『マルホランド・ドライブ』 整理整頓された悪夢
映画監督のデヴィッド・リンチが亡くなった。自分が小学生の頃、この監督の出世作である『エレファント・マン』をテレビ観て衝撃を受けた。劇場公開時、泣ける感動作と言われていた。でも自分にはこの映画の泣きどころがよくわからずにいた。泣く映画というよりはホラーに近い。モノクロの映像美の方が印象に残った。袋を被ったエレファント・マンが、好奇の民衆に追われて逃げ惑う不条理な場面。恐ろしく悲惨な場面なのに、映像は綺麗だった。それがなおさら恐ろしかった。
その後からデヴィッド・リンチの長編一作目の『イレイザーヘッド』が日本でも公開された。原点に遡ってみればすぐわかる。『エレファント・マン』は、けして感動作などではなかった。数年後、テレビシリーズの『ツイン・ピークス』が世界的な大ヒットとなる。当時、自分も面白がって観ていたけれど、なんだかアングラっぽいデヴィッド・リンチが、どんどんメジャーになっていくような寂しさを感じていた。
デヴィッド・リンチが亡くなったのを機に、彼の作品のどれかを観ようと思った。映画『マルホランド・ドライブ』は、自分はすっかり観たつもりになっていた。映画を観始めると、『ツイン・ピークス』に似ているけれど、まったく自分の知らない場面ばかり。自分の中では『ロスト・ハイウェイ』以降のデヴィッド・リンチは、どれも同一作品のように思えていたのかもしれない。奇しくもデヴィッド・リンチの長編最終作となった『インランド・エンパイア』は、上映時間が3時間もあることにビビって観ないでいたのは確か。とはいえ意外と観たつもりで、実は観ていない古い作品というものは多いもの。
デヴィッド・リンチの作風といえば、悪夢的と言う言葉がしっくりくる。はたしてストーリーらしいものが存在するのかしないのかよくわからない。デヴィッド・リンチに質問したら、この不可解な映画の講釈を丁寧にしてくれそう。むしろすべてのシーンに、細かい意味があったら呆れてしまうかもしれない。この映画全編に漂っている不穏な雰囲気に、何某かの説明をつけてしまうのは、なんだか野暮な感じもしてしまう。むしろそんな謎解き、めんどくさい。
この映画が公開されたのは2001年。今でこそネットで作品を考察するのが流行っているが、『マルホランド・ドライブ』はそのはしりだったのだろう。訳がわからないものを見せられて、なんとか意味を見出そうとするのは人間の本能のようなもの。不思議な映画をつくった監督が、「無意味に見えるものも意味があるよ」なんて言ってもらえると、安心してしまう観客も多いのだろう。だけど自分は、このわけのわからない映画を不可解なままにしておきたい気がする。
デヴィッド・リンチ監督の映画は、支離滅裂なようでいても、生理的にはスジが通っている。何かの場面にボーっと浮かび上がる人の顔。それがフェイドアウトしていく。しばらく経つとまたその顔がフェイドインして浮かび上がってくる。それが何度も何度も繰り返される。なんでこの人、何度も浮かび上がってくるの。しつこい。意味もなくしつこいので、笑えてきてしまう。でもこのタイミング、なんとなく規則性がある。消えては浮かんでくる人の顔が、絶妙なタイミングでやってくる。やっぱり出てきたと、嬉しくなってくる。リンチ・タイミング。
『マルホランド・ドライブ』の冒頭、浮かんでは消え、また浮かんでくる満面の笑顔の主人公と老夫婦。なにこれ。自分はもうそこだけでこの映画が好きになっていた。この繰り返されるフェイドインとフェイドアウトも、リンチ独特のリズム。しつこさにイラっとくる少し手前で消えたり現れたりしてくる。感覚的なのか計算しているのか、神経を刺激するちょうどいい塩梅の時間感覚。きっとこの感覚は、他の人が真似しても別ものになってくるような気がする。初めて観る『マルホランド・ドライブ』も、なんとなく既視感があるのは、そんなリンチの息づかいが反映されているからなのかもしれない。
とにかく自分は冒頭に出てくる老夫婦、とくにおばあちゃんがいちばん気に入ってしまった。目を向いてめっちゃ笑ってる。ナオミ・ワッツ演じる主人公に寄り添うおばあちゃん。親戚だとばかり思っていたら、偶然主人公の隣席に座っていただけの一期一会の老夫婦とか。いや、ここからリンチの悪夢世界が始まっている。意味がないはずがない。ちなみにクライマックスの幻覚場面でも、この老夫婦がちっちゃくなって再登場する。やっぱりリンチ監督は、この老夫婦が好きだったのね。
