『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 マルチバースとマルチタスクで家庭を救え!
ずっと気になっていた『エブエブ』こと『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を観た。アクション映画のようなのにアカデミー賞を獲っている。作品賞や技術賞だけでなく、主演女優賞や助演男優賞と、演技部門でも評価されている。SNSでは、当初試写会で観た人たちは大絶賛で、一般公開が始まってからは賛否両論となっていった。ただ誰もが、ひとことで感想が言えないとのことだった。
この映画の最大の魅力は、中年のおばさんが主人公ということ。映画好きの人は日頃感じていることだが、おばさんが主人公の物語はものすごく少ない。おじさんが主人公の話は多くても、おばさんの物語は少ない。反対に若い娘の話は異常に多い。シナリオ公募作品で、主人公が女子高生だったら、それだけで落選するとまで言われている。日本のアニメのビジュアルは、青空を背景に制服姿の若い女性がいつも飛んでいる。みんなそんなに制服女子高生が好きなのか。
おばさんという存在が、世の人の最も興味のない存在だとしたら、そこに着目した監督のダニエルズは鋭い。ダニエルズの前作は『スイス・アーミー・マン』だった。かなりシュールでブラックな作品だったので、今回も期待してしまう。おばさんがマルチバースのヒーローとして戦うという、新鮮味のないプロットのようなミスリードを狙っている。この映画は、ストレスに侵された人が、パニックになった状態の脳の中を映像化をしている。不条理な展開は、その心理状態を冷静に捉えている。
監督のダニエルズは、ダニエル・クワンとダニエル・シャイナートによるユニット名。兄弟なのかと思いきや、同じなのはファミリーネームではなく、ダニエルという名前の方。きっと意気投合した二人は、名前も同じだし、共同での作品はダニエルズで行こうとなったのだろう。仲が良くてたいへんよろしい。兄弟連名の映画監督はたくさんいる。本作でもパロディされている『アベンジャーズ』のルッソ兄弟が、この映画の製作についているのも力強い。
主人公の中年おばさんエヴリンを演じるミシェル・ヨーの生活臭が凄すぎる。しょぼくれた感じと華やかな感じを演じ分ける面白さ。それは夫のウェイモンドを演じてるキー・ホイ・クァンも同様。そもそも自分はキー・ホイ・クアンと同年代なので、『インディ・ジョーンズ』や『グーニーズ』はリアタイで観ていた。自分と同年代のアジア系の子が、ハリウッドで活躍しているのが凄いと思っていた。そんなキー・ホイ・クァンもすっかりおじさん。中年どころか初老にかかった彼の姿を観てみたい。しかも今回この映画で彼は評価されている。『エブエブ』が観たくなったいちばんの動機はキー・ホイ・クァンだった。
エブリンは移民のアメリカ暮らし。税金の整理をしているが、どうもうまくいかない。国税局の審査官からの厳しい注意がかかって、このままだと差し押さえになると脅されている。自宅兼店舗の自営コインランドリーは、多忙にも関わらず先行きが危うい。父親のゴンゴンはアルツハイマーがかりの要介護状態。娘はガールフレンドとの交際の許可を求めてくる。優しいだけで頼りにならない夫は、離婚届を突き出してくる。……これだけ人生に関わる大問題が一気にのしかかれば、誰だって頭がおかしくなる。そのエヴリンに夫ウェイモンドの体を借りた使者から、「あなたは選ばれし者だ。共に戦って欲しい」と誘われる。それから先は、たくさんの映画のパロディで綴られたイマジネーションの世界。おかしくなった脳内のビジョンを、巧みな編集技術で具現化している。
エヴリンは若いときは歌手を目指す夢があった。地味で辛い現状に置かれると、もしかしたら何者かになっていた幾つかの可能性の人生を思わずにはいられない。ずるずるとこの生活を選んでしまった自分に、後悔の念を抱いている。このまま居心地の良い、妄想の世界に閉じこもりたい。
でもふと自分の人生を振り返ってみると、過去の自分もその時その選択に悩み、一生懸命選んできた筈。未来の自分に後悔させないように、健気に人生の選択を選択してきた。そうそう大きなミスはしていない。そうなるとすでに人生は、その人の資質で決まっているのかも知れない。
この映画の素晴らしいところは、主人公は最終的には現実世界に戻ってきて、さまざまな問題と対峙していくところ。うだつの上がらない主人公が、異次元から召喚がかかった場合、大抵ラストシーンは、主人公は超人となって異次元に飛び去っていく。我ら観客の代弁者エヴリンは、妄想の世界にとどまることは選ばない。
