『シン・エヴァンゲリオン劇場版』 僕だけが知らない
『エヴァンゲリオン』の新劇場版シリーズが完結してしばらく経つ。すっかりブームもおさまって、『エヴァンゲリオン』のことを話題にする人も少なくなった。せいぜいパチンコ屋の前で、立て看板を見かけるくらい。ひとつのブランドに終止符がついて、古典になりつつある。
家族がまだこの『シン・エヴァンゲリオン』を観ていないということで、久しぶり観てみることにした。自分はこの完結編がシリーズ最高傑作だと思っているので、ぜひとも観て欲しい。あの大風呂敷を、ちゃんと畳むことができた作品だと思う。ただ、『エヴァ』がどうも苦手という家族には、これをどう感じるのかいささか心配もあった。
なんでも『エヴァ』嫌いな人にとっては、この作品には感情移入できる登場人物がいないとのこと。それは単に登場人物の性格が悪いだけということではなさそう。物語に触れると観客は、無意識のうちに登場人物たちを好きになろうとする。好きになりたいからこそ、登場人物たちに興味を持つ。観客から差し伸べた手を、『エヴァ』の登場人物たちは無常に振り払う。登場人物たちの人となりを理解できそうになった瞬間、この人たちは奇異な行動を起こしだす。まるで感情移入を拒んでいるかのよう。それはつくり手が、人物を掘り下げることよりも、センセーショナルな展開の方を望んでいるから。『エヴァ』が気に入った観客たちも、人の心を探究するよりも、日頃のモヤモヤを発散させる展開を好んでいる。
単純に作者の庵野秀明監督が、他人に興味がないことの現れでもある。自分は特別だから、他人から理解などしてもらえない。だから自分も他人を理解する必要もない。積極的に消極的な態度をとる。それがカッコいいのだと自分に言い聞かせる。望んで引きこもっていく。そんなスタイルに共感した若者たちが多かったのが、90年代の『エヴァ』ブームに繋がったのだろう。
当時、大学の先生たちが『エヴァ』を考察する本を出しては、ベストセラーになっていた。今の考察ブームの礎となっている。作中に引用される宗教的な名称が何を意味するのか。物語の展開を多くの人たちがいろいろ考えて悶絶している。
中年以降のおじさんたちが、『エヴァ』は人生を狂わせた作品だと語る。後から観始めた若者たちが呆気にとられる。そりゃあそれなりに面白いかもしれないけど、人生を変えるなんて大袈裟じゃないかと呆れられる。その年代による温度差。
作家の村上春樹さんが、「これは自分だけに書かれた作品だ」と多くの人に思わせたら、ベストセラーになると言っていた。パーソナルな語り口で、多勢に響くツボを突いてくる。『エヴァンゲリオン』は、鬱っぽい心理をエンターテイメントに落とし込んだところに魅力があった。
庵野秀明監督が、「この作品をロボットアニメで、新しいことができた」と言っていた。ファンはその言葉にショックを受ける。『エヴァ』はロボットアニメでだったのかと。……いやいや、単純にロボットアニメですよ。オールドファンたちののめり込み方がすごい。エンターテイメント作品を娯楽として観れなくなってしまっている。私たちはもうかごの中の鳥。エコーチェンバーが響き渡る。冷静になろう。
『エヴァンゲリオン』はテレビシリーズ終了から、作者の庵野秀明監督の手によって『新劇場版』としてリブートされた。結局第1作目から4作目の完結編発表まで15年近くかかった。3作目から4作目までの間は9年空いている。それも庵野監督が重度の鬱を患ってしまったから。
この『新劇場版』は、第3作目で大きな転機を迎える。その展開が許せないファンたちが、庵野監督に殺人予告まで送るほど激怒した。自分は3作目の新しい展開を面白がった観客なので、怒る心理がよくわからない。作者が路線を変えたなら、その意図がわかるまでワクワクしていればいい。自分はこの変化球が楽しかった。『エヴァ』は暗いからこそ面白いのだが、どっぷりハマってしまう観客は、きっとかなり辛かったのだろう。
