『欲望の時代の哲学2020 マルクス・ガブリエル NY思索ドキュメント』流行に乗らない勇気
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Eテレで放送していた哲学者マルクス・ガブリエルのドキュメンタリーが面白かった。『欲望の時代の哲学2020 マルクス・ガブリエル NY思索ドキュメント』と題されたこの番組では、新進気鋭の若き天才哲学者マルクス・ガブリエルの言葉を、ニューヨークや東京を舞台に対談や講義形式で伝えている。
哲学というとプラトンやデカルト、なんでもかんでも性衝動と繋げているようなユングなどの古典的なイメージが強い。でも、情報過多な現代だからこそ、生きた哲学の必要性が問われてくる。
マルクス・ガブリエルは、新実在論について語っている。番組の撮影でのニューヨークの高層ビルの一室。ひとつのテディベアを、ガブリエルは手にとって落としてみせる。ニュートンの地球の重力の実験みたい。ガブリエルはスタッフに、「このテディベアが落ちたのは偶然か?」と問う。ガブリエル曰く、これは偶然ではないと言う。
テディベアが、ここに来るまでには、多くの人の手がかかっている。テディベアをデザインする人。製造する人(工程によって、携わる人は数知れず)、それを配送する人、買う人、このスタジオに持ってきた人、ガブリエルの側に置いた人、ガブリエルがそれを手にして、新実在論の実験に使用したこと……。そもそも、このテディベアを製造しようと企画した企業の人々もたくさんいるはず。
それらの偶然が重なり合って、このテディベアがガブリエルの手元に届いている。ここまでの道のりに携わった人々の思惑はそれぞれ違う。ただテディベアがここにある事実。あまたの思惑と思惑が重なり合ってできた偶然なら、それは必然。多くの人が望んだ結果だ。
世の中の欲望は、人工的に作り上げられたものだとガブリエルは語る。ニューヨークの店先に、クリームとシロップたっぷりのパンケーキの映像が流れている。ガブリエルはそれを「気持ち悪い」と言う。これは体に害を与えるしかない食べ物。魅力的だけどおぞましい。我々がメディアによって、いつのまにか刷り込まれてしまった魅力。
もし原始時代の人が、このパンケーキを見たとしても、こんな毒を食べたいとは思わないはずだと。宣伝がなければ、パンケーキの存在など誰も知らぬまま。そもそも本来ならば必要のなかったものを、我々は日常生活の中で欲している。これこそ人工的に作られた欲望。現代の病。
最近のニューヨークの地下鉄の乗客は、スマートフォンを見る人が少ないと言う。人々がネットの危険性を意識しているからだと。ネットで検索すれば、探し物の情報はすぐに見つかるだろう。でもその真意はわからない。ガセネタの可能性も否めない。
残念ながら、ネットでは、信憑性のある情報より、恐怖や怒りの感情を扇動する記事の方がはるかにスピード拡散率が高いらしい。正しい情報よりも、センセーショナルな情報を人々が欲している。それをわかって金儲けに利用する発信者。荒んだ現代人の心情が垣間見られる。
映画やドラマ、小説なのどのエンターテイメントも、純粋に作者の「描きたかったから」とか「人を楽しませたい」というような個人的な動機で発せられていない場合が多い。企業が儲けたいだけのタイアップだらけの作品かも知れない。もっとも怖いのは、エンターテイメントを通して何某かの思想へ導かんとするもの。戦争へ向けての洗脳プロパガンダだったりしたら、たまったものでない。
ガブリエルはGAFA(Google・Amazon・Facebook・Apple)に警鐘を鳴らしている。タダより怖いものはない。それらの無料のサービスを人々が利用して、莫大な個人データを収集されてしまう。人々は、ネットの自由の名の下に自分自身の個人情報を、あらゆるところに開示してしまうことになる。企業にとっては無償で働いてくれる便利な労働力。表向きだけの自由。
かつてAppleのスティーブ・ジョブスは、自社の製品を自分の子どもには持たせなかったと聞く。自社製品の危険性を自ずと知っていたから。自分の子どもはその危険から守って、よその子どもは食い物にする倫理観には問題がある。でもこの危険性は、理性のある人ならば誰でも察知できるもの。情報を言葉通りサーフィンするか、ただただ踊らされるかは各々のセンスによってしまう。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」とは言うものの、これでは踊らされるどころか、見るだけでも心身を蝕んでしまう。ガブリエルの言葉をそのまま真っ向から受け入れてしまうと、見ざる聞かざるのストイックな生活を強いられなければならなくなる。もちろん人間本来のシンプルな生活を目指す必要性はある。しかし僧侶のような無欲な戒律ばかりの生活が果たしてできるものだろうか?