エブリンは家庭のすべての問題をひとりで背負い込もうとしていた。日々の目の前の雑務に、周りが見えなくなってきていた。家族からしてみれば、みんなエヴリンときちんと話がしたいだけ。娘のガールフレンドだって普通にいい子。父のゴンゴンは昔の人だから、同性愛なんて理解できないと勝手に思い込んでいたが、はたしてそうなのか。頼りない夫だって、国税局員と話をつけてくれる交渉力もある。国税局員だって、きちんとした資料を提出すれば、親切に対応してくれる。みんなが怒るのは、エヴリンがパニックになっていて、正しい対応ができていなかったから。エヴリンが敵だと思っていた相手は、まったくもって味方だった。これこそ認知の歪み。
ゴンゴンを演じるジェームズ・ホン。どこかで見たことあると調べてみると、『ブレードランナー』でアンドロイドの目玉を造ってた中華系のおじさんだった。国税局員はジェイミー・リー・カーティス。すぐさま『トゥルー・ライズ』を思い出す。エヴリンの脳内世界は、有名映画のパロディ。歌手志望のエヴリンは、普通のおばさんよりサブカルチャーに詳しい。監督のダニエルズのオタクっぷりが伺える。
なんでも監督のひとりダニエル・クワンは、当初この映画の主人公を発達障害のADHDに設定するつもりだった。頭の中の騒がしい様子を、映像化しようと試みたのだろう。ADHDを調べていくと、クワン監督自身もADHD当事者だと診断される。ADHDへの偏見が一気に引いたことだろう。そもそもこの映画の主人公エヴリンのような、人生の大問題が一気に襲い掛かられた状態で冷静でいられるわけがない。むしろ主人公がADHDの設定では、要らぬ偏見を作ってしまいかねない。エヴリンはどこにでもいる普通のおばさんでなければいけない。
よくメディアで扱われるひきこもりの人のインタビューで、気になる言葉がある。「家族を持っている人が羨ましい。彼ら彼女らは人生の成功者だ」と。そのひきこもりの人が言う人生の成功者は、この映画のような主人公家族を指している。これのどこが成功者なのだろう。所詮は人生なんてこんなもの。家族を持ったら、それはそれで立ち向かわなければならない問題が山積されている。家庭が維持しずらい、仕事が厳しすがる。それは社会の方が問題がある。他人の人生を羨んでも、そこにはそれなりの別の問題があると想像した方がいい。エヴリンが望んだ芸能界の道も、そこにはそこの苦労がある。結局、どの道選んでも、困難でめんどくさい。
SF作品は、社会に警鐘を鳴らすカッコ良さがある。自分がSF作品が好きなのは、その社会風刺の姿勢がガス抜きになるから。でもSFには現実逃避の一面もある。妄想の世界があまりに居心地が良すぎて、抜け出せなくなる危険性がある。SF作家もパラノイアの精神疾患性が、作家能力に繋がっているだけなのかも知れない。いまエンターテイメントには人を救う力があるとよく言われている。けれどもあまりに娯楽の世界にハマり過ぎると、現実でやらなければいけないことが疎かになってしまいかねない。物事の優先順位が分からなくなってしまう危険性。エンターテイメントはそれくらい中毒性がある。
日本ではずっとかわいいものが重宝されてきた。アニメやゲームのキャラクターが、どんどんかわいくなってくる。萌えキャラ、ゆるキャラと何でもかんでもかわいい姿にメタモルフォーゼしていく。日本人は現実と虚構の区別がつかない、不真面目な人種のようにも思えてくる。何もかもが甘ったるくて、糖分の摂りすぎで病気になりそう。かわいいものに縋るのは、弱っている証拠。日本人はずっと弱っている。そして潜在的にかわいいもので、自分を守ろうとしている。
『エブエブ』の中でも、かわいい力は重要なポイントとなっている。夫のウェイモンドが、ギョロ目のシールをあちこちに貼る。そうすることで無機質な物体が急に愛らしくなり、人権まで発生してくる。かわいいものはむげにできない。もう、森羅万象すべてがかわいくなってきてしまう。何もかもに尊厳がある。何もかもが大切になっていく。
人にはユーモアがある。笑いがなければ、人は人らしく生きていけない。エヴリンは人に頼ることを忘れていた。自分がいろいろ考えているように、周りの人だっていろいろ考えている。たいへんなのは自分ひとりの筈はない。たいへんなこともみんなで分かち合えば、張り合いができる。乗り越える活路も見出せるかもしれない。
激しい妄想世界を、ジェットコースターのように滑走するこの映画。クスクス笑いっぱなしだったのに、最後はなんだかジーンとしてしまう。誰もがみんな優しくありたい。それができなくなったとき、ふと立ち止まることができれば、人生の後悔はずっと減る。ここではない何処かは、何処にもないし、此処にもあるということなのかも知れない。
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