があるから、世界がどんなに不況になっても大丈夫だ」と微笑ましく語り合っている。まさかその後、日本の技術がどんどん世界から追い越されていくとは、ゆめゆめ思わなかっただろう。彼らの描いた日本の未来は、能天気な楽観論となってしまったのがとても皮肉。
日本の陸地が物理的に沈没するかどうかは別として、経済が落ち込んでいることは確かなこと。今後、日本の企業は外資系企業からの合併吸収も相次ぎそうだ。そうなると日本沈没も現実となる。
映画の中で、謎の財界政界の権力者の老人が語る。「世界から見たら日本はまだ幼い。外でいじめられても、四つの島に守られていて、戻って来ればぬくぬくと甘えられる。それがなくなった時に初めて日本人が自立できる」
日本企業の買収が進んでいけば、日本にある企業のほとんどが外資系になる。日本は経済の中心になるのではなく、外資系企業の支店が集まるプラットホームになっていく。そこで遂に、祖国を無くした民族の、真のアイデンティティが問われてくる。
たとえ時の為政者が「何もしない」ことを選んで、その民族が絶えることがあったとしても、最後の最後まで生き延びようとする者は絶対にいる。滅ぶことをさだめられた、悲しき民族であっても、それにあらがう勇気。
原作小説『日本沈没』の下巻の最後には「第1部・完」とある。小松左京さんは第2部をどこまで本気で構想していたかはわからない。難民として、世界中に散り散りになった日本人。その後に思いをはせる。現実の日本の経済の落ち込みは、コロナ禍以前からくすぶっていた。仮にアフターコロナを迎えたとしても、日本経済のダメージは大変なことになる。もう国内完結型の経済思考ではやっていけない。世界に日本がどう取り込まれていくか。現実を見据えた覚悟の決めどき。
どんなに逆境下にあっても、生き抜こうとする力は人間には内在している。生存する生命力。帰るべき故郷の大地が消えたとしても、生き残った民族のアイデンティティは、そう易々とは滅ばない。
この映画を初めて観た幼い頃。流転の旅人となってしまった登場人物たちを、当時は悲しく感じていた。いま、混沌とした2021年の現代からすると、それでも生き残った日本人たちの姿に希望を感じる。『日本沈没』の幻の第2部は、2021年の現代、現実社会でもう始まっている。知らず知らずに我々も、この群像劇の登場人物の一人になっているのかもしれない。
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