『ノマドランド』 求ム 深入りしない人間関係
アメリカ映画『ノマドランド』が、第93回アカデミー賞を受賞した。日本では3月からこの映画は公開されている。コロナ禍の影響で映画館の客足が遠のいているのか、はたまた作品自体が地味なのか、公開から一ヶ月後には上映終了のアナウンスが流れていた。
自分はこの映画『ノマドランド』は、賞を獲ろうが獲るまいがいずれ観たいとは思っていた。この調子だと映画館で観れないなと諦めていた。作品のアカデミー賞受賞で、晴れて公開期間延長。コロナの感染拡大、緊急事態宣言と、とかく緊張感ある時期。注意しながら劇場へ足を運んだ。
劇場に来ている観客は、圧倒的に高齢者ばかり。テレビのニュースやワイドショーで、この映画のことが紹介されたのだろう。話題になっている映画なら、一目観てみようという好奇心。実際、夜のニュースよりも昼のワイドショーの方が時事ネタに強い。昼夜忙しく働いているビジネスマンだと、思考能力が低下してしまう。映画を観に来る高齢者の方が、24時間戦士より話が通じやすそう。この映画は60代のフランシス・マクドーマンドが主演で、若者がほとんど登場しない。客層の年齢が上がるのは当然のこと。
原作はジェシカ・ブルーダーのノンフィクション『ノマド:漂流する高齢者たち』。原作に登場する高齢者たちは、実際にノマド生活をしている人たちで、本人が実名でそのまま映画に出演している。フランシス・マクドーマンドはファーンという架空の人物を演じてる。架空の人物で主人公のファーンの目線を通して、現実世界に溶け込んでいく。フィクションとドキュメンタリーが混ざった不思議な映画。
監督は中国出身のクロエ・ジャオ。アメリカのアカデミー賞は「漂白文化」と揶揄されていた。数年前までは白人ばかりのイベントだった。近年はその批判を気にしてか、有色人種の受賞が増えてきた。昨年の韓国映画『パラサイト』が、英語で制作されていない、純粋な韓国映画にもかかわらず最多部門受賞した。『ノマドランド』はアメリカ映画ではあるが、監督は中国人。原作者も監督も主演も皆女性。アカデミー賞の多様性を、世界にアピールする流れが見える。
ノマドワークという言葉がちょっと前に流行した。クリエーター業で、パソコンさえあれば場所を選ばず仕事をする人のことをノマドワーカーと呼んだ。平日の昼間にスターバックスで、iBooksを広げて作業をしている人なんかがそれに当たる。ノマドワーカーの使うPCは、どうやらApple社製でなければいけないらしい。自分はそれに近い仕事環境なので、なんだか恥ずかしくなってきた。さぁ、あなたも私もノマドワーカー!
映画はファーンが家を出るところから始まる。リーマンショックの影響で会社が倒産し、その社宅が閉鎖される。ファーンの夫はすでに他界していて、子どももいない。おひとりさまのファーンは、バンに乗って荒野を旅に出る。路上生活というと安易にジャック・ケルアックを連想してしまう。ロマンあふれるロードムービーなのではと。
でも、ファーンの旅は孤独。交わす会話もほとんどない。風の音や水のせせらぎだけが聞こえてくる。高齢者のひとり旅は、黄昏時がお似合い。クロエ・ジャオの演出は、撮影が困難な、夕暮れ時のマジック・アワーをメインにしている。
ファーンは、自分はホームレスではなくハウスレスだと言う。ギリギリの自己尊厳の維持。どんなに孤独な旅でも、人は一人では生きていけない。彼女はAmazonの物流センターで梱包の仕事をしたり、ハンバーガショップの厨房に立ったりする。どれもが短期就労の低賃金。立身立て直す資金繰りには、到底及ばない。繁忙期だけ招集されて、仕事がなくなればそれきり。安定した雇用ではない反面、後腐れもない。一期一会の人との触れ合いの中、彼女もコミュニティへと参加していく。そこは流浪の旅を続けている高齢者たちであるノマドの集会。
高齢者たちはなぜ孤独な旅を選んでいるのか。日本でも高齢者の孤独死が社会問題となっている。高齢になって独居暮らしをすることはいけないという風潮がある。果たしてノマドたちは、帰る場所や身内は本当にいないのだろうか。映画を観ていくうちに、高齢者たちが、なぜノマドとして生きる道を選んだのか、理由がぼんやり見えてくる。
日本映画『男はつらいよ』の寅さんが浮かんでくる。寅さんは人生を通しフーテンの旅を続けている。でも彼には帰る場所はある。柴又の和菓子屋さんの「とらや」がそこ。そこには、おいちゃんおばちゃん、妹のさくらが、寅さんの身を案じて帰りを待っている。寅さんがたまに「とらや」に帰ってくることで映画は始まる。マドンナになる誰かに恋をして大騒動。最後に寅さんがマドンナに振られて、寂しく去っていくのがいつものパターン。でもシリーズが長寿になると、中には「寅さんと一緒になってもいい」と言うマドンナも登場する。そんなとき寅さんは、「バカを言っちゃあいけない」と、相手の気持ちを無碍にして、また去っていく。寅さんは幸せに臆病だ。でもその幸せの正体って何?