多くの観客たちが好んでいるのは、作中に流れるたくさんの引用や造語、複雑なギミックの多さにある。でも実はそれが物語の根幹から逸れていく弊害ともなっている。創作物語が目指す、シンプルな指針が見えなくなる。作者も迷うし観客も迷う。作中に引用が多いので、そのルーツから今後の展開を占う考察が飛び交う。でもはっきり言ってそれらはあまり意味がない。言うなれば「木を見て森を見ず」の状態。いや、木どころか枝ばかり、葉ばかり、もしくは葉脈ばかり見てしまっているかもしれない。それでは森の広さは大きすぎて、恐怖でしかない。もう、自分の世界に引き篭もるしか道がなくなってくる。『エヴァンゲリオン』は鬱発生装置のエンターテイメント。人によっては毒素の強い作品。人生を狂わされたおじさんたちは、その毒性とのベストマッチングのシンクロ率の高さ。
『エヴァ』は、ASD傾向の人の生きづらい感覚をよく描いている。こだわりが強く、「こうあるべき」と理想が高い。頭がいいので弁もたつ。理責めで相手を淘汰して、自尊心を保っていく。「僕が僕であるために勝ち続けなければならない」と、尾崎豊も歌っていた。ダメな自分を認められない、さらけ出せない。ひじょうに苦しい生き方。プライドはどんどん高くなっていく。「こだわりが強い」とは優しい言い方だが、ようは頑固。
本人がひた隠しにしている、己のダメさ加減なんて、周りの人たちはとっくに気づいている。それでもみんな気長に付き合ってくれている。自分こそが博識な大人と思っていたが、そんな威張った自分のことを温かく長い目でそっとしておいてくれた周囲の人たちの方が、なんと大人なのか。それを認める勇気が欲しい。
『シン・エヴァ』を初めて観た家族からは、「これが今までのシリーズの中で、いちばんわかりやすかった」と言っていた。そしてもしこの完結に90年代にたどり着いていたら、もっとすごい作品になっていたのにとも。
現代では心理学や脳科学が進んできて、人の性格が以前よりもはるかに分析しやすくなってきた。変わった人の症例パターンも揃ってきて、脳のどこが影響してその行動に出てくるのかもわかってきた。自分は特別な存在と詭弁で自己弁護する必要もない。特別な存在にも前例のパターンがある。自分だけが特別ではなくなってくる。才能を言い訳にできなくはなるが、自分でもよくわからない能力にすがる必要もなくなってくる。
『シン・エヴァ』は、鬱状態から克服していく過程を、ロボットアニメのエンターテイメントに落とし込むことができている。頑固な執着から徐々に離れていって、凝り固まった緊張を緩めていく過程。毒素が浄化されていく気持ちよさ。
『新劇場版』から登場したマリというキャラクターが不思議。自分は『エヴァンゲリオン』には女の子が出てこなければ、もっと面白いのにと思ってしまうので、きっと本来のファンではないのだろう。だから新しい女性キャラが増えることには警戒した。マリは若い女性の見た目だけれど、中身はおじさん。昭和の親父ギャグや懐メロばかり歌っている。主人公のシンジくんに「いい匂いだねー」とい言い寄っても、シンジくんはなんだか嫌がっている。ベタベタしてくるおじさんに対する態度。女好きのシンジくんが疎ましがる女性キャラ。面白い。
シンジくんは、もうお母さんに甘えてはいけない年齢。でもガールフレンドができるほど、他人に心が配れない。まずは友だちをつくることから始めよう。綾波レイは母親で、カヲルくんは父親の代わり。アスカはもしかしたらガールフレンド候補かもしれないけれど、なにせシンジくんは自分のことで精一杯。他人を受け止める余裕はない。そうなると年齢も性別も超えたマリみたいな存在の友だちの方が助かる。俗世で生きていくためのリハビリテーション。
