『ダンジョン飯』 健康第一で虚構の彼方へ
『ダンジョン飯』というタイトルはインパクトがありすぎた。『ダンジョン飯』という、なんとも不味そうな飯のイメージ。ダンジョン飯、嗚呼、ダンジョン飯。『メイプル超合金』に匹敵するくらい、奥歯にキーンと痛みが走ってくるネーミング。本屋さんで平積みにされているそのマンガがずっと気になっていた。自分は『ロード・オブ・ザ・リング』のようなファンタジー作品はもともと好き。『ダンジョン飯』が晴れてアニメ化ということで、観てみることにした。
ダンジョンを冒険するというのは、ファンタジーものの定番の展開。この作品では、今までの冒険ファンタジーでそれほど重きを置いていなかった、食事をメインに展開していく。新鮮な感覚。冒険をするにも健康あってのこと。
想像上の生き物である魔物を、退治しては料理する。ことこまかにレシピを紹介してくれる。現実の食材に近いものもある。レシピを説明されるとこちらも真面目に聞いてしまう。でも待って、魔物は実在しない生き物。一生懸命聞いてしまったけれど、それを料理することは、これからも一生あり得ない。嘘なのは始めから分かっている。あまりに上手な嘘をつかれて、ついつい聞き入って納得してしまう。これが作品『ダンジョン飯』の面白さか。
振り返ってみると自分は、料理番組でレシピを紹介されて、美味しそうだなと思ってみても実際につくったことがなかった。結局、なるほどと思ってみても、実践にはなかなか進めない。ならば実在しようがしまいが、あまり関係なくなってくる。料理本やレシピのネット記事ならまだしも、放送などで流れてしまう料理紹介は、あくまで情報でしかない。そのとき聞いていて、なるほどと思ってもそれで終わり。なにか引っ掛かるものがあるとすれば、それは実体験が伴わないうんちくにしかすぎない。
これまでの冒険ものは、根性論で描かれる作品が多かった。でも人は充分な睡眠と、バランスの取れた食事を摂っていなければ、いくら精神論を唱えてみても体や心を壊してしまう。昭和時代の不眠不休で働くことを美徳とする社会はもう終わった。24時間戦えますかのスピリットは、景気がいいときならば成立したかもしれない。働けど働けど一向に楽にならない日本の経済状況下で、そんな無茶な働き方を続けていては、労働者のみならず社会全体が崩壊してしまう。今の日本がそれ。ファンタジー作品もそこに注目していくというのが現代的。昭和時代でも、『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげるさんは「睡眠は大事」といつも言っていた。当時は怠け者を奨励するなと言われていたが、天才の発言はいつも先を見据えている。今まさにファンタジーの世界でも、健康を考えていかなければならなくなってきた。
『ダンジョン飯』に登場するキャラクターたちは、みな想像上の人種ばかり。エルフやドワーフ、ホビットの先祖であるハーフフットも旅の仲間。『ロード・オブ・ザ・リング』で、トールキンが物語に登場させた架空の人種たちが、『ダンジョン飯』にも揃っている。
そもそもファンタジーやSFは、社会風刺の役割を果たしていた。現実社会の問題をそのまま描いてしまうと、いらぬ弾圧を受けてしまう。架空の世界観を通して、作者が本当に言いたいことを忍ばせる。その意図が万人に伝わらなくてもいい。みんなが分かってしまっては、かえって問題が起こってしまう。わかる人だけに伝わって、その人がニヤニヤしてくれればいい。そんな軽い冗談ならまだしも、ときには作者も命懸けのメッセージを後世に残そうとしている場合もある。架空の物語であるフィクションの中にこそ、真実が込められていたりもする。ときとして小説は、バイアスのかかったルポタージュよりもはるかに現実を伝えるメディアだったりする。
いつしかファンタジーはゲームの世界観となっていく。社会風刺的な要素は薄れ、おもしろおかしいただの非現実世界となって、気軽なエンターテイメントのジャンルになっていった。それはそれで世の中が平和な証拠。悪いことではない。ただ、この『ダンジョン飯』からは、そのファンタジーの存在自体すらを茶化しているような、遊び心が伝わってくる。ファンタジーのあげ足を取るというと悪い言い方だけど、ファンタジーから一歩引いたメタファンタジーと言ってもいい。
メタSFといえば、スタニスワフ・レムの小説『ソラリス』がすぐ浮かぶ。小説の前半、謎の惑星ソラリスに主人公が向かう宇宙の旅路で、主人公が惑星ソラリスについての書物を読む。そこにはあたかも惑星ソラリスが実在するかのような、学術的内容が展開されている。読者はもう、宇宙のどこかに惑星ソラリスがあるんじゃないかと思えてきてしまう。その後、主人公が惑星ソラリスに着いたら、行きに読んでいた学術書の内容と実在のソラリスとはまったく別物だと実感させられる。まさに机上の空論。このブラックユーモアは、いかに惑星ソラリスの学術部分の文章にリアリティを出すかにかかってくる。ちなみにこのメタSF要素は、タルコフスキー監督の映画版では割愛されている。
『ダンジョン飯』のエピソードで、シェイプシフターとの邂逅のくだりで大爆笑してしまった。シェイプシフターという魔物は、その名の通りモノマネをして仲間に紛れ込んで、バレなければ実態を食べてなりすますという気色の悪い攻撃をしてくる。旅の仲間の思考を読み込んでモノマネをするので、同じ人が旅の仲間の数だけ増えてくる。でも、人それぞれその人への印象が違うものなので、同じ人が数人いても個性が微妙に出てくる。人によっては本物と偽物が極端に違ってくる。中には本物よりも綺麗な偽物もいたりする。きっと旅の仲間の誰かが、その人物に好意的な感情を持っているので美化されているのだろう。人の思い込みと現実との乖離の面白さ。果たしてどれが真実なのか。
記憶の中にある人物を具現化される。そのエピソードは『ソラリス』の中にもある。主人公の今は亡き妻が、ソラリスの意思によって表出する。死んだはずの最愛の人がもし再び眼前に現れたら? レムの小説の最大の見せ場でもある。タルコフスキーの映画版では、主人公は妻への想いよりも、老いた父親の膝に縋り付くことを選んだ。原作者のレムは、タルコフスキーに「あいつはバカだ!」と激怒したらしい。それでもタルコフスキーの映画版も、いまでは名作SFと認知されている。
『ダンジョン飯』の爽快なところは、この現実検討力の風刺を、完全にドタバタコメディにしてしまったところ。不思議な題材を眉間に皺を寄せながら語ることはいくらでもできる。でもここでは完全に茶化しきって、笑いの方へ運んでいく。なんとも知的な遊び。かわいい絵柄で、小難しいことを笑い飛ばしている。
ファンタジーやSFというと、ASD傾向のある理責めおじさん嗜好のような偏見がある。でも『ダンジョン飯』の作者は女性。絵のタッチも女の子っぽい。コンプライアンスが厳しい今の世の中で「女の子らしい感性」などと言ったらカドが立ちそうだが、この厳しい現実をかわいい感性で捉えていく感性は、今の世の中必要な処世術。この「かわいらしい感性」は、男性だって見習う方がいい。頭がいいのにかわいい。ものごと、かわいいに勝るものはない。作者の九井諒子さん、恐るべし!
『ダンジョン飯』の冒頭の数回は、架空の生物の調理方法を事細かに描写することがストーリーのメインだった。このままずっと最後までこの調子で行くのかと思っていた。既存のアニメにはない展開なので、それはそれでクレージーで良いと思っていた。でも物語が先に進んでいくにつれて、ファンタジーというジャンルそのものも風刺しているのが分かってくる。海外でもファンの多いこの作品。王道でありながら、かなりユニーク。
きっと作者の分身は、エルフの魔法使いマルシルなのではないかと思う。ドワーフのセンシが振る舞う魔物飯に、いつもこわごわ食している。他の旅の仲間は、すぐに環境に慣れてしまうので、リアクションが参考にならない。マルシルは、観客にも一番近い存在でもある。でもマルシルは優秀な魔法使いで才女。自分はマルシルとセンシがかなり推しキャラ。
ファンタジーものもすっかり手垢まみれになっているところ、こんな切り口もあったのかと笑ってしまう。複雑な世界観の設定にも関わらず、コメディで笑わせる。知性とはユーモアとともにあるものなのだと実感している。このままなんとなく旅を続けて行きたいが、そうもいかないのだろう。物語にはいつも終わりがあるのだから。
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