『憐れみの3章』 考察しない勇気

お正月休みでまとまった時間ができたので、長尺の映画でも観てみようという気になった。ゆっくり休めていたので、多少ヘビーな内容でも観れそうな体力もある。ヨルゴス・ランティモス監督作品はいつも興味が湧くのだけど、きつい内容なので鑑賞には覚悟がいる。前作にあたる『哀れなるものたち』も名作だとは思うけど、鑑賞後にどーんと疲れるのは否めない。コメディと言われていた『ロブスター』なんかは、コメディというよりホラーに近いので、すっかり凍りついてしまった。紹介文をよく読むと、コメディとはいうもののブラックコメディとなっている。ブラックコメディなら社会風刺的なものを連想してしまうが、こちらはブラックもブラックで、かなりペシミスティック。ヨルゴス・ランティモス監督は、人生に希望を持っていないのだろうか。
前作『哀れなるものたち』が日本で公開されたのは2024年の1月。今回の『憐れみの3章』の日本公開は同年の9月。その年末には配信が始まって家でも観れてしまうのだから制作ペースが早い。『哀れなるものたち』は、美術やら衣装やら、やたらと凝っていて、製作費もかなりかかっている。今度の『憐れみの3章』は、お馴染みのキャスティングではあるけれど、もっと手作り感のあるラフな作品。製作費もだいぶ小規模になっている。
『憐れみの3章』というタイトルから、オムニバスの3パートに分かれているのだろうとはじめから予想がつく。事前情報がない状態でこれから映画を観ようとする側からすれば、軽くネタバレ。この映画の原題が『Kinds of Kindness』だから、『哀れなるものたち』のヒットにあやかって『あはれ』と同じ言葉を使った邦題。ちょっとしたブランディング。同じ監督の作品なのだと迷わずにすむから、まあいいか。
映画は3部構成なのはわかった。3パートに分かれていても、それぞれのエピソードに共通点がなければ連作にはならない。3部構成と聞くと、ずいぶん前に映画ファンのハートを一世風靡した、クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』をすぐに思い出してしまう。『パルプ・フィクション』は、3部構成で時系列をバラバラにして、前のエピソードでは主人公だった登場人物が、他のエピソードだと脇役だったりと、従来の視点を変えていろいろ工夫が施されていた。凝った作風のランティモス監督が、通り一遍のオムニバス映画などつくるはずがない。彼の工夫がどこにあるのか。映画の展開に身を任せてみよう。
第1話目を観て、やっぱり気持ちの悪い話だったので落ち込んでしまった。でも2話目が始まった瞬間、少し混乱した。1話目と同じ役者がキャスティングされているのに、まったく違うエピソードで違うキャラクターを演じている。共通点は同じ役者たちで、関係のなさそうな別の不気味な物語が展開されていく。その役者魂をくすぐるような仕掛けで、すっかりこの映画がおもしろくなってきてしまった。2話目になって、やっとこの映画のルールがわかってきた。これらの3つのエピソードが、まったく関係ないかと思えば、そればかりでもなさそう。でもこの一筋縄ではいかない映画の仕掛けを、いちいち紐解いてみようという気にはどうもなれない。もしランティモス監督にこの映画の構成について質問したら、きっと丁寧に講釈をしてくれるだろう。でもこの映画の場合は、あえてわからないものをわからないままにしておいた方が粋なような気がする。
しかしヨルゴス・ランティモスさん。どうしてこうも不穏な話を作るのが上手いのか。ここまでわけがわからない話ばかりなのに、この先の展開が気になって仕方がない。どうやらこれらの3つの話の登場人物たちはみな、極度に依存心が強くて現実認知力がバグっている。現実はひとつのはずなのに、頑なに偏った考えにすがる人物たちを見ていると、本当には何が起こっているのかさっぱりわからなくなる。誰もが統合失調症やパラノイアなら、誰の現実も信用できない。自分自身の感覚すら信用できないからこその不安。不安が強くなればなるほど、何かに依存したくなる。もうこうなると悪夢の無限ループに陥ってしまう。
近年日本を中心としたオタク界隈では、作品に対する考察ブームが起こっている。張り巡らされた作中の伏線が、作品が大団円を迎える頃にはキレイに回収されていく。それはそれで最後まで作品を観ていく楽しみでもある。
けれど世の中の出来事は、こうも簡単に答えが出てくるはずもない。ほとんどがこれといった答えはなく、白黒はっきりしない。世界はさまざまなな濃淡のグレーでできている。完全なる善もなければ悪もない。正解がないけれど、どれもが正解でもある。そうなると偏った考え方に走ることはとても危険な思考の癖となってくる。どうしても人は不安を解消しようとして答えを早急に求めてしまう。決めつけの思考癖は、認知の歪みを増幅させやすい。
コロナ禍以降から、世界中の社会情勢が先行き不安な状態となっている。先に明るいものが見えないからこそ、人ははっきりとした答えを求めたくなる。昨今のサブカルの考察ブームは、この不安心理解消の現れ。人がつくった創作物語なら、最初からこれといった答えを用意して世界をつくっていける。作中に散りばめられた数々のモヤモヤが、最後には伏線回収という形で消化される。きれいに整理整頓された情報にカタルシスを感じる。
ヨルゴス・ランティモス監督の『憐れみの3章』には、はっきりとしたカタルシスは用意されていない。さまざまな精神疾患から生まれる悲劇を描いたこの映画。鑑賞後は意外にもなんだかスッキリした気分だった。これまでのランティモス作品にはなかったユーモアがこの『憐れみの3章』にはあるような気がする。監督の肩の力が少しほぐれた感じ。そうなると、ここで描かれているモヤモヤは、はじめから計算されたもの。「わからないものはわからないままでいい」で良い。それがいつかわかる時がくるかもしれないし、こないかもしれない。それでもいい。不安は不安のまま。その不安な状態を楽しめるようになれば、人生をライドするスキルもアップしたようなもの。この映画は不安だからこそ面白い。生きるということは不安なことなのだから。
もしかしたら、変わったのはランティモス監督ではなくて、観客である自分の感覚なのかも。そうなるとこれも認知の歪みなのだろうか。
この映画を正月早々に観た。こりゃあ悪夢を見てしまいそうだなと思っていたら、案の定、汗をかくほどの悪夢を見てしまった。寒い夜だったのにも関わらず。それが今年の初夢だった。
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