『ショーイング・アップ』 誰もが考えて生きている
アメリカ映画の「インディーズ映画の至宝」と言われているケリー・ライカート監督の『ショーイング・アップ』。現在劇場公開中の『ファースト・カウ』も話題で、イケてる感に煽られてしまう。『ファースト・カウ』が2020年製作で、この『ショーイング・アップ』が2023年度作品なので、『ショーイング・アップ』の方が最新作になる。
U-NEXT企画によるA24スタジオ作品の日本未公開作品特集でこの映画を知った。A24と聞いただけで、なんだか面白い映画なのかと思えてしまう。ブランディングの成功。むしろ日本で無名なインディペンデント作品は、A24配給の肩書があるだけで振り向いてもらえそう。この『ショーイング・アップ』は、今回のA24特集の目玉作品のようで、いつもいちばん最初に紹介されている。確かに『ショーイング・アップ』単独では、日本でどう宣伝したらいいか迷う地味な映画。
この映画の事前情報は、このイベント告知のビジュアルくらいしかない。海外公開版の予告編はYouTubeでも観れる。でもこれだけ情報があれば、自分が好きな作品かどうかはだいたい見当がつく。映画鑑賞前の作品情報は、過度に知らない方がいい。いつのまにか映画の宣伝は、内容のほとんどを事前紹介して、「結末は劇場で」というものばかりになってきた。そこまで観せてしまっては、わざわざ映画館まで観に行く必要性を感じなくなってくる。下手すると、観てもいないのに、すでにその映画を観た気になっていることもある。作品選びは自分の直感を信じたい。
1990年代後半くらいまでの映画選びは、雑誌『ぴあ』に掲載されている写真と記事だけだった。ネットも今ほど情報が氾濫しておらず、最低限のものしか流れていない。逆にハリウッドや日本映画の大作は、予告編で作品の目玉シーンを全部盛り込んだもので、映画館でその映画を観るときには、「予告編で観たあの場面はここで来るのね」と、答え合わせをしているような感じだった。観せ過ぎの予告編が、かえって映画をつまらなくさせている。でも作品選びが苦手な人は、その答え合わせ的な鑑賞方法の方が安心する。映画の予告編も「この作品は前作⚪︎⚪︎をつくったスタッフです」という紹介のされ方はマストとなっている。嗚呼、肩書社会のやるせなさ。まっさらに近い状態で、作品選びをしたいものだ。と、言いつつ自分もA24スタジオ特集という肩書に喰いつているミーハーさ。
『ショーイング・アップ』が、芸術家の日常を描いたコメディというだけで、自分の興味は高まる。A24というとホラー映画の印象が強い。自分は怖い映画はあまり得意ではないので、観るときはかなり体力と覚悟が必要。この『ショーイング・アップ』は、リラックスして観れそうだ。
どんなに天才で世界的な評価が高い人でも、毎日の生活はある。主人公のリジーは美術大学で、母親と一緒に事務管理業務をしている。日本の作品プロット紹介では、「リジーは美術大学で教鞭を執っている」となっているので、大学講師かと思いこんでしまった。劇中ではリジーが生徒を指導する場面はなく、事務管理に日々追われている様子。生徒たちも、リジーが芸術家だとは思っていない感じ。
大学の仕事はなにも講義ばかりが仕事ではない。教授クラスになって、自身の研究に没頭できるものかと思いきや、そればかりが仕事ではない。大学教授の仕事は大まかに三種類に分かれると聞いたことがある。研究者になれて、成果が世間的に評価される仕事ならいちばんしっくりいく。でも、学校の運営にまわる先生もいれば、完全なる事務職に落ち着く先生もいる。そうなると権威ある人も、日常は世俗的な仕事をしているだけかも知れない。なんとなく夢が潰える。もしかしたら事務職に就いているリジーは、この映画で見える以上に立派な肩書きを持っているのかも知れない。
リジーは、地道に毎日事務作業をしながら、自身の個展に向けて作品制作に勤しんでいる。日々の生活のための仕事と、自己表現のための作業。前者は生きていくための最低限な経済収入なので、好き嫌い問わずやらなければならない。後者はあくまで自己実現の作業なので、誰に求められることもなく自発的にやっている。芸術が創られるには特別な環境は必要ない。芸術家が凡庸な日常に振り回されている姿はかなり面白い。
