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『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022 +(プラス)』 推しは推せるときに推せ!

公開日: : 映画:サ行, 映画:ラ行, 映画館, 音楽

 

新宿に『東急歌舞伎町タワー』という新しい商業施設ができた。そこに東急系のシネコンが導入される。その映画館は、坂本龍一さんが音響の監修をすることが事前に発表された。坂本龍一推しの自分としては、とても興味深かった。

坂本龍一さんは昨年2022年の末、配信コンサートが開催されていた。ニュースでも報道されたが、すでに末期癌の彼が、これが最後の演奏になるのではと覚悟のもとの公演だった。1時間以上の演奏ができるほどの体力はもうないので、体調のいいときに少しずつ収録したというフィルムコンサート。ちらと映像を観ただけでも、撮る方も撮られる方も、とても丁寧に記録を残そうと、並々ならぬ意気込みが伝わる。でも自分は、配信コンサートの手続きの煩わしさから、このライブ中継を見逃してしまった。

その後、坂本龍一さんご本人から、このコンサートの長尺版の映画を制作して、のちに公開すると発表があった。きっとあの新宿にできる新しい映画館のこけら落としになるのだろうと期待した。

件の『東急歌舞伎町タワー』にできる『109シネマズプレミアム新宿』の詳細が発表されて、SNSでは大騒ぎになった。入場料が4,500円からという高額。IMAXなどのラージフォーマットが幾ら高額とはいえ、せいぜい3,000円台前半。自分は普段からサービスデーなどを駆使して、少しでも安く映画を観ようとしている。2,000〜3,000円でも映画鑑賞にしては高すぎる。そんな高い入場料を払って映画を観るなんて震えてしまう。だからどんなに『109シネマズプレミアム新宿』で、大好きな坂本龍一の特集が組まれても、そこへ行くご縁はないだろうなと思っていた。

4月2日に坂本龍一さんの訃報が発表された。そのときが近いということは、ファンの中ではおぼろげには覚悟していた。でも実際になってみると、ものすごい喪失感があった。思えば自分は、小学生の頃からの坂本龍一ファン。人生のほとんどは坂本龍一ばかり聴いていた。そのときそのときに聴く音楽は変わっても、坂本龍一だけは変わらずいつも聴いていた。自分にとっては、子どもの頃から憧れのおじさんだった。芸術や政治的な発言も多く、自分の感性や審美眼を磨かせてもらった。推しであり師でもあった。

坂本龍一さんの新作はもう聴くことができない。坂本龍一さんの政治批判も聞くことができない。今後日本がどんどん下り坂になっていくなか、坂本龍一の損失は自分にとってとても大きい。これほど発言に影響力がある人は、日本にはもういない。自転車の補助輪を、急に外された感じ。でも反面、もう補助輪無しでも、自分で自転車を運転できているのではないかとも思えている。坂本龍一師匠から、「もう甘えないでね」と言われているようにも感じる。いつも坂本龍一が側にいたので、まさかいなくなるとは想像すらしていなかった。癌になる前までは、頻繁にコンサートをしていた。いつでも会える感がそこにあった。推しは推せるときに推しておかないといけない。推しを推せる今の状態が、永遠に続くことはないと知った。

いち坂本龍一ファンとして、『109シネマズプレミアム新宿』は、奮発して行っておかなければならない場所となった。思えばこの映画館のある場所は、かつて『新宿ミラノ座』があった場所。1,000人収容できる大型映画館。自分は10代のころにそこで『ラストエンペラー』を観た。今みたいにチケット予約がないので、映画館の裏まで行列に並んで映画を観た。あの頃はまだ、新宿は映画の街だった。

『109シネマズプレミアム新宿』では、限定公開の『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022 +』を迷わず選択。というより、このコンテンツが観たい。昨年末のライブ映像だ。タイトル末尾に『+』とつくのは、配信済みの映像に、一曲追加したかららしい。どうやら以前坂本龍一さんが言っていた長尺版の映画版とは別物みたい。それでもこのコンサートは観ておきたい。坂本龍一監修の映画館で。

新宿駅から映画館に向かう道、歌舞伎町の街中の歩道にはゴミが散乱していた。自分は午前中に動き出したので、まだ街は不夜城の成れの果てみたいになっていた。ここまで汚い街は久しぶり。そのゴミの道路の向こうにそびえ立つ『東急歌舞伎町タワー』。そういえばこの歌舞伎町に前からある先輩シネコン『TOHOシネマズ新宿』の側に、『東横広場』と呼ばれる場所があった。そこには行き場のない若者たちがたむろしていて、社会問題にもなっていた。あそこに集まる若者たちは、いったいどこへ行ったのだろう。家に帰れない若者たちが自然と集まる場所。日本でもワーストの治安の悪い場所のイメージもあった。それを払拭させるための再開発がこの『東急歌舞伎町タワー』プロジェクト。

まるで子どもの頃みたアニメ映画『銀河鉄道999』の未来都市のようだと感じた。あのアニメの未来都市は、高層ビルの足元はスラム街だった。警鐘を鳴らされたディストピアが、いまここにある。『東急歌舞伎町タワー』は、まるで「資本主義の魔窟」のようなグロテスクな建物だった。なんだか坂本龍一に似つかわしくない。

劇場はその商業施設の9階と10階にある。建物の入口階は、飲食店やゲームセンターがある。映画『ブレードランナー』を模した、サイバーパンク世界のフロア。あの映画を観たとき、あのディストピア感は確かに魅力的だった。でもそれは、映画美術としての魅力であって、けして住みたい場所ではない。階下の人混みを逃げるようにエスカレーターへ。エレベーターは混みすぎて使えない。映画館へ到着する頃にはすっかりエスカレーターに飽きていた