*

『ベニスに死す』美は身を滅ぼす?

公開日: : 映画:ハ行, , 音楽

今話題の映画『ミッドサマー』に、老人となったビョルン・アンドレセンが出演しているらしい。ビョルン・アンドレセンといえば、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』の美少年だ。そういえば自分が初めて『ベニスに死す』を観たのは高校生の頃。ずいぶんと昔のことだ。

久しぶりにこの映画を観てみたら、その数日後にテレビで放送されていた。やっぱり今観たい映画なのだろう。

劇中では、ベニスの街にコレラが蔓延するクライマックスもある。疫病の噂の真実性より、自らパラノイアに陥って身を滅ぼす主人公の姿が、とてもタイムリーだったりもする。果たして本当にベニスでコレラが流行っていたのだろうか?

いま日本経済を完全に狂わせているコロナウィルス。病の不安感もそうだが、その不安に翻弄される大衆が、己の首を締めるという構図は、この映画のテーマと重なる。

監督のヴィスコンティは貴族の出身。身分の高さというか、受けてきた教育や美意識の高さが、映画の画面の端端から伝わってくる。

トーマス・マンが書いた原作小説の主人公アッシェンバッハは作家の設定だった。作者曰く、主人公のイメージは、作曲家のグスタフ・マーラーをモデルにしているとのこと。映画は作曲家として職業変更されている。

映画本編では幾度となくマーラーの『アダージェット』が使用されている。そもそもマーラーは、この曲を恋人へ送るラブソングとして作曲したらしい。でもこの曲の持つ悲哀で美しい印象のせいか、葬式でかかる音楽というイメージが強くなってしまった。

映画は水の都の夜明けから始まる。もちろんマーラーの曲が静かに流れている。現代のバッサバッサとカット割りの激しい映画に慣れてしまうと、このゆっくりとした演出が心地いい。画面には次から次へと綺麗なものが入ってくる。ヴィスコンティの育ちの良さが、ぷんぷん伝わる。豪華な映像美。それだけで楽しい。

仕事の失敗で病に伏した作曲家アッシェンバッハは、ベニスに一人で療養の旅に訪れる。そこで一人の美少年に目を奪われる。壮年作曲家は、その美少年に心惹かれていく。

この映画はこの美少年の存在が要だ。ビョルン・アンドレセンの容姿端麗さは、性別や年齢も凌駕してしまう。映画のファンタジー性も高める。おじさんが少年に恋をする話なのに、LGBTの匂いはあまりしない。

私がこの映画観たのは10代の頃。当時は生命力の弱ったおじさん作曲家より、美少年の方に感情移入していた。おじさんの恋心なんてわからない。少年からしてみたら、まだ恋愛なんて興味がない。せいぜい「よく目が合うおじさんがいるな〜」と思っているくらいだろう。

容姿がどんなに良くっても、それがその人の知性と比例しているとは限らない。おじさんを悩ます美少年の頭の中は、きっと恐ろしく素朴なものだろう。その美貌から、周囲が勝手にその人を美化してしまうのはよくあること。聡明そうな顔をしている人が、喋ってみるとあまりに素朴な子どもだったりして、かえってびっくりしてしまうことなんてよくあることだ。アッシェンバッハは少年と一度も会話を交わしていない。彼の頭の中で勝手に少年を美化しているだけだ。

綺麗な人というのは厄介なものだ。本人は何もしていないのに、周囲が勝手に自分のことを好きになってしまう。人に好かれるのはいいのだけれど、それが行き過ぎると煩わしさしかない。周りの人たちも、そんな綺麗な人が身近にいると、いつもソワソワして、自分の人生が見えなくなってしまう。容姿端麗でモテモテなのは良いことばかりではない。

私も中年となり、素朴な美少年よりも、くたびれたおじさんに感情移入できるようになった。アッシェンバッハは天才がもつ悲劇の象徴。彼は疲れて弱っている。判断力も無くなっているのだろう。

観る側の年齢によって印象の変わる映画は、良い映画だと思う。生命力の低い主人公が身近に感じられると同時に、とても滑稽に見える。この神経質な作曲家のソワソワした動きが楽しくて仕方がない。

