『スター・ウォーズ/スカイ・ウォーカーの夜明け』映画の終焉と未来
『スターウォーズ』が終わってしまった!
シリーズ第1作が公開されたのは1977年。小学校にもまだ入っていない私は、この映画が観たくて観たくて仕方がなかった。日本のアニメのような世界観を、アメリカでは実際の映画(実写)でできてしまうのだというのが驚きだった。
でも当時の劇場公開では吹替版などない。オリジナルの音声に字幕スーパーでは、幼稚園児には読みきれない。しかも当時住んでいた場所には映画館などなく、せいぜい時々市民ホールでアニメ映画が上映される程度。『スターウォーズ』を観るのには、いささかハードルが多すぎた。
しばらくしてこの第1作目がテレビで放送された。放送開始前に、タモリさんが司会の関連バラエティ番組が一時間以上放送される。タモリさんには悪いが、こちとら早く本編が観たいのだよ!
吹替版はルーク役に渡辺徹さん、レイアに大場久美子さん。当時人気のある俳優さんたち。なかでもハンソロ役の松崎しげるさんがめちゃくちゃカッコよかった。この吹替版はいま観れるのかしら?
最近ツイッターで、20代の若者の「初期のスターウォーズはピンとこない」という発言が話題になった。それに対して、大の大人のムキになっての攻撃的な反論ツイートが虚しい。しかしながら、私はこの若者の意見の方に共感してしまう。
実は私も、初めて『スターウォーズ』を観たころ、「テンポが遅いな」と感じてしまった。それもそのはず、私は小さい時から『スターウォーズ』に影響されたアニメをたくさん観ていたから。『スターウォーズ』からさらにブラッシュアップされたSFファンタジー作品たち。そうなると、元ネタの『スターウォーズ』はすでに時代遅れとなってしまっていた。
でも、多くの作品に影響を与えた『スターウォーズ』の存在は、やはり偉大。『スターウォーズ』以前のSF映画といえば、シリアスで難解な作品ばかりだった。SFと冒険活劇、アメコミの世界観をイノベーションした娯楽映画は『スターウォーズ』が始まり。映画興行のその後のスタイルを確立してしまった。
映画そのものだけでなく、おもちゃなどのキャラクター商品のヒットで、作品の二次的三次的な収入を得るビジネススタイルが確立した。いまのサブカル作品の主流。作中のギミックをデザインするとき、本編の設定に沿うだけでなく、最初から商品化も考慮して作る。これが激化すると、観客をただただ食い物にするだけになる。我々も、いくら好きだからといって乗っかってしまうと、財政事情がえらいことになってしまう。踊らされないようにしないと。
『スターウォーズ』の生みの親ジョージ・ルーカス監督に影響を与えた作品を、先祖返りで観てみる。子どものころの自分ですら、古典映画のようなジョン・フォードや黒澤明監督作品は、確かにおもしろかった。でも、中にはよくわからない作品もある。ピンとこない作品は、それが生まれた時代背景や、何歳くらいでその作品に出会うかで、印象は大きく変わる。わからない作品がなぜ名作なのかを紐解いていくのは、考古学にも近い。表面的に「この映画はつまらない」とジャッジしてしまうのは、ちと勿体ない。
先だっての初期『スターウォーズ』に批判的だった20代の人は、それを分かった上でのネガティブなつぶやきだったように感じる。
そんなこんなでこのシリーズは42年も続いてしまった。子どもの頃夢中になった映画を、自分の子どもたちと観ることになるとは感慨深い。しかも下の子は、私が初めて『スターウォーズ』に触れたころの年齢だ。今は子ども向けの優れた作品が多いので、さほど『スターウォーズ』に特別感はないらしい。
私は子どもの頃に『スターウォーズ』と出会い、『スターウォーズ』と共に大人になっていった。いわばドストライク世代。だから誰もが『スターウォーズ』は観ているものだと思ってしまっていた。でも周りを見ると結構『スターウォーズ』未見の人が多い。自分が好きなものは、世の中の人皆が好きだと勘違いしてしまいがち。これはキケン。人は人、自分は自分。趣味嗜好は皆違う。
9部作の完結編の『スカイウォーカーの夜明け』は、あいかわらず賛否両論あるみたいだけど、私的にはしっくりくる結末だった。だからスターウォーズ・ロスにもならなかった。
撮影中にレイア役のキャリー・フィッシャーが亡くなったり、ローズ役のケリー・マリー・トランへの差別的な誹謗中傷もあってか、当初の予定のシナリオからは変更を余儀なくされただろう。でもそのおかげで、レイとカイロ・レンに話が絞られて、スッキリシンプルなプロットでわかりやすくなった。そう、こちとらレイとカイロ・レンの話が観たいのさ!
広げた風呂敷がキレイに畳まれてしまった。これは最初から大体の結末は決定してから、シリーズ構成を進めてきたのだろうと予想がつく。ケツが定まっているから、途中経過ではいくらでも遊べる。観客のミスリードも計算ずく。ハナっから三部作構想で制作できる、必ずヒットする確信のもとの贅沢なつくり。
シリーズが完結する40年の間に、映画事情も随分変わった。配信サービスも浸透して、映画を映画館で観る時代も終焉を迎えつつある。
歳のせいか、2時間半近い映画を劇場で観ることの疲労感が凄いことに気づかされる。本編でも光の明滅に注意してほしいとアナウンスがあった。IMAXやドルビーアトモスなどの高価な特別興行ではなく、通常2D上映での鑑賞にもかかわらず物凄い音響だった。贅沢なんだけど、疲れちゃう。現代社会で疲弊しきった体は、映画鑑賞すら耐えられなくなっている。
私も若い頃は、毎週映画館へ通っていたし、年間100本以上の作品は軽く観ていた。映画を映画館で観ないというのは邪道なのは重々承知。でもやはり映画を自宅で観るという鑑賞法がスタンダードになるのも頷ける。チケット代も、この不景気な世の中には高すぎる。
そういえばこの新三部が始まったとき、カイロ・レン役のアダム・ドライバーが、あまりに両親役に似てないのに違和感を感じた。ルークもハンソロも、アナキンも体育会系。歴代主人公と違ってカイロ・レンは理系のオタクキャラ。こりゃあ今までの系譜云々より、アダム・ドライバーに悪役やらせたいから当て書きしたんじゃないだろう? シリーズを重ねていくうちに、もうすっかりアダム・ドライバーのファンになってしまった。
映画のラスト近く、レイとフィンとポーが抱き合う場面にグッとくる。作品の中では、この三人が行動を共にする場面は案外少ない。きっと演じてるデイジー・リドリーやジョン・ボイエガ、オスカー・アイザックは、映画のプロモーションで、世界中を共に廻っただろう。三部作製作には、10年近くかかった。本編だけでは伝わらない温度差も生まれてくる。ああ、これで終わりなんだなと。
ルーカス監督のハッタリで『スターウォーズ』は9部作構想になった。くれぐれもまた新たなスカイウォーカー三部作を作るよ、12部作に変更、なんて野暮なことしないで欲しい。頼むよディズニーさん。商魂丸出しのダークサイドだと興ざめしてしまう。もうスカイウォーカーの続編はいらない! これで潔く完結!
今後スピンオフ作品がいくつか予定されてるらしいが、まあそれくらいなら許してやろうか。それらをズルズル追いかけるかどうかは、まだわからないかな。とりあえず作品に、一区切りついた。ひとつの映画の時代が終わったのだろう。
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