『RRR』 歴史的伝統芸能、爆誕!
ちょっと前に話題になったインド映画『RRR』をやっと観た。噂どおり凄かった。S・S・ラージャマウリ監督の前作『バーフバリ』も熱くて激しかった。だけど『バーフバリ』は、首が飛んだり人が四散しながら蹴散らされたりと、暴力描写も激しかった。バイオレンス描写が苦手な自分は、すっかり気持ちが悪くなってしまった。『RRR』は実在した人物をモデルにしていることや、後半は戦争になっていくと聞いていたので、それなりの残酷描写は覚悟しなければと思った。インド映画はたいてい3時間の長尺。鑑賞時間を捻出するのも大変だし、その長尺に耐えられる体力も必要。毎日仕事に忙しいうえに、不景気にもなって、すっかり疲弊し切った日本人とインド人とのお国柄の違いも感じられる。
インドは映画大国。映画鑑賞といえば、お弁当を食べながら、ワイワイと1日かけて映画を観るらしい。だから上映時間は3時間くらいないと物足りない。映画を楽しむならとことん楽しむ姿勢。なんだか日本の歌舞伎鑑賞に似ている。歌舞伎もお弁当を食べながら、長尺の演目をじっくり楽しむ。オペラだって長尺。まあさすがにオペラ鑑賞は、お弁当を食べながらは無理だけど。その業界の表現者を目指す人たちの過酷なトレーニングとは裏腹に、どれも俗っぽいエンターテイメントが、年月を経て伝統芸能になっていった。エンターテイメントに徹したインド映画が大衆に受け入れられ、自国を越えて世界的評価を獲得していく。なんとも気持ちがいい。
インドの文化と日本の文化は似ているところが多い。日本は、まるでアジアの白人かのような勘違いをして気取ってはいるものの、根底は泥臭い。インド映画の堂々とした泥臭さは、日本人も嫌いじゃない。ここまで王道コテコテだと清々しくて羨ましい。しかもこの『RRR』は、アメリカの本家アカデミー賞でも評価され、テーマ曲の『ナートゥ・ナートゥ』は主題歌賞まで獲得している。
自分はアカデミー賞授賞式で初めて『ナートゥ・ナートゥ』を聞いた。パフォーマンスは代役ダンサーによるものだったので、あまり響くことはなかった。そのあと映画本編のダンスシーンや、主人公二人が出会うアクションシーンを観てやっと映画を観てみたくなった。『RRR』は、今まで観たことのない発想のアクションシーンの連続。国旗を使ったアクションなんて、自国民なら胸アツの極みだろう。
ラージャマウリ監督のインタビューで、自分の作品をテルグ映画と呼んでいるのが気に掛かった。なんでもインド語といっても幾つか種類があるとのこと。如何に自分がインドに疎いと思い知らされる。『バーフバリ』以前のインド映画は、基本的に吹替文化がなかった。どこかの言語で製作された映画がヒットしたなら、それの吹替版をつくるのではなく、それぞれの言語でリメイクするとのこと。吹替版だってオリジナルとニュアンスが変わってしまうのに、リメイク作品となればまったくの別物になってしまう。この『RRR』は、インド国内でそれぞれの言葉に吹替されたバージョンで公開される。その方式で作品そのものが、直接多くの人に触れられることとなる。国内で共通の作品が鑑賞できるというのは、作品の知名度を上げやすい。同じ作品のリメイク版の出来不出来で印象が変わることはなくなる。
タイトルの『RRR』の意味はいろいろあるらしい。世界で通じるタイトルに当初から目指していたとのこと。生粋の海外進出、国際標準前提作品。企画書の段階で、監督と主演二人のイニシャルを仮題にしていて、それがそのまま決定してしまったとのこと。軽い! 主演のN・T・ラーマ・ラオ・ジュニアとラーム・チャランはインドで大人気の俳優らしい。彼らが演じるビームとラージュはインド独立運動の革命の雄。しかも二人のキャラクターを、ヒンズー教の神話の神々にもなぞらせているとのこと。どれもこれもが鉄板の胸アツポイント。ただ実際にはビームとラージュは知り合いではなく、それぞれ個別の革命家とのこと。もしこの二人が出会っていたら、絶対親友になっていただろうと、これまたアツいアイデア。気持ちのいい要素をこれでもかと直球で盛り上げている。二人が親しくなれば嬉しくなるし、反目すれば悲しくなって泣けてくる。二人が怒りの鬼神となって立ち上がったときは、拍手したくなるほど胸が躍る。勧善懲悪の嵐。もう邪悪なイギリス兵なんかやっつけてくれ!
