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『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』 映画鑑賞という祭り

公開日: : アニメ, 映画:カ行, 映画館, , 音楽

アニメ版の『鬼滅の刃』がやっと最終段階に入ってきた。コロナ禍のステイホーム時期に、どうやって時間を過ごしたらいいかわからない人々が、映像配信サブスクでさまざまな作品を探しまわった。コロナ禍で打撃を受けた産業が多いなか、家に居ながらにして楽しむことができるサブスク配信のエンターテイメントが重宝された。この時期にレンタルビデオを使うよりもサブスクで作品に触れるという文化へシフトチェンジした人も多いことだろう。我が家もコロナ期を通して、エンタメの楽しみ方が大幅に変化した。

『鬼滅の刃』の初劇場作品『無限列車編』も、コロナ禍真っ最中でありながらの大ヒットとなった。そろそろステイホームに飽きて、エンターテイメントに飢えた人たちが、ちょっとまだ危険な時期ではあったけれど勇気を出して映画館へ足を運んだことになる。『鬼滅の刃』は、コロナ禍があったからこそヒットした不思議な作品。

そもそもものすごいハイクオリティでつくられているアニメ『鬼滅の刃』。一度でも観てしまったら、その出来の素晴らしさに圧倒されてしまう。ホラーアクションということもあって、当初は高めの年齢層に向けてつくられた作品でもある。お兄ちゃんお姉ちゃんのいる小さな子たちが、この怖いアニメを兄や姉の影響で観始める。そして小さい子にこんな怖いアニメを観ても良いものかといぶかしむ親たちもこのアニメを観てしまう。ものすごい熱量でつくられている作品なので、どの世代でもひとめ観たらすぐ好きになってしまう。潤沢な予算が正しく作品のクオリティに反映されているとても幸せな作品。コロナ禍期ではまだまだアニメ版は序盤だったので、原作漫画も売れて、書店では売り切れ状態になっていた。普段は漫画やアニメと縁がなさそうなおばあちゃんまでが、『鬼滅の刃』の漫画を探して書店巡りしている姿を、当時はよく見かけていた。

自分はその頃、日本のアニメ作品からはすっかり遠のいていた。日本のアニメは萌えみたいなポルノまがいの作品が多いという偏見があった。それ以外はスタジオジブリや『エヴァンゲリオン』にそっくりな亜流作品しかないと思い込んでいた。それこそ青空をバックに、女子学生が配置されているアニメのビジュアルが、日本のアニメ作品のイメージになってしまっていた。海外のコンペでも、青空と学生のビジュアルの作品は、それだけで予選から弾かれてしまっていたと聞く。だからこそ、『鬼滅の刃』の登場は画期的だった。ここ20年でやっとジブリやエヴァではない作品が観れた気がした。この20年とは、日本経済の失われた30年とまるきり同じ時期にあたる。日本経済の停滞は、その時期につくられた作品にも反映されている。経済が動かないときは、新しい企画やアイデアも育たない。コロナ禍という逆境を生き延びた『鬼滅の刃』で、日本の経済がはたして建て直せるか。たかがエンターテイメントと侮るなかれ。サブカルチャーはその時代を写す鏡なのだから。

アニメの『鬼滅の刃』が、原作での大団円に向かっていく。シリーズがテレビアニメと劇場版を行ったり来たりする。ことテレビシリーズの劇場版と聞くと、映画用の番外編を想像してしまう。『鬼滅の刃』は、発表順に作品を追っていかないと、話が繋がらなくなってしまう。『鬼滅の刃』に魅了された人の多くは、原作漫画もすでに読んでいる。原作で話を知っているのに、映像化をこれほど期待されている作品も珍しい。原作を知っている人は、この物語は終盤に向かうに連れ、どんどん盛り上がっていくことをすでに知っている。原作であれだけ凄かったのだから、アニメになったらとんでもないことになるだろうと期待値のハードルがどんどん上がる。『無限列車編』が劇場版第1作で、その続きはアニメ版の『遊郭編』へ続いていく。このまま最終回までアニメ版で展開していくのかと思いきや、最終決戦の展開は、劇場三部作で観せていくこととなった。そりゃあそうだ。今後の展開は、劇場版にしなくてはもったいない。それももしかしたらこの『無限城』三部作で完結するとは限らない。これからこのアニメシリーズの最終章まで、劇場版で観ていきたいと、観客のみんなも希望している。

