ご存知、巨大SNS・Facebookの創始者マーク・ザッカーバーグの自伝映画。

アメリカの凄いところは、実在の人物を実名そのままで、本なり映画なりにしてしまうところ。それも批判的な内容も堂々と表現してしまっている。この後、何本も実在の人物の伝記映画が作られたが、いまいちパッとする作品がなかった。これは伝記映画が当たったのではなく、デビッド・フィンチャーのセンスの良さに由来しているからだろう。音楽の使い方やカメラワークのカッコ良さはフィンチャーならではかと。

映画ではザッカーバーグが女の子に振られた腹いせに立ち上げた悪口サイトが、Facebookの母体とされている。IT関係やマスコミ関係の人は狭い視野で上から目線の人が多い。コミュニケーション能力が希薄といっていいほど。そんな人たちだからこそ、日頃トラブルには事欠かない。当事者は、まったくトラブルが多いなと自分の周りはバカばっかりだとぼやくのだろうが、大抵の災難はその人の性格的問題が引き起こしている。

IT系は日々、幼稚なトラブルが事欠かない。ネットの特性自体がそういった人や事象を集めやすいものなのだろう。この映画でのザッカーバーグのオフィスは、幹部は大音響の音楽をかけて、プールで女の子と遊んでいる。その隣でオペレーターは仕事をしなければいけない。ちょっとでも見たら「仕事しろ!」って怒られる。最悪の仕事環境。つい最近までは、富豪というのは、酸いも甘いも経験して、人間的に深みのあるようなイメージもあったが、ここは本当にこどもの国。本来ならつまはじきにされる別世界。巨額のカネが絡んでくると、子どもの喧嘩も裁判沙汰になる。関わる弁護士のおじさんたちも気の毒になる。そしていちばん気の毒なのはザッカーバーグ本人のように映画は語っている。

本来ならば、いろんな大人達に出会って、いろいろ人生について教わっていく年頃。巨万の富を、器がないまま享受してしまったがゆえ、誰ひとりとして助言者にはなってくれない。実際の宝=財は手に入れたけれど、人生において大切な心の宝を得る事ができなかった。とても哀れな人のように、映画はザッカーバーグをとらえている。

いちばん最初に彼を振った女の子を思う若者らしい感性をかいまみせて映画は幕を閉じる。

成功ってなんだろうと問いかけてくる切ない終わり方が、何とも言えない。