『髪結いの亭主』 夢の時間、行間の現実
映画『髪結いの亭主』が日本で公開されたのは1991年。渋谷の道玄坂にある、アートを主に扱う商業施設『Bunkamura』、その中にある映画館『ル・シネマ』でこの映画を観た。この映画が気に入って、のちに二番館にあたる名画座『高田馬場東映パラス』にも観に行ったりした。10代とは元気なもので、そこまでしてひとつの映画をあちこちに観に行ったりできてしまう。気がつけばそんなエネルギーは、今の自分にはもうない。
映画館『ル・シネマ』がある渋谷の『Bunkamura』は、2023年4月から施設老朽化につき休業となっている。いま『ル・シネマ』と検索すると、『ル・シネマ渋谷宮下』と出てくる。こちらは渋谷駅前の『渋谷東映プラザ』をリニューアルした映画館のよう。こけら落としのラインナップには『髪結いの亭主』も入っていた。
自分が『ル・シネマ』で映画を観ていた90年代は、まだネットが普及されていなかった。映画ファンは、雑誌『ぴあ』を購入して、いまどこでどんな映画が公開されているか調べながら観に行っていた。雑誌の記事と写真だけで、好きそうな映画を選んでいく。自然と自分の好みも磨かれてくる。
『ル・シネマ』は、フランス映画を主に扱うミニシアター。「ああ、あのエロ映画ばっかりやってる映画館ね」なんて言ってた同僚もいた。フランス映画といえば、部屋の片隅で男女がずっと恋愛話をネチョネチョ語り合っているイメージは否めない。『髪結いの亭主』も、恋愛映画ではあるのだけれど、どちらかといえば綺麗な妄想映画。ファンタジーに近い。
ネット予約のない時代なので、映画鑑賞前の映画館の座席確保は、大いなる戦いの場となる。『ル・シネマ』は、受付のチケット購入順に入場整理券が渡される。上映開始10分前までにロビーに戻って来て、10人ずつ先着整理番号順に入場していく。90年代はレンタルビデオ(しかもVHS!)が主流になっていた頃。シネコンはまだなく、映画館が不人気になりつつある時代。それでもそこでしかやっていない作品ばかりの単館ミニシアターには、映画ファンとなれば遠征してでも観に行ったもの。『ル・シネマ』でも、人気がありそうな映画を観るときは、早めに来場して整理券をゲットしていた。今となってはとてもめんどくさいプロセス。でもそのめんどくささが楽しかったりもした。
『高田馬場東映パラス』は、今はもう廃館となっている。高田馬場の駅前のビルにあった映画館。『東映パラス』と『高田馬場東映』が同じフロアに並んでいた。『高田馬場東映』は公開一番館で、そのときいちばん新しい作品を公開する映画館。館名からして、東映系の邦画を扱っていたのだろう。『東映パラス』は、公開時期を過ぎた作品を扱う名画座で、主にミニシアターで公開されるアート系作品を扱っていた。しかも二本立てなので、かなりお得。『高田馬場東映』では映画を観た記憶はないが、『東映パラス』では何度か足を運んでいる。『髪結いの亭主』以外にも、アキ・カウリスマキやセルゲイ・パラジャーノフの映画を観たと思う。二本立て映画館なので、当然『髪結いの亭主』にも併映作品があったはず。それが何だったのかは、残念ながら覚えていない。
さて、パトリス・ルコント監督の『髪結いの亭主』。なぜ自分はこの作品が気に入ったのだろう。上映時間が80分しかないこの映画。行間が多すぎて、観客の想像力に大いに委ねられるところがある。
主人公のアントワーヌは、子どもの頃から床屋に行くのが好きだった。女性の理容師に髪を切ってもらうことで、初めて性的官能を知ってしまう。アントワーヌはおじさんになるまでずっと理想の理容師を探し続けていた。……こうしてプロットを書き起こしてみると、『髪結いの亭主』もやっぱりエロ映画。
理想の理容師マチルドに出会って、すぐさまプロポーズ。2人きりでの床屋中心の生活が始まる。この床屋の室内が陽光に満ちている。とても幸せそうな空間。日中そこでうたた寝したくなる。マイケル・ナイマンの綺麗な劇伴も、暖かな眠気を誘ってくれる。もう夢見心地。そう、この映画は現実的ではない。
妻のマチルドは理容師という職業があるけれど、主人公のアントワーヌはいったい何を生業にしているのか。アントワーヌは無職のヒモなのか? 映画は人生の幸せそうな部分ばかりを描いて、アントワーヌの現実はいっさい描かない。
監督のパトリス・ルコントは漫画家出身の監督さん。漫画的な物語の省略を、普通の実写映画で表現している。80分という短い上映時間も、削ぎにそって、必要最低限に絞った結果。この緩やかな映像表現に至るまで、かなりの研磨作業が行われた形跡を感じる。「観客を飽きさせたくないので、上映時間は短くするのをいつも心がけている」と、当時のパトリス・ルコント監督は言っていた。いっけんのんびりしている映画にみえるが、ルコント監督はかなりせっかちな人なのだろう。淡々とした語り口で、ドラマチックな出来事さえもそうは感じさせず、現実の厳しさからも目を逸らし続ける。この時代には存在しなかった、SNSでの盛った投稿にも似ている。いま目に見えているところは、その人の人生にとっていちばん幸せだった瞬間でしかない。その刹那に至るまでの、語られていない多くの人生のエピソードは、すべて割愛。それが氷山の一角の幸せだとしたら、誰がそれを羨ましいと言えるだろう。
アントワーヌの一人称で描かれているこの映画。アントワーヌ以外の登場人物たちが、同じ時間をどう感じているかはまるでわからない。アントワーヌは自分の世界のことだけで精一杯。だからパートナーのマチルドの突然の感情の高まりに困惑するしかない。永遠の子どものままのアントワーヌは、人との付き合い方がわからない。この映画の顛末すらも、アントワーヌは理解していない。
アントワーヌのナゾの踊りが楽しい。当時10代だった自分は、こんなふうに明るいおじさんになりたいと憧れた。『髪結いの亭主』は、恋愛映画のようでいてそうではない。アントワーヌが明るいのは、彼自身が現実逃避でいる状態がデフォルトだから。その明るさは、ときに周囲を傷つける。現実的な会話はまるで通用しなかったのかもしれない。彼を愛する周りの人たちを、無意識のうちに不幸にしてしまうアントワーヌの凶暴性。楽しいはずの思い出が、暗く悲しいものとなっていく。陽キャが不幸になっていく矛盾。さらっと映画は観れてしまうが、そこにこの映画の不気味さも感じられる。
若いときにこの映画を観たときは、ただただアントワーヌの孤独が気の毒だった。アントワーヌと同年代になった今では、彼の身勝手さとそれに対する無自覚に恐ろしささえ感じる。見方によってハッピーエンドにもバッドエンドにも見えてくる不思議な映画。今回観直したら、怖い印象の方が残ってきた。床屋での明るい描写も、最強の皮肉となってくる。自己中心的性格の顛末。現実検討力の欠如がもたらす生きづらさ。主人公自身がその欠落に気づくことなく映画は終わっていく。アントワーヌが病人のように見えるラストシーンには、そんな狂気が根底に流れているのだろう。パトリス・ルコントの優しそうでいて残酷な語り口には、今となっては戦慄するばかりだ。
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