『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』 理想の家庭像という地獄
※このブログはネタバレを含みます。
配信サービスは恐ろしい。ついこの間劇場公開したばかりかと思っていた『ドクター・ストレンジ』の新作が、シレッともう配信開始になっている。こうなると映画館へ行くモチベーションも変わってきてしまう。日本では海外作品の劇場公開は、世界的に最後の方。しかも日本人は、年間ほとんど映画館に足を運ぶことはない。日本の映画産業は詫びしい。それは毎日が仕事で忙しすぎることもあるし、世界一映画館の入場料が高額のせいもある。この国では映画館で映画鑑賞をすることは、かなり贅沢な娯楽となってしまっている。
映画は映画館で観るのがいちばん楽しいのはわかっている。でもディズニー作品のこの配信への展開の速さは、「べつに急いで映画館まで行かなくてもいいか」と思わせる。もう劇場公開に頼らなくても、ショウビズ界が成り立つシステムが出来上がっているのだろう。鉄は熱いうちに打てではないけれど、話題作がホットな状態のまま、家庭でも鑑賞できる満足感は大きい。とくにマーベルシリーズのような、次から次へと新作がリリースされるフランチャイズ作品は、一本一本追いかけていくのが面倒。作品数が多すぎて、初めから挫折してしまう。でも配信サービスなら、自分のペースで作品を消化できる。時には観るのを中断してもいいし、乗ってるときはイッキ見するのもいい。MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)は、配信サービスと相性がいい。
MCUの特徴は、シリーズが連作となっているところ。『ドクター・ストレンジ』の新作だからといって、前作だけを抑えていれば世界観が理解できるとは言えない。過去のどのMCU作品から物語が繋がってくるかわからない。まるで抜き打ちテストのよう。今回はてっきりドクター・ストレンジが出演している『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』から直接話が繋がってくると思いきや、そうでもなかった。ディズニープラスのオリジナルドラマ『ワンダヴィジョン』との地続きの物語という。やられた。
MCUを『アイアンマン』の一作目から観ている自分は、この世界観とは10年以上の付き合い。ほとんどリアルタイムでリリース順に観ている。登場人物たちとともに人生を歩み、年齢を重ねている。
勧善懲悪のスーパーヒーローものでは、ヴィラン(敵役)は欠かせない。今回のヴィランはエリザベス・オルセン演じるワンダ・マキシモフ。MCUで悪と戦ったアベンジャーズのメンバー。かなり衝撃的。彼女とは2015年の『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』からの7年も前から知り合い(?)。ずっと善人だった人が悪人に変わる。
『スター・ウォーズ』のアナキン青年が善良な英雄から一変して、伝説のヴィラン=ダースベイダーになってしまう。かつて観た悪役誕生の姿は、どうもしっくりこなかった。アナキンがベイダーになるのが突然で、どうしてそうなった?とまったく訳がわからなかった。ホアキン・フェニックスの『ジョーカー』は、善良に生きたい本人の意思とは裏腹に、社会が冷たく厳しく、このまま消えてしまうかヴィランになるしかないところまで追い詰められての顛末。後者のジョーカーの方がキャラクターに説得力がある。でもホアキン=ジョーカーは、ヴィランになる前から容姿が怪しく、あらかじめ悪人になることが予定されている。
リジー・オルセンが演じるワンダ・マキシモフの今までの登場作品では、今後彼女が悪人になるとは微塵も感じさせていなかった。おじさんばかりのアベンジャーズの世界観で、若くて可愛い女性もいた方がいいでしょうぐらいのポジションだった。だからワンダの存在は、今まで気にもとめていなかった。誰がみても善人にしかみえないワンダが、凶悪なヴィランとなる。そのギャップで彼女の魅力が一気にアップした。ワンダがかつての仲間たちに手をかけた時点で、もう後戻りはできないと思わせる絶望感。歴代ヴィランたちも、かつては善人だったのではと想像させてくれる。なにが彼女を狂わせたのか?