映画公開を前に、家族に「鬼滅の映画を観に行こう!」と誘ったら、「行きたくない」と冷めた返事をもらう。「どうせ総集編なんでしょ」とのこと。そういえば最近は、アニメ版で一度放送された作品を、劇場版に再編集した作品が多すぎた。『鬼滅の刃』も、過去作品の劇場用総集編で連続公開していた。いやいや待ちなさい。今度の『鬼滅の刃』は新作ですよ。『無限城編』は、『柱稽古編』の次のエピソード。なぜか父である自分が、家族に『鬼滅の刃』の新作についてプレゼンを始めていた。家族も「新しい展開になっていくのなら観たい」となり、映画館のホームページを見てみることにした。そこで驚いた。近所のシネコンでは『鬼滅の刃』だけで、1日20回以上上映している。他の映画はどこへ行った? どこのシネコンをのぞいてみても、みんな『鬼滅の刃』を日に20回以上上映するスケジュール設定になっている。もう映画館は鬼滅一色に染まっている。なんだかこれはたいへんなことが起こっている。

自分の記憶を辿ってみると、映画館の混雑で苦労した作品といえば、『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』のようなジブリ作品や、『スターウォーズ エピソード1』や『タイタニック』などが、映画館に何時間も並んで観た記憶がある。今ではネットで事前予約ができるようになったので、並んで映画を観ることはすっかりなくなった。上映時間になったら映画館に集まればいい。映画鑑賞も気楽に楽しめるようになってきた。だから劇場の外まで行列ができるような混乱は起こらない。実際どれだけの人が動いているのかは、なかなかわかりにくくなってきた。それでも日に20回以上の上映がひとつのシネコンで行われるというのは、ものすごい大勢の人が映画館に足を運んでいることになる。

近年、映画館で映画を観るという習慣は廃れつつある。これはサブスク配信の発展の影響もあるけれど、なにより物価高騰で映画館の入場料が大幅に値上げしたことにある。映画を観にくる客層は、学割やシニア割引が使える年齢層に偏っている。若者と老人が映画界を支えている。一般層は1人2000円の入場料がかかってしまう。映画も気楽に楽しめない価格設定になってしまった。これから映画料金も更に値上げするとのことなので、一般層ではますます映画鑑賞へのハードルは高くなっていくことだろう。洋画が不人気と言われる昨今。洋画を楽しむ層が働き盛り世代だとすれば、一番高い一般料金の客層にあたる。社会人は映画を観ないと以前から言われていたが、この価格高騰でますます映画館離れの流れが進んでいくことだろう。

その映画不況の流れの中でも、この『鬼滅の刃』の大ヒット。気が滅入るようなニュースばかりの日本で、久しぶりに景気のいい話題となった。『鬼滅の刃』の三部作があるうちは、まだ日本の映画館の息が続きそう。思えばいつしかシネコンは、映画館を観に行くというよりは、イベント上映の場所というイメージの方が強くなってきた。アニメ映画もイベント的な要素が強い。ワイワイ大勢で集まって、パッと花火のように散っていく。シネコンはお祭り会場のようになってきた。『鬼滅の刃』を流行っている今観るということは、お祭りに参加するということ。流行っている現場へ足を運んで、リアルにこの現象を体感した方が楽しいに決まっている。

映画ファンも、『鬼滅の刃』は無視できない。『鬼滅の刃』には、古今東西の映画のオマージュもたくさん取り込まれている。それこそ黒澤明監督作品の時代劇のかっこいい演出技術も堂々と取り入れている。ズルいくらい研究されて、洗練された使い方。だから映画ファンならなおのこと、『鬼滅の刃』はツボを押さえられている。自分の子どもたちの世代でも、『鬼滅の刃』はベタすぎると言いながら、小さい頃から観ているこのコンテンツの新作なら、やっぱり観にきてしまうらしい。冷笑できないくらいに、作品にパワーがある。そういえば『鬼滅の刃』がきっかけで、子どもたちと葛飾北斎展へ行ったこともある。

