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『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』 スターの魂との距離は永遠なれ

公開日: : 映画:タ行, 配信, 音楽

デヴィッド・ボウイの伝記映画『ムーンエイジ・デイドリーム』が話題となった。IMAXやDolbyアトモスなどのラージフォーマットでの鑑賞を勧める宣伝が並ぶ。音響設備が売りの映画館も、こぞってこの映画を上映していた。実際SNSでラージフォーマットでこの映画を見た人の感想は好評だった。むしろ通常フォーマットで観てくれるなとでも言わんとばかりの勢い。

故人のアーティストの伝記映画ということで、映像素材は当然古いものになってくる。古い素材のレストア技術やリミックスの良さは知ってはいても、はたしてどこまで最新の上映フォーマットに対応しているのか。確かめてみたくないこともない。でもなかなか入場料が高額なラージフォーマット上映には、怖くて手が出せない。日本はいま不景気なんです。しかもこの映画の劇場公開時はまだコロナ禍の真っ只中。劇場へ足を運ばない理由の方があげやすい。思えばパンデミック以降、自分は映画館通いがすっかり億劫になってきた。劇場公開作品がすぐ配信される便利さもあるし、自宅にホームシアターシステムを導入したせいもある。

パンデミックを通してライフスタイルがずいぶん変わった。巣篭もりがすっかり板についた。外出しないでも、おうち遊びで充分楽しめる。お出かけ自体が特別なことになってきた。今ではもう、人が多い場所はただただ疲弊するだけ。どうしてもひきこもりになりがちになる。比較的静かな映画館や美術館へ行くのはまだ良い。静かな場所だし、作品とゆっくり対峙できるのでリフレッシュできる。映画館や美術館も、人が少なければ最高の場所。でも人気の催し物となると、どうしても人が集まってしまう。

作品をダイレクトに感じることができる魅力と裏腹に、そこに集まる人もさまざま。SNSでも、映画館での観客の悪マナーを嘆いている人をよく見かける。不特定多数の人が集まる映画館や美術館などの施設は、あらかじめ他のノイズも入ってくることを覚悟していかなければならない。どっちにせよ疲れている時に、映画館や美術館なんて行くものではない。物価も上がって、どこへ行っても何を買っても値上がりしている。いざ外出すると、予算をはるかにオーバーしてしまう。もうどこへも出かけるなということなのだろう。ならばもう寝るしかない。家でも映画を観れる配信サービスは、人生においてとても便利なツールと化してしまった。

『ムーンエイジ・デイドリーム』の映画館上映は、夜9時から上映のレイトショーか、高額ラージフォーマットの上映ばかり。映画館での鑑賞は早々に諦めて、鑑賞手段は配信待ち一択とする。そして満を持して配信での鑑賞。ありがたいことにデジタルプラスのサラウンド配信。デヴィッド・ボウイ70年代のグラムロック時代の音源も、最新音声にリミックスされている。できるだけ良好な再生環境で観たい映画なのは確かにわかる。当時の画像も、ビデオやフィルムの質感がバラバラにも関わらず、大胆にレストアされている。もともとボウイのステージが、サイケデリックできらびやかなものだから、色補正のコントラストが強いくらいでちょうど良い。

自分がデヴィッド・ボウイの存在を知ったのは映画『戦場のメリークリスマス』。ダブル主演で音楽担当の坂本龍一さん目当てで観た映画。ミュージシャンが多く出演するジェンダーフリーの戦争映画。異業種俳優ばかりで、演技力は二の次のような映画。それでもデヴィッド・ボウイの芝居は上手くて、彼の登場場面は違和感なく作品に没頭できた。

あとからデヴィッド・ボウイの曲を知っていった。『Let’s Dance』や『Ashes to Ashes』なんかはリアルタイムで聴いていた。

自分が10代だった80年代は、MTVブームだった。ローカルチャンネルの金曜日の夜中は、一晩中MTVが放送されており、それをVHSに録画して翌週ちびちび楽しんでいた。土曜の夜はテレビ朝日の『ベストヒットUSA』。小林克也さんがMCの番組は、いまでもBSで放送している。もう懐かしの老人向け番組といったところ。当時は洋楽がもっともかっこいい音楽だった。今では洋楽を聴くという趣味が、かなり特殊なマニアックなものとなっている。これは日本だけでとくに言えること。日本は、自国のローカライズされたサブカルチャーばかりで、文化の鎖国状態になってしまった。この国では世界と同じものを楽しんでいない。これも日本が世界から遅れをとった理由のひとつだろう。

レオス・カラックス監督の『汚れた血』で、デヴィッド・ボウイの『MODERN LOVE』がかっこよく使われていた。カラックスはボウイの大ファンということで、彼の楽曲が自作に使用されることが多かった。90年代ころのボウイは、ソロ活動を休止してティン・マシーンとしてバンド活動をしていた。常にイメージチェンジを目指していたデヴィッド・ボウイ。レオス・カラックスにとっては、ティン・マシーンのボウイは違かったのかもしれない。

そんなこんなで、毎回イメージの違うデヴィッド・ボウイ。自分は後からグラムロック時代のパフォーマンスを知った。ゲイカルチャー的な濃いヴィジュアルは、自分にはショックでしかなかった。それまで自分が知っていたデヴィッド・ボウイは、シブいおじさんのイメージ。サイケなカラフルさより、モノトーンの印象。でも本来なら、グラムロックのボウイを見ずにボウイを語るなかれなのだろう。

監督をつとめるブレッド・モーゲンは、ミュージシャンのドキュメンタリーの旗手。デヴィッド・ボウイ財団というところがあって、そこの膨大なアーカイブから選りすぐりの素材を集めて、一本の映画に編集したとのこと。それにしても監督のボウイへの愛が映像から溢れ出している。自分はデヴィッド・ボウイにそれほど詳しくないけれど、その愛に満ちた映像トリップに心地よさを覚えた。

アーティストの伝記映画というと、その人のヒストリーを辿っていくものか、パブリック・イメージを構築させるための盛りにもった人物像を描き出すようなものだと思っていた。『ムーンエイジ・ドリーム』はその手の類の作品ではなかった。演出をあえてしない演出。ボウイのライブ映像を中心に、彼のインタビューやナレーションを流していく。それらの言葉には、彼の本心の言葉なのか、スターを演じる筋書き通りの声なのか、はたまたメディアが勝手に作り上げたいイメージのデヴィッド・ボウイに導かんとしているのかは判別不可能。

映画自体がひとつのミュージックビデオになっている。一応年代順に映像はならんでいるが、若かりし日のライブ映像にふと晩年の姿も突如混入されたりする編集。そのランダムに組み合わされた映像たちの選出に、監督のセンスを感じる。

デヴィッド・ボウイに時代なんて関係ない。ボウイはボウイだ。そんなブレッド・モーガン監督の声なき声が聞こえてくる。もし魂の存在があるとしたら、肉体の若さや老いなど関係ない。ボウイの魂が歌って踊っている。我々観客は、ボウイという魂の存在と無意識のうちに交流してしまっている。まさにトリップ映画。『ムーンエイジ・ドリーム』は、歴史を語る記録映画ではない。

スターはスターのままで、実態がつかめない方がいい。現代では、インターネットの進歩で、著名人と簡単にアクセスできてしまう。ネットの進化で分かったこと。スターはあくまでスターを演じた上でファンと接して欲しい。発信側と受信側が混同しない。はっきりとした届かない壁が必要。それはアーティストとファンの双方を護ることにもなる。アーティストの生活感はベールに包んで、神秘性で観客に勝手に想像させる。観客だってイマジネーションを自分で育てて楽しめばいい。偶像崇拝を意識して楽しむ余裕。それはこれからの推し活のスタイル。深入りし過ぎず適度な距離感で楽しむ。時には熱く、時にはドライな関係。

『ムーンエイジ・デイドリーム』で使用されているインタビューも、どこまで本音かフィクションかはわからない。彼の家庭環境がハッピーなものでないと、メディアは持っていきたい。辛い生育歴を語らせようと、インタビュアーたちは奮闘する。その答えをはぐらかすデヴィッド・ボウイ。滑稽なやりとり。ただ、ボウイの兄に関するエピソードは興味深かい。ボウイに人生やサブカルを手ほどきした彼の兄。ボウイに影響を与えたメンター的な存在の兄。ボウイはお兄ちゃん子だったのだろう。その兄が出征して帰ってくると、精神を壊してしまっていた。統合失調症とボウイは言っていた。今ならそれは戦争体験によるPTSDだと誰でもわかる。優しかった兄が、以前とは別人のようになってしまう。人の心は簡単に壊れてしまう。そこからボウイの精神世界への追求が始まったのではないか。芸術に傾倒するのも、なんとかして兄のような心の病を患った人を理解したり、治癒する方法はないか。過激なパフォーマンスは、まだ見ぬ治療法を模索する叫びだったのかもしれない。

しかしそれもこちらが勝手に想像したこと。スターがスターたる所以の動機が本来はどんなものだったか知る由もない。それでいい。スターという存在を通して、我々は考え、自分の中での答えを見つけていく。答えのないものを求めていく哲学の旅。芸術家が、我々凡人に考えるきっかけをつくってくれる。人それぞれのデヴィッド・ボウイ像があっていい。そんな考える自由をくれるこの映画の意義は大きい。スターは手が届かないからこそスターなのだと。それがたとえブラック・スターでも。

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