『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』 特別な存在にならないという生き方
世界中の映画ファンの多くが楽しみにしていた『スター・ウォーズ』シリーズの最新作『最後のジェダイ』。なんだかこのシリーズの新作公開とiPhoneの新機種発表は、似たようなお祭り騒ぎになる。不景気な世の中を一瞬忘れさせ、元気にさせてくれる。
自分は『スター・ウォーズ』シリーズは、全作何度も観ている大ファン。毎回新作公開時には大騒ぎしているが、この『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』は、初日公開には観ることが出来なかった。数日遅れて、立川シネマシティで観ることにした。
自分は以前この映画館の近辺に住んでいて、映画を観るといったらこのシネマシティに行くというイメージ。10年以上前の当時から、音響がめちゃくちゃ良くて、同じ映画を別の映画館で観た後にシネマシティで観ると「こんなに音が良いの?」と驚かされていた。
シネマシティは『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』で、さらに音響をブラッシュアップして、「極上爆音上映」とブランド化していき、知る人ぞ知る名館となっていった。会員になればいつでもサービス料金なのも、本数を観る映画ファンには助かる。なんでも最近、スクリーンも貼り直して明るい画面になったとか。しかも3D非対応。そう、実は映画ファンは、高額な特別興行より、良い状態でも安価で映画を観たいもの。要はコスパ。一回に2〜3倍の入場料を払うくらいなら、その額で他の映画を観たり、好きな映画を何度も観直したい。
自分は『スター・ウォーズ』のエピソード1・2・3にあたる『プリクエール三部作』を、この立川シネマシティでの先行オールナイトで観ている。毎回友人で募り、夜中の上映開始まで、ファーストフード店で時間を潰し、「あーでもないこーでもない」と語り合っていた。シリーズを重ねるごとに集まる仲間も減っていき、エピソード3の頃には2人きりでの鑑賞となった。あの頃の仲間とはそれきりになってしまったが、みんな元気にしているだろうか?
今回の『最後のジェダイ』。自分の周りでも先行やら公開日に大勢観に行っていた。みんな偉いのは、鑑賞後誰一人として映画の内容について語らなかったこと。前回の『フォースの覚醒』のときもみな、ネタバレしてこなかった。口がかたい人は信用できる。
今作は事前に映画評論家たちから好評を得ていた。でも逆に、ファンの満足度が著しく低かったのも特徴的。とかくオタクは変化を嫌うもの。こりゃあ新展開が始まったなと、自分も察しがついた。そしてきっと自分はこの『最後のジェダイ』を気に入るだろうとも予感していた。
上映開始。自分の人生において何百回も聞いている『スター・ウォーズ』のオープニング曲。シネマシティの極上爆音は、いままで聞いてきたそのどれよりも迫力のサウンドだった。平日の昼間に行ったにもかかわらず、劇場は大入り。あまりに音が良いので、エンドロールでも離席する人はほとんどない。みな映画に静かに興奮している。
さて、『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』はどうだったかというと、自分は久しぶりに映画を観てワクワクしてしまった。そういえばフィン役のジョン・ボイエガが、映画公開前に「きっと観客の皆さんの予想と真逆の方向にストーリーは進みますよ」なんて言ってたっけ。シリーズ過去作へのオマージュを随所に織り込ませながら、まったく新しい展開に進んでいく。シリーズの定番化してるひな形をどんどんぶち壊していく潔さ。もう先が予測できない。
前作『フォースの覚醒』も自分は大好きだが、あちらは同窓会であり新キャラ紹介に重きを置いていた。スター・ウォーズ的な既視感の集大成だった。そしてこの『最後のジェダイ』で本領発揮した感じ。もしかしたらスター・ウォーズ的な型の破壊だけでなく、綿々と続いたファンタジーのフォーマットをも崩そうとしているのかも知れない。これは世の中が変化していることの証拠だ。
翻れば『プリクエール三部作』を製作していた頃のジョージ・ルーカスが「ファンがうるさくて自由に作品が作れない」とボヤいていたっけ。熱狂的で盲信的なファンは厄介なもの。作家の最大の敵は、お得意さんであるファンだったりもする。作家や作品を殺しかねないのがファン。今回の新シリーズ『シークエル三部作』は、ルーカスという個人経営ではなく、ディズニー帝国の製作。ファンの固執の意見など、跳ね飛ばすくらいの布陣はできているのだろう。これからもいい意味で観客を裏切り続けて欲しい。
新しい登場人物にローズという中華系の女性がでてくる。中国資本におべんちゃらして嫌らしいなと思ったが、このズングリとした、けして美人とは言いがたい人がメインキャストに入ってくるのは、なんとも『シークエル三部作』らしい。ぶちゃいくさんだからこその切なさがある。映画の後半には、観客はローズを好きになってしまう。ファンタジーに美人しか出てこないことへのアンチテーゼ。人種や容姿を越えるのはこのシリーズのいいところ。
ルーク・スカイウォーカーを演じるマーク・ハミル。不摂生が祟ったのか、すっかり悪人ヅラになってしまった。この容姿で神格化されたらイタイな〜と思っていたら、ちゃんと納得のいくキャラクターになっていた。脚本の妙。でも戦うルークはやっぱりカッコいい。もしかしたらCGで化粧してたかも? 古今東西のファンタジーにある、賢者が見込みのある若者にバトンを託すシチュエーションにはやはり胸が踊る。
そして今回のカイロ・レンはサイコー!
そもそも『スター・ウォーズ』は群像劇なんだけど、今回は特にすべての登場人物が魅力的に描かれている。ジェダイであるとかそうでないとか関係ない。いままでジェダイの存在は、究極の善の象徴で、そこへ到達するのが絶対的な目標だった。
映画は時代を伝える鑑。ウェルメイドのような『スター・ウォーズ』でも、ちゃんと世の流れを汲み取って物語は紡がれている。
ジェダイという特別な存在になるのもいい。でも、たとえ特別な存在になれずとも、その置かれた場所で、誰に認められるわけでもなくとも自分しか出来ないことに頑張って取り組むのも大切だと、21世紀のファンタジーのスター・ウォーズは語っている。
自分が選ばれし特別な存在になるということは、その他大勢の人を踏み台にしてしまうことにもなる。英雄になった者たちのその後の人生はみな、幸せなものではなかった。
いままで誰もが特別な存在を夢見て生きてきた。社会も、お前こそが特別な存在になれと、皆にせっついて競争させた。世の中は不正がはびこり、クリーンなまま夢を叶えるのは難しくなってきた。夢に殉ずるのも、本人はいいかもしれないが、周りはたまったものじゃない。大志が抱きづらい世の中では、遠くではなく足元を見つめる能力が問われてくる。
たとえジェダイになれなくとも、それはそれでいい。誰もがジェダイになれるわけではない。フォースは必ずしもジェダイと共にあるとは限らない。血筋などなおのこと関係ない。
しかしまた希望を胸に努力する者には、誰しもジェダイになれる素養が生まれてくる。誰もが特別な存在にはなれないが、誰もが特別な存在になれるという矛盾。映画のラストシーンは、現代に見合うファンタジーとして、そんなことを物語っているようだ。
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