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『ナミビアの砂漠』 生きづらさ観察記

公開日: : 映画:ナ行, 配信

日曜日の朝にフジテレビで放送している番組『ボクらの時代』に俳優の河合優実さん、映画監督の山中瑶子さん、シンガーソングライターの柴田聡子さんが出演していた。この番組は、今話題性のある若手著名人が3人集まって語り合う対談番組。河合優実さんと山中瑶子さんは、映画『ナミビアの砂漠』の主役と監督。『ナミビアの砂漠』はカンヌで賞を獲った作品。自分は日本映画はあまり観ることはないが、海外で評価された作品だと、急に興味を持ち出すゲンキンなところがある。日本でつくられた作品は、たとえ評判が良くても、それが本当にその作品が評価されているのかと訝ってしまう。作品製作に企業が絡んで、宣伝費がかけられて話題にされただけかも知れない。たいして面白くないのに、話題性ばかりが先に立つ邦画があまりに多すぎる。世界標準でつくられて、海外のコンペティションに出品するつもりでつくられている映画は、国内マーケットしか視野にない作品よりもはるかに個性的な作品が多い。海外で評価されて凱旋した作品なら観てみたい。少なくとも鑑賞中に飽きてしまって、途中で断念することはないだろう。先日『アノーラ』や『フロリダ・プロジェクト』のショーン・ベイカー監督がSNSで『ナミビアの砂漠』を絶賛していたのも、作品への興味をそそる。

『ナミビアの砂漠』は、かなりエキセントリックな若い女性が主人公の話らしい。河合優実さんは、近年人気のある俳優さん。彼女が出演する作品は、重い現実を描いたものが多いような気がする。自分は気が滅入りそうなので、なんとなく彼女が主演の作品を観るのを避けてきた。『ナミビアの砂漠』もきっと暗い作品なのだろう。鑑賞にはそれなりの覚悟がいる。

『ボクらの時代』に出演している俳優と監督。さぞかしかっ飛んだ発言が飛び交うのかと、トラブルを期待するかのような気持ちで自分はその番組を観ていた。番組を観ていると、出演の三者は驚くくらいに差し障りのない話を上手に語っている。差し障りがなくても、ちょっと面白い話題をしていくというのは結構難しい。それは雑談のテクニック。雑談が上手い人というのは、コミュニケーション力が高い人と言っていい。番組が終わるころ、「無事に終わって良かった」と、肩を撫で下ろす御三方。相手に失礼がないように、はたまた炎上しないようにと細心の注意を払いながら対談していたのだろう。天才と呼ばれる人は、昔なら他人に酷いことをしても許されるようなところがあった。多様性の価値観が一般的になった現代では、どんなに才能があっても他者を尊重できなければ仕事はできなくなってきている。それはとてもいいことだと思う。深入りせずに上手に割り切って対応できる人たちというのがコミニュケーションの基準。そんなちゃんとした監督と俳優の映画なら観てみたくなってくる。

映画のロケ地が、結構自分の身近なところが使われている。新宿や表参道、どうやらこの映画の主人公は町田に住んでいるらしい。都庁も自分はついこの間行ったばかり。「こんなところで働きたくないよね」と主人公のカナは言う。ごめんなさいね、その辺りで働いたことあります。要するにカナと自分とは行動範囲が近いということ。それだけでもこの作品に親近感が湧いてくる。

作品の冒頭、町田の駅をカナが歩いている。ひと目で怖そうな人なのがわかる。カナを演じる河合優実さんの存在感。友だちとカフェで談笑しているのだけれど、周囲の音や話し声が気になって、相手の声が聞こえてこない。映画を観ている観客は、その混じって聞こえてくる別の話し声の内容が、これからこの物語になにがし影響が出てくるのかと注意が向く。でも、聞こえてくる若い男たちの猥談は作品に直接に関わってこない。当然その男たちとカナが絡む物語の展開にもならない。ここはカナの聴覚過敏さが描かれているところ。自分も体調が悪いときは、雑踏での音が辛かったりする。通常、人は聞くべき内容に合わせて、その音にフォーカスするように脳が働く。なんらかの理由で、聞くべき内容の優先順位が取れなくなる人もいる。その聞きたいことが聞こえてこない障害の経験がない人には、この場面の意図は伝わりにくい。ここでカナの生きづらさのひとつが紹介されている。相手の話が聞こえてこないのは、かなり精神的にのしかかってくる。映画が始まったときには、この主人公はすでにだいぶ参っているのがわかる。

特定の家を持たないで、男の部屋を転々と暮らすカナ。性にも奔放でタガが外れている。もうその時点でかなり壊れている。実際の場所や生活感のある部屋を撮影に使ったロケセット。手ブレ効果の高いハンディカメラでとらえられる映像。彼女の狭い世界観を象徴するようなスタンダードサイズの画面。まるで精神疾患が表出してくる人の姿を撮影したドキュメンタリーのようでもある。いや疑似観察記といったところか。

山中瑶子監督のインタビューで、映画学生時代に講師に「はじめから壮大なものを描こうとするのではなく、足元に近い身近なことを描きなさい」と言われたことがあるとのこと。自分の経験したことが、必ずしも他人もやってきていることとは限らない。とても貴重な経験だったりもする。それを紹介するだけで、ユニークな作品となっていく。はたしてどれだけ自分の中の特別感を発見できるか。唯一無二の棚卸しができるかどうかで、作家になれるか否かの別れ道となってくる。