『鬼滅の刃』は、久しぶりに登場した国民的アニメ。アニメのジャンルに留まらず、コンテンツとしても最強のものとして確率した。サブスクの浸透で、世界的にも日本のアニメが人気が出てきている。かつては英語で制作されていない作品は、世界では通用しないとまで言われていた。現在では、英語以外の作品でも、その制作国の原語で作品を楽しみたいと思う観客が増えている。むしろ知らない言語で作品を鑑賞することに楽しみを感じている。しかも日本の声優さんの演技の凄さは、言葉を知らない人にもちゃんと伝わっている。日本のアニメをきっかけに、日本語を学び始める人もいると聞くと、日本人として誇らしくも感じてしまう。別に自分が『鬼滅の刃』をつくった訳でもないのに。

万人に受け入れられた作品となると、普段映画を観ない客層も劇場へ足を運んでくる。従来の映画ファンが危惧するのは、マナーの悪い他の客と出くわすこと。でももうここはお祭り会場。多少は騒がしいくらいは覚悟を決めていこう。でも案の定、我々の近くにもマナーの悪いクソ客が居た。上映中、ずっと喋っていている。ネタバレやら下ネタやらを仲間と喋っている。どんな奴か見てみると、なんだかあどけない中高生のメガネくんだった。「あれ、なんだろうね?」と、同行していた家族と話していると、「ああいうのはイキってるだけだ」ということになった。究極のかまってちゃん。上映後には、そのイキリメガネくんと同行してた友だちにまで、「お前、うるさいよ」と注意されていた。

日本での映画鑑賞は、基本的に黙って観るものとされている。海外では普通に画面に向かって話しかけたり叫んだりする観客もいる。やるせなかったり残酷な場面では、ウロウロ歩き回る観客も出てくるくらい。日本人は世界的にも静かな観客だ。映画のリアクショでうるさくなるのはまだいいが、劇場で目立ちたいから喋るというのは、ときとしてトラブルになりかねない。警察沙汰にもつながりそうなので、そんな奴には関わらないのがいちばんいい。

上映中に喋る友だちとの映画鑑賞は辛いものがある。自分の記憶では小学生時代まで遡ってしまう。『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』を観に行ったときのこと。小学生3人で観に行くということになり、村田くんという子の親が前売り券を買ってくれた。『鬼滅の刃』にも村田さんという先輩剣士が登場するが、その村田さんとは似ても似つかない村田くん。今ではムビチケになっているが、当時は前売り券で、劇場窓口で入場時に半券を切ってもらうものだった。映画が楽しみで、何度もその前売り券を眺めていた。見過ぎで半券が千切れそうになって、焦って眺めるのを控えたくらい。

映画は新宿松竹劇場で公開された。今の新宿ピカデリーに当たる場所。自分は当時郊外に住んでいた。小学生だけで新宿まで行くなんて、今の感覚では危険すぎて親が許さないだろう。当時だって、子どもだけで映画なんて許さない親は多かった。村田くんは、映画に行く予定日ギリギリまで「やっぱり行くの辞めた」とか言って、みんなを困らせた。自分も子どもだけで映画へ行くのは初めてだったので、どうしても同行者が必要だった。その弱みを知って意地悪をされている!