小説などの、物語がメディアで発表され始めてから、犯罪が減ったともガブリエルは分析している。物語を通して、様々な人生を知る機会が増えた人々の心が、落ち着いていったのではないだろうか?
『ネバーエンディング・ストーリー』や『モモ』の作者ミヒャエル・エンデの言葉が現実となる。「芸術は嘘の中に真実がある。その嘘と現実が分からなくなったときに、芸術は毒となる」
いま、巷にあふれる物語のほとんどは、商業ベースで作られたもの。現実逃避的な娯楽作品が多いのが時代の象徴。現実が生きづらいからこそ、虚構の世界にすがるようになる。企業もそれを知っていて、現実逃避系エンタメを大量生産して金儲けを考える。踊る阿呆と見る阿呆、作る阿呆との攻防戦。そうなるとかなり虚しい。
ストイックでシンプルな生活は理想だが、それも行き過ぎるとめちゃくちゃ尖ってくる。心休まるどころか、ビョーキになりそう。情報過多な世の中で、どう精査していくかがいちばん大切。時にはわかっていても踊らされるのも、適度なガス抜きとして必要。自分で考えて、自分の行動は自分で責任を持つ覚悟ができれば、もっとラフに楽しめる。いい加減さも必要かと。
ガブリエルは、本来哲学は学校でも習うべきだと言う。自分で見定めて考えて判断する力は、この情報氾濫社会ではマストなスキル。現代には哲学が必要らしい。
もしかしたら映画『マトリックス』みたいに、現実だと思っていた自分がいる世界は実は偽物で、バーチャルな世界こそが現実かも知れない。ガブリエルは小さな娘と話し合ったと言う。娘さんは「なら、いま現実だと思っているこの世界が現実ね。だって私たちは考えて生きているもの」
ガブリエルは、自分が研究しているものを、娘はすでに理解していたんだよと笑う。パスカルの言葉のまさにそれ。「人は考える葦である」
もし学校で哲学を教えてしまったら? 人々が自分で考える力を身につけてしまったら? きっと困る人がたくさんいるのだろう。人々が考えないからこそ成立する資本主義社会。ホントの幸せって一体何?
コロナ禍の影響で、世界の経済状況がまさにひっくり返らんとしている。綱渡りのような資本主義社会も、根底が崩れていくかも知れない。最近のガブリエルの発言では、人類の地球への自然破壊に比べたら、コロナ禍は些細なことかも知れないらしい。もしかしたらコロナも、地球規模からしたら人類淘汰の一環かも知れないと。
不要不急の外出は控えなければいけない厳戒態勢になった世界。家に閉じこもって、ストイックな生活を強いられた人々。この与えられた時間で、自分にとって本当に必要なものと不要なものが見えてくるはず。
このコロナ騒動が終わった後、元の生活にただ戻ってしまうのでは意味がない。コロナ禍の後の世界で、生き残った人々がいかに取捨選択できるか。人類のバージョンアップが問われてくる。それは壮大な物語ではなく、個々人の幸せな人生への道。
自分で考える術を学ぶ哲学。マルクス・ガブリエルのような哲学者の登場は、哲学を学問というよりも、よりファッションに近づけた。哲学ってクールでカッコいい!
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