MCUで流行ったマルチバースという概念。多次元の世界観で、もしかしたらこんな世界や別の人生もあったのではと、交わらない世界で同時進行しているというもの。サム・ライミ監督の芸術的な映像技法で、マルチバースの存在はパラドックスの世界観というよりは、その人のみている幻覚や心象風景のようになってきた。金縛りにあって、どこから夢か現実かわからなくなるような感覚を、映像のトリックで表現している。それは悪夢でもあり、自分だけに都合のいい、居心地の良いだけの世界でもある。
『ワンダヴィジョン』のワンダは、子どもの頃家族と観ていたシットコムの世界観に、自分の理想の人生をダブらせる。超能力を使って、多くの人と町そのものを取り込んだ。自分の妄想をカタチにしていく。夫と子どもたちとの幸せな生活。誰もがうらやむ安泰の日々。でもこの理想の生活像は、メディアが作り出したコマーシャルに過ぎない。家庭を築くということに、多くの人が夢を抱いて経済が回っていくように仕組まれた理想像。
果たして「家庭を築くこと」が本当に幸せなことなのだろうか。パートナーがいる、家族がいると、その人生を選ばなかった人から嫉妬されることもある。しかし現実社会は、子どもが生きていくにはあまりに厳しく、家庭を維持していくにはあまりにも社会的セーフティネットが少ない。まさに地獄と紙一重の幸せ。こんな綱渡りの生活が他人がうらやむものなら、それもまた地獄。
テレビの通販のCMで、お父さんが休日に庭の芝刈りを楽しんでいる姿が映し出されている。涼しい顔をしたお父さん。余裕のあるリッチな生活。でも実際の庭の手入れは、泥だらけ汗だくになって雑草と格闘する大仕事。もし涼しい顔をして手入れできる程度の庭なら、日頃手入れをこまめにしていなければならない。それはそれで表に出ない隠れた重労働。まさに隣の芝生は青い。余裕の生活を維持するための、日頃の努力や苦労に、触れられることはまずない。
よく地方から出てきた学生さんが、「東京の人はいい生活をしていてうらやましい」と言っている。ドラマなどで、学生にも関わらずデザイナーズ・マンションで暮らして、ブランド品で身を固めている、分不相応な学生の姿を鵜呑みにしてしまっている。あれは現実にはあり得ないコマーシャルでつくられたファンタジー。憧れの世界、まさにマルチバース。果たしてコマーシャルでつくられた理想の生活像を体現している人がどれだけいるのだろう。そしてその夢を叶えた人は、本当に幸せなのだろうか。
人は不幸すぎると他人を妬んでしまう。本来なら、今置かれている現状から一刻も早く離脱する行動をとらなければならないが、あまりに途方に暮れて思考が停止してしまうと、現実逃避の妄想に耽って戻ってこれなくなってしまう。ワンダのみる理想像はささやかな幸せだったはずなのに、意外とハードルは高かった。
興味深いのは、今回の『マルチバース・オブ・マッドネス」でのワンダのみる理想像には、夫のヴィジョンが不在だということ。女性は母親になると、子どもを守ることに全神経が集中する。夫のことは眼中から消えてしまう。彼女のみる世界観では、自分の子どものためならどんなことをしても許される。きれいな表現をすれば「母は強し」となるが、第三者からみれば映画のタイトル通り「狂気」でしかない。子どもを守ることに執着して、善悪の見境がなくなってしまうのも、極端な例とも言い難い。
不幸ばかりが続いたワンダの人生。あまりの理不尽に、そりゃあ悪人に堕ちてしまうだろうとも思えてきてしまう。とても悲しい。現実世界で、世を騒がせる凶悪犯の人生を振り返れば、不幸な生い立ちはすぐさま浮き彫りになってくる。そうなると個人だけが悪いともい言えなる。社会の持っている悪の部分も見つめ直さなければならない。
ワンダの更なる不幸は、彼女が強すぎて死ぬこともできないということ。ワンダは社会に痛めつけられた女性のメタファー。若くて可愛らしくしている女性ほど、心の中に燃え盛る怒りを抑え込んでいる。この邪神を成仏させる手段は、果たしてこの世に見つけることができるのだろうか。
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