いざ映画館へ行って映画が始まると、村田くんは上映中お喋りばかりをしていた。3人で行ったので、幸い村田くんは自分とは席が離れていた。真ん中に座っていたもうひとりの友だちにずっと話しかけていた。映画を観にきたのに、なんで映画を観ないのだろう? 子ども心に不思議で仕方なかった。案の定、近くにいた大学生に注意をされていた。小学生からみた大学生は、おじさんにしか見えない。大人から注意を受けるのは結構怖い。ちょっと「ざまあみろ」と思った。それから、誰かと映画に行くのはめんどくさいと思うようになった。映画館の入り方もわかったし、ひとりで映画を観るようになった。小学生の子がひとりで映画鑑賞するのが趣味なんて、今考えると渋すぎる。でも相手を選べば、人と観る映画も楽しいことも知っていった。村田くんとはそれ以降、疎遠になっていった。村田くんは自分の中では厄介くんとなっていた。『鬼滅の刃』の映画を観たことで、そんな大昔のことを思い出した。

『鬼滅の刃』は毎回、新しいことに挑戦している。冒頭でAimerさんの主題歌がかかる。登場人物たちは落ちているのに、気持ちはどんどん上がっていく。映画の中で歌がある曲がかかると、セリフの声とボーカルの声がぶつかって聞きづらくなったりすることがある。今回はそんなことがない。Aimerさんがインタビューで、出来上がった映像を観ながら歌の収録をしたと言う。絵を観ながらだと、声の出し方が当然変わってくる。セリフや映像が静かなところで、声を張り上げるわけにはいかない。そんな工夫があるから、歌がかかっているのに曲が映画に溶け込んでいて、作品世界に没入できる。タイアップで無神経に曲をかけているのとは訳が違う。映画のための歌。もっと言うなら、その場面のためだけの歌。なんとも贅沢。

登場人物たちがひとりづつ紹介されていく。これは歌舞伎の手法。お馴染みのキャラクターが、美麗な技を披露する。「いよッ、待ってましたッ」と掛け声をあげたくなる。歌舞伎も全盛期は大衆向けの娯楽。漫画の『鬼滅の刃』は、葛飾北斎を意識したデザインのコマ割りもあった。もし今後100年、『鬼滅の刃』が残ったとしたら、このアニメも古典として扱われていくことだろう。そんな歴史的作品にリアタイで立ち会っていると思うとロマンがある。

今回は原作でも大好きだった猗窩座編。『鬼滅の刃』は、バトルシーンと連動してその登場人物の過去が描かれていく。シリーズ恒例の流れではあるけれど、物語が展開している中で回想シーンに入っていくのは、シナリオ作成の教科書からすると、けっして勧められる手法とはいえない。観客の気持ちの流れも切ってしまいかねない。正直、ここまで激しいバトルシーンが続いて、終盤に回想シーンに入っていくのは、もう体力的に限界がきている。でも自分はこの猗窩座の過去編のエピソードはかなり好き。猗窩座を含め、彼の周りの人たちがあまりにかっこいい。だからこそその顛末がやるせない。こんな理不尽な人生ならば、鬼にもなってしまうだろうとなる。猗窩座を演じる石田彰さんの芝居がいい。人の気持ちがわからないけど、人とつながっていたい。サイコパスになりきれない猗窩座の心情を、セリフの言い回しだけで伝えてくる。猗窩座以外にも、善逸や胡蝶さんのエピソードも良かった。あの怒涛の情報量の原作を、よく一本の映画にまとめてくれた。早く次回作が観たいけれど、良いものを観せてもらえるのなら、多少は待ちますよという気分。

エンドロールでの作画監督の多さに驚く。シリーズが始まった頃とは桁違いの大勢のスタッフが導入されているのだろう。日本のアニメも、ハリウッド映画並みの産業となっていくのかもしれない。これからこの映画が世界でも公開されていく。海外ではこの作品のフィーバーの情報も届いているだろう。世界のファンがどんな反応を示していくか、それも楽しみなところ。この映画を通して、映画館で映画を観る楽しみを知った子どもたちも多いことだろう。子どもたちにとってこの夏は、『鬼滅の刃』の映画を通して、人生に影響を与えるような思い出がたくさんできたことだろう。久しぶりに映画で夢を観れたような気がする。まあ、鬼と戦わなければならない悪夢のファンタジーなのだけれど。久しぶりに映画館でリピーターとして観たくなるような作品に出会った。自分が加齢のせいで映画への情熱が冷めたわけでなかったことが確認できたのもひじょうに良かった。

 

 

 

 

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