この映画はインドがイギリス領時代だった時代の話。イギリス人が威張って、インド人たちが差別に耐えている。観客もインド人目線になっているので、とにかくイギリス人が憎たらしい。はたしてこの映画はイギリスでも公開されたのだろうか。イギリス人からみてこの映画はどう感じるのだろう。そういえば過去に日本もいろんな国を侵略していた。日本が悪役だけどめちゃくちゃ面白い映画も、世界にはきっとあるだろう。そんな映画があったとしても、日本にいる限り出会えることはない。いまアメリカで話題作となっている、大人気監督クリストファー・ノーランの新作『オッペンハイマー』ですら、原爆の父の伝記映画ということで、炎上回避なのか、上映の見込みすら立たないのだから。
実在の人気の歴史的人物を扱ったフィクションの演目。日本で言うなら源義経の『鞍馬天狗』や『勧進帳』みたいなもの。史実を元に嘘の話で盛り上げる。この人物はこうであって欲しいという観客の願望を叶えてみせる。インド文化と日本の文化はやっぱり似ている。
主人公のビームとラージュもなんだか『ドラゴンボール』のキャラクターにも見えてくる。監督は自分と同世代なので、育ってきた映像記憶も近いだろう。でももし日本で『ドラゴンボール』を実写化したところで、こんなに楽しいエンターテイメント作品がつくれるはずがない。そもそもこんなビッグバジェットの資金が国内で集まらない。これはインドの国情が世界的に盛り上がっていることの表れ。かつて国際的なエンターテイメントは、英語で制作しなければ見向きもされなかった。多様性の現代では、いろんな言葉が混ざっていた方が、かえって観客が面白がったりする。
『ナートゥ・ナートゥ』を始め、サントラ曲がどれも楽しい。アメリカのビルボードを意識すると、ヒット曲は3分に収めなけれならないルールがある。そんなことはインド文化では関係ないので、3分以上の曲ばかり。楽しい曲はじっくり楽しみたい。暗黙の制約に縛られて、本来の音楽の楽しみ方も忘れていた。ただ、メイン曲の『ナートゥ・ナートゥ』は、きちんとヒット曲の法則に則って、3分台という強かさ。
エンディングも、舞台のカーテンコールのような演出。出演者とともに登場する肖像画は、きっとインド人なら誰でも知っている有名人なのだろう。現地の上映では、一人ひとり登場するたびに拍手喝采なのかしら。これらの肖像画が誰だか知らない自分が悔しくなってしまう。インドでは舞台劇の代わりに映画があるのかも知れない。そういえば『RRR』は、宝塚で舞台化してるのも納得できる。
サブカルチャーは自由なようでいて、その時代のフォーマットの約束事に拘束されたりして、知らず知らずのうちに不自由になってしまうこともある。ショービジネスは儲けなければならないけれど、その枠をうまく飛び越えたところにヒットもある。なかなか仕掛けても思い通りならない。
もしかしたら『RRR』だって、自分がインド国民だったら、天邪鬼に流行りに逆らって見向きもしなかったかも知れない。同じ映画でも、出会う時代、国や人種、年齢や性別によって印象が変わってくる。さまざまな偶然が重なって、好きな映画に出会うのかと考えると、かなり不思議に思えてくる。
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