紆余曲折した『エヴァンゲリオン』は、父親を超えていく話に落ち着いた。作中ではいろいろ思春期のモヤモヤした感情を描いていた。でも結局は親子の確執というオーソドックスなテーマに繋がっていく。古今東西、物語や伝説などで何度も語られた普遍的なテーマ。
親ガチャではないが、自分自身の性格や生活は、親の影響によって形成されるのは確か。子も子なら親も親なんて、言い得て妙。親が持つ特徴は、大なり小なり子に影響する。子どもが幸せになるためには、親も救われることも大事。この『エヴァンゲリオン』の完結編では、シンジくんの父親ゲンドウの拗らせっぷりが披露される。運命共同体で、親の過ちの道のりを子どもも歩みかける。それを是正し、親を正しい道へと戻してあげる。『スター・ウォーズ』でも描かれた、ファンタジーに於ける若者の旅の顛末。少年は父親を超えていく。
ASDの理屈でいっぱいの凝り固まった頭になると、普遍的なものにも懐疑心を抱いてしまう。もうなにがなんだかわからなくなってしまう。冷静な判断力がなくなってしまう。それを勇気を持ってぶち壊す。再びゼロから始める勇気。実はその方が話が早い。ものごとに行き詰まったときは、一度立ち止まる。ときには今来た道を戻ることも大切。道に迷っているのに、そのまま前へ進んでいくほど危険なものはない。
『エヴァンゲリオン』が、迷いに迷った挙句、人の道の王道に戻ってくる。始まりはカルトなアニメだったかもしれないけれど、いつの間にか普遍的なテーマへと帰結していった。それでいい。わけのわからないものは、結局それ以上にはならない。エンターテイメントの物語としては、どこかで区切りをつけなければならない。
『エヴァンゲリオン』はきちんと完結した。庵野秀明監督も、もう自分では二度と『エヴァ』はつくらないと言う。観客からしても、もうつくらなくていいと思う。これで満足です。『エヴァ』はすっかり一般的なメジャー作品へと化けていった。
現在、何度目かの日本のアニメブームが起こっている。配信サービスが進んで、世界的にファンが増えている。かつてはアニメファンは男性主流だった。今では10代女性を中心としたファン層。人気作品の作風も変わってきた。『エヴァンゲリオン』も完結し、宮﨑駿監督の最新作も、自伝的な終活の雰囲気のする作品だった。今のアニメの主人公たちは、自分のことばかり考えていることはない。同じ目的に向かう仲間たちと、どう協調していくかが作品のテーマとなっている。人を押しやってでもいちばんになるという時代は終わった。今の若者たちの興味は、自分だけが特別になることではない。人とどう生きていくか。自己中心の世界観はもう古い。『エヴァンゲリオン』は、古い価値観の雰囲気を記録する、貴重なコンテンツとなった。
一皮剥けた庵野監督。このまま引退してもいいだろうけど、世間はそうはさせてくれない。『エヴァ』に後続する作品は、昔の特撮作品や古いアニメのリメイクばかりになっていった。庵野監督が若い頃に影響を受けた作品の焼き直し。原点回帰と言えば聞こえがいいが、やっぱりオタクはオタク。またもや閉じこもってしまうのね。
昔の『エヴァンゲリオン』では、幼稚趣味の自分を否定していたけれど、今は堂々と幼稚化に戻っていく。多様性の時代、それもいいとなってきた。頭のいい幼稚趣味のおじさんたちの嗜好を満足させる。歳をとればとるほど赤ちゃんみたいになっていく。感心はされないだろうけど、もう突き進んでいけばいい。おじさんになっても、かわいく生きることも許されてきた。どんな趣味でも、生きづらくならない程度に楽しむ。ほどほどというのは案外難しい。でも責任が取れるなら、行きなさい、あなたの選んだ道を。
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