カナはとにかくいつも怒っている。怒っている人というとは、何かに困っている人といっていい。精神疾患を抱えている人は、他罰的思考に陥っていてしまいがち。自分をさておき、まず相手を責めてしまうところがある。なにせ攻撃的なので、差し伸べられた善意の手にさえ噛みついてくる。これでは社会ではやっていけない。とにかく他者を責め立ててくるので、会話も難しい。一歩間違えば犯罪者にもなりかねない思考。どこかで、自分の方がおかしくて、周りの人も対応に手を焼いているのだということを受け入れなければ、いつまで経っても生きづらいまま。

自分のことで精一杯。余裕がないので自然とサイコパスになっていく。カナは演じる役者さんの通り、見た目のビジュアルが良いのだろう。男たちが勝手に近づいてくる。だから若いうちは自分のことだけ考えていてもなんとかなってしまう。そもそも自分のことだけで世界が回っているから、他人の気持ちなどわからない。だから恋愛がうまくいく筈もない。

カナは中華系のミクスチャーということが作品を観ているとわかってくる。この人はまだ若いのに、親とか保護者はいないのだろうかと、疑問もそこで晴れてくる。なんらかの事情で、カナの親や親戚はみな中国に住んでいる。その一族で交わされる言葉は、中国語がメイン。日本に生まれ育ったカナは、中国語がほとんど喋れない。要するに、一族の中でもカナはアウェイな存在。ネグレクト状態で育ってきた可能性は高い。自己愛障害になっても仕方がない。カナが壊れている原因ははっきりしてくる。

カナの救いは、自身が病気なのに自覚があって、なんとか精神科に行かなければと動いているところ。自分がおかしいと受け入れることは、とても大変なこと。精神科医の先生に言わせると、自分の症状が理解できるようになれれば、ほとんどの精神疾患はなんとかなってくるらしい。神経多様性の持つ生きづらさの緩和の道もついてくる。この映画で知ったのは、ネットの心療内科の相談は、詐欺みたいなものなのばかりなのだということ。世の中には人の弱みに漬け込む敵が多すぎる。

『ボクらの時代』での河合優実さんと山中瑶子監督との会話で興味深いものがあった。撮影中、まったくやる気のないスタッフがいたらしい。山中監督が、「いろんな人がいて面白い」と言ったらしい。仕事なのだから、たとえやる気がなくともそれを表に出さないのが社会人。それがあからさまにやる気がない態度が、監督にバレバレなのはかなりまずい。日本社会では通用しない態度でもある。映画の撮影などは特に集団での集中力が必要とされる。本来なら、出て行ってくれと怒られても仕方がない。カナがもし監督だったら、そんなやる気のないヤツは蹴飛ばしているだろう。そしてパワハラ問題に展開になって、スキャンダルのできあがり。

きっと山中監督もイラっときただろう。それでも考え方を立て直して、面白い方へと思考を変換していく工夫。山中監督は脳のトレーニングがとても上手い人なのだろう。もしかしたら『ナミビアの砂漠』は、山中監督の実体験が元になっているのかも知れない。苦労をしたからこそのポジティブシンキング。劇中では箱庭療法の場面も登場する。河合隼雄さんの本を読んだことがあったので、「これが箱庭療法か」となった。クライエントに自由に箱庭で遊んでもらって、分析していく療法。箱庭遊びで何が見えてくるのか、とても興味深い。

この映画についての山中瑶子監督のインタビューで、もうひとつ興味深いものがあった。『ナミビアの砂漠』の中で、主人公カナが部屋で上半身裸でいる場面について。「なんでセックスの場面でもないのに脱いでいるのか、もったいない」という声を多くもらって、ショックを受けたとのこと。自分はこの映画の中で、直接セックスの場面がないところがとても良いと思った。そういった場面はどうしても目立ってしまうし、センセーショナルになり過ぎてしまう。性的描写が売りの作品の意図がなければ、無闇に派手な描写は控えた方がいい。部屋を裸でいる姿が垣間見られた方が、カナという人物像の説明がつきやすい。カナが性にだらしないのは、映画を観れば充分に伝わっている。作品のテーマは性描写ではない。

ここで山中監督が傷ついたのは、女性の裸というものに、日本映画業界はいまだに商品という概念が強いということ。女性俳優が「体当たりの演技」と言われるときは、激しいラブシーンやヌードが売りの作品に出演したとき。そういう場面はレイプシーンなど、たいてい不同意の性行為の場面だったりする。日本の映画はどうして不幸なラブシーンしかないのだろうとずっと思っていた。部屋で着替えるときに裸が見えてしまう描写は、海外作品ならよくある。そんな場面にいちいち大騒ぎしていたら、映画に集中できなくなる。『ナミビアの砂漠』での着替えの場面は、主人公の気だるさを伝える自然な描写。それよりカナが着てるヘンテコなロンTの方が気になってしまう。この場面では、部屋にいるカナの耳に響く冷蔵庫のブーンという音の強調もとても大事。この場面で観るべきところはそこ。日本のメディアは、もっと女性の裸に慣れた方がいい。なんだか日本のマスコミ自体が厨二病に思えてくる。

もし『ナミビアの砂漠』という映画が、山中瑶子監督や河合優実さんの実体験もモデルにしているとしたら、「よくサバイバーとして戻って来たね」と祝福したい。そしてその暗い体験を、客観的に作品として表してくれたことに賞賛したい。今後、心療内科の参考にもなりそうな病例の具現化にもなる。カナの気持ちはわからないけれど、わかるような気にさせる説得力がこの映画にはある。恋愛映画をつくっているようでいて、生きづらい人と社会のあり方を赤裸々に描かれている。いつしかこの映画は社会派となってしまっている。どうかこの映画の登場人物たちも、自分らしい幸せをみつけて欲しいという気持ちになってくる。

 

 

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