とかく芸術は金がかかる。美術大学に通う生徒というと、実家が太かったりしなければ、なかなか職業まで続けられない。財力も才能のうちという世知辛さ。芸術とは特別なものではなくて、心身から生み出す彩りのようなもの。芸術が誕生する土壌は、切羽詰まった環境ではない方がいい。優雅さは芸術の魅力でもある。レセプションのような華やかさは、地味な創作の日々の中でのアクセントでしかない。クリエイターの生活はものすごく地味。
リジーは作品が創りたい。それなのにさまざまなしがらみが、彼女の創作の邪魔をする。ことさら動物たちに振り回されているのが微笑ましい。眉間に皺を寄せて、イラつきを必死でこらえているリジー。その姿が笑えてくる。人生なんて、忙しいときこそ横槍が入ってくるもの。リジー本人に共感すれど、彼女のような状態には辛くて陥りたくない。もの創りあるある。これは他人事だからこその笑い。観客の意地悪心をくすぐってくる。
ストレスが重なると、些細なことでも腹立たしくなる。リジーのストレスのひとつひとつが、何かしらの大きなトラブルに向いそうでモヤモヤする。この日常のモヤモヤ感がとてもリアル。従来のコメディなら、それらの伏線が大団円に大きなトラブルに発展していく。リジーの不安は、劇作品としてどうやって回収されていくのか。『心配事の9割は起こらない』なんて本があったが、取り越し苦労で人生ダメになってしまうことなんてよくあること。はたしてその「実際に起こらない心配事」の正体は一体何なんだろう。
きっとそれは原始時代の記憶まで遡る。ちょっとした判断の間違いで命取りとなりかねない社会では、感覚を研ぎ澄ませて生きる必要がある。現代社会では直接命に関わるような危険は滅多に起こらない。人間の遺伝子にデフォルトされている研ぎ澄まされた感覚は、近代社会では使い勝手の悪い過剰反応でしかない。ただ時代とともにこの感覚が退化していかなかったということは、このような過剰に不安を察知する能力は、まったく不必要ではないのかもしれない。もしかしたら芸術家の能力は、その研ぎ澄まされた感覚こそが必要なのかも。
リジーの周りでトラブルが起こりそうな気配が立ち込める。ちゃぶ台ひっくり返すような大騒動の展開になるのか。映画を観ている限り、そんな子どもじみた展開にはならないだろうとは予想がつく。むしろドタバタ劇に発展してしまった方が、ストーリー展開としては作者はラク。登場人物たちがエキセントリックでも、みんな最低限の常識はわきまえている。自分勝手に振る舞っているようでいて、周りを気にしながらみんな生きている。自分はもうケリー・ライカート監督が導こうとしているところを信じている。ハプニングは素敵な出来事に昇華していくと。
今回ケリー・ライカート監督の作品を初めて観た。きっとどの作品も、このような人同士のミラクルな化学反応が描かれているのだろう。世知辛い世の中では、ここで描かれる優しい世界観は「至宝」にもなってくる。
自分が感じて考えているのと同じくらい、周りの人も感じて考えて生きている。だからそのちょっとした心遣いで、ものごとは良い方に向かっていく。くれぐれも早とちりして、ちゃぶ台をひっくり返さないように。ケリー・ライカートはそんな教訓を与えている。自分ひとりがピリピリしなくとも、黙っていてもみんなものごとの道理はわかっている。他者も自分も信じていいと。
もし自分が感情にまかせて失態を侵してしまったとしても、周りが許してくれることもある。顔見知りの間柄なら、人は他人に寛容になれる。自分も許してもらえたのだから、ちょっとしたことくらいなら他人も許してあげよう。そうして社会は優しくなっていく。安心して生きて良いのだと思えてくる。
『ショーイング・アップ』は、激しいことは何ひとつ起こらない映画。だからこそ響くものがある。鑑賞後、静かな幸福感が生まれてくる映画だった。
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