デヴィッド・リンチの好みの人はわかりやすい。登場しただけで、この人はリンチ映画の人だなとすぐわかる。古きアメリカの白人のイメージ。なんとなくノーマン・ロックウェルのイラストからそのまま出てきた感じ。この映画に出てくるナオミ・ワッツもローラ・ハリングも、デヴィッド・リンチ風味たっぷりのリンチ美人。
デヴィッド・リンチ監督作品の面白さは、作中に流れる独特のズレ感にある。普通の場面のようでいて、なんだか少し変。変なのだけれど、具体的にはっきりと「ここが変」と言い切れない。それは、リンチの映画に登場する人たちが、「自分は普通」だと信じきっているからかもしれない。
世の中で「自分は普通」とか「自分は正しい」と言い切れてしまう人ほど怖いものはない。もしかしたら自分の考えはおかしいのかもと、ときに自身を疑えることも大きな才能。同調圧力が強い日本社会にいると、周りの誰もが自分と同じ考えを持っているような錯覚に陥いる。でも語り合ってみると、どんなに気が合う相手でも、自分とちょっと違う考えを持っていたりする。それが楽しめるか傷つくかで、人生観は変わってくる。自分とまったく同じ考えを持つ人がいないということで孤独を感じるか、それこそ多様性にワクワクするか。
今でこそLGBTQや発達障害などがあたりまえに紹介されている世の中になると、デヴィッド・リンチの奇怪な世界観は、案外理路整然としているように見えてくる。ナオミ・ワッツ演じるベティが、ひと目で怪しいリタを匿うのも、当時の感覚だとご都合主義にすら見えてしまう。ベティはリタに一目惚れしていたとみてしまえば、『マルホランド・ドライブ』は、一気にシンプルな作品となってくる。
この映画ももちろんだが、リンチ映画は、作中の世界が夢か現実かわからなくなるようにつくられている。思わせぶりの登場人物も、結局なにもしないままそれっきり出てこなかったりもする。人が不安に思うことが、必ずしも現実になるとは限らない。通常の劇作品は、その不安が必ず作中で現実になるからドラマになる。リンチの映画は、伏線のように出てくる不安の要素が、必ずしも花開いたりすることはない。でもそれがさらに最悪な事態になることもあるから、やっぱり不安が加速する。この通常のドラマのセオリーをときどき崩す、イジワルなリンチの作風が癖になる。はたしてヘタウマなのか、ほんとに支離滅裂なのかさっぱりわからない。わからないからやっぱりおもしろい。
この映画の中で、ベティはリタの記憶を探す手伝いをする。そして恐ろしいものを目撃してしまう。いつしか自分がその恐ろしいものの当事者と入れ替わってしまう。その数々のバリエーション。まるで精神疾患になってしまったかのような映像のオンパレード。
映画を観ているときは、時間軸に乗って作品を観ているので、この訳のわからない展開にあきれていたりする。ひとたび映画を観終わってしまうと、この映画のイマジネーション溢れる映像が、澱のように脳にこびりついているのを感じる。もう映画を順を追ったストーリーとして思い出せない。どれがどれで、誰が誰だったかわからなくなってくる。もうリンチの手のうちにハマってしまっている。それでいい。この映画のキャッチコピーの言葉が浮かぶ。どうやら私は頭がおかしくなってしまったらしい。
この映画が公開された時代は、うつ病気が世の中に認知され始めた頃。メディアや作劇で扱われているうつ病は、なんとなくカッコよくて、オシャレな感じまで漂わせている。うつ病に憧れすら抱かせてしまうような誤解。実際はうつ病なんてちっともカッコよくないし、なってしまったら大変なことなる。そもそも病気に憧れるなんて頭がおかしい。それよりなにより、自分は病気ではなく正常だと信じ切れてしまうことが、いちばん異常なのだと思える。「自分はきちんとしているのだ」と、周りにお節介を焼いてくる異常者たちで世の中は荒んでいく。それこそ自身の感覚を疑えと『マルホランド・ドライブ』に教えられてしまった。
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