旅の途中、道化師たちがこの気難しい作曲家に声をかけてくる。道化師たちの不自然な盛り上がりも、作曲家にとっては更なる悲しみを生むだけ。自身の沈んだ気持ちと反比例なものを押し付けられて、怒りよりも悲しくなってしまう。困惑するアッシェンバッハに、クスクス笑えてしまう。『ベニスに死す』が、こんなにコメディ要素を持っていたとは、10代の頃には気付けなかった。

劇中では、アッシェンバッハは友人と美に対する芸術論を交わしている。実際にマーラーもこんな話をしていたらしい。アッシェンバッハは友人に「もっと俗物になれ」と説教される。遊べと言われて拒否反応を起こすアッシェンバッハ。彼は好んでストイックな世界に没頭しているわけではない。そもそも俗っぽいものに興味がないのだ。

この映画の制作時は、天才というものは万能のようなイメージがあったのかもしれない。でも今では天才という能力も、側面的には障害とも呼ばれてしまうのがわかっている。そうなるとアッシェンバッハは、天才として崇められつつも、生きづらさを抱えた不幸な人にしか見えなくなる。

アッシェンバッハは若さを保とうと化粧をする。でもこれは死装束。マーラーの『アダージェット』も奏でられ、ベニスで死ぬ準備を自ら揃えてしまった。

未来ある美少年を天使に見立てて、自らの葬式を進めていく。美と老い。こんな死際もあるものだ。側から見ると、醜く寂しく死んでいくように見えるおじさんの姿。でも、己にない美と若さを夢想しながら息絶えていくのだから、それはそれで幸せな死の姿なのかもしれない。

関連記事

no image

『ポンヌフの恋人』ボウイを愛した監督・カラックス

  デヴィッド・ボウイの訃報はまったく信じられなかった。1月8日のボウイの誕生日に、

記事を読む

『async/坂本龍一』アートもカジュアルに

人の趣味嗜好はそうそう変わらない。 どんなに年月を経ても、若い頃に影響を受けて擦り込ま

記事を読む

no image

『坂の上の雲』呪われたドラマ化

  今なお根強い人気がある司馬遼太郎氏著の『坂の上の雲』。秋山好古と真之兄弟と正岡子

記事を読む

no image

イヤなヤツなのに魅力的『苦役列車』

  西村堅太氏の芥川賞受賞作『苦役列車』の映画化。 原作は私小説。 日本の人

記事を読む

no image

ハリウッド映画風日本映画『るろうに剣心 京都大火編』

  今話題で好評の 実写版『るろうに剣心』第2弾『京都大火編』。 本作公開後

記事を読む

『私をくいとめて』 繊細さんの人間関係

綿矢りささんの小説『私をくいとめて』は以前に読んでいた。この作品が大九明子監督によって映画化

記事を読む

no image

夢物語じゃないリサーチ力『マイノリティ・リポート』

  未来描写でディストピアとも ユートピアともとれる不思議な映画、 スピルバーグ

記事を読む

no image

『猿の惑星:聖戦記』SF映画というより戦争映画のパッチワーク

地味に展開しているリブート版『猿の惑星』。『猿の惑星:聖戦記』はそのシリーズ完結編で、オリジナル第1

記事を読む

no image

モラトリアム中年の悲哀喜劇『俺はまだ本気出してないだけ』

  『俺はまだ本気出してないだけ』とは 何とも悲しいタイトルの映画。 42歳

記事を読む

no image

『桐島、部活やめるってよ』スクールカーストの最下層にいたあの頃の自分

  原作小説と映画化、 映画公開後もものすごく話題になり、 日本アカデミー賞を総

記事を読む

『君の名前で僕を呼んで』 知性はやさしさにあらわれる

SF超大作『DUNE』の公開も間近なティモシー・シャラメの出世

『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』 変遷するヒーロー像

コロナ禍の影響で、劇場公開の延期を何度も重ね、当初の公開日から

『アンという名の少女』 戦慄の赤毛のアン

NetflixとカナダCBCで制作されたドラマシリーズ『アンと

『MINAMATA ミナマタ』 柔らかな正義

アメリカとイギリスの合作映画『MINAMATA』が日本で公開さ

『ワンダーウーマン1984』 あの時代を知っている

ガル・ガドット主演、パティ・ジェンキンス監督のコンビでシリーズ

→もっと見る

PAGE TOP ↑