ファーンをはじめとする高齢者ノマドたちの人生には、皆それぞれ何かありそうだ。ファーンにも帰る場所はあるのだろうか? 映画はただノマドの孤独なあてなき旅を描いているわけではない。ノマドの中にも帰る場所を持つ者もいる。ある者は「一緒に暮らそう」と、誰かの誘いに乗ってみる。そしてある者は放浪の旅に戻っていく。後者の選ぶ道が孤独死と同義語であっても。
ノマドたちは皆、人生の大きな喪失感を抱えている。活力のある若いときならまだしも、心身ともに弱ってきてから、大事なものを失うのは辛い。そこから立ち直って、新しい人間関係を築くのは、かなりの体力精神力が必要。「家族なんだから、身内なんだから頼ってくれていい。一緒に生きるのは当然だ」 心優しい人は、ノマドとなった高齢者たちに声をかけてくれる。人として当たり前の価値観。でもこの映画はその価値観に疑問を投げかける。
ロードムービーや冒険ファンタジーは、行きて帰しの物語。主人公は、物語の最後には出発の地に戻ってくる。旅を経た経験を通すと、懐かしい生まれ育ったその土地も違った印象で見えてくる。けれどファーンには戻るべき場所はない。彼女はまた新しい旅に出る。深入りする人間関係は、もういらない。
やっぱり流転の生活は、高齢者ノマドにとって不本意な旅。もしリーマンショックで会社が潰れなかったら。もし社宅を追い出されることがなかったら。きっとファーンは、そこでひとり穏やかに老後を過ごしたことだろう。ファーンはかつて教師だった。知的でまじめに生きていたことだろう。住む家をなくすことが、自業自得とは言い難い。高齢者から住む場所を奪う政策にこそに問題がある。
中国人であるクロエ・ジャオ監督の受賞作品が、母国で凱旋ロードショーされるであろうと、普通なら考える。でも彼女の作品は母国では上映中止。なんでも普段からのクロエ・ジャオ監督の政治発言が原因らしい。それがいまの中国。
『ノマドランド』という静かな映画も、政治的な意味合いを多く含んでいる。世の中では「絆」やら「家族」やらの無敵キーワードを武器に為政者たちが政策を放つ。あくまで自助努力、身内だけの話し合いでなんとかしてくれよと。
世の中の多様化が進むなか、さまざまな価値観や幸福論が生まれてくる。十把ひとからげに片づけてしまったら、さらに新たな問題が生じるだけ。臭いものに蓋をし続けた顛末が、いまの生きづらさにつながっている。ステレオタイプに「収まるところに収まればいい」という考え方は、ひじょうに乱暴で雑。誰かと繋がるのも自由だし、ひとりでいるのも自由。映画は、先見的でユニークな生き方の提示をしている。
上映中、映画を観ているおばさまたちが、ソワソワしているのに気がついた。映画が退屈なのだろう。テレビのワイドショーで話題になったこの映画を観に来たら、どうもよくわからない。テレビドラマのような、派手な展開もなければ事件も起こらない。主人公は、人との交わりを避けて、ひとりで生きようとする。「みんなで暮らせばいいじゃない!」 客席のおばさまたちの声なき声が聞こえてくる。この映画に流れている新しい価値観には共感できない。いまの観客のほとんどが、「帰って一緒に暮らそう。それがいちばんいい」と説得する側の視点なのだろう。
だからこそいま『ノマドランド』が評価される意味がある。人と人とが支え合って、密になって生きるのもひとつの生き方。でも本当に人の尊厳を考えたら、道はひとつの筈はない。多様性を認める勇気。一人ひとりにとって幸せの定義はちがう。他人から押し付けられた幸せでなく、自分自身の力で考え求めることで、初めてそれは得られる。
今回のコロナ禍の経済的ダメージは、50年前のオイルショックを越えるとよく聞く。リーマンショックを飛び越こえてオイルショック以来のピンチ! 倒産した店や会社も多い。経済的ダメージの影響はアフターコロナにやってくる。これからこの道の先に何があるかは誰もわからない。さらに厳しい世の中になっていくだろう。だからこそ自分で納得して選んでいかなければならない。覚悟の必要。そしてそれが本当の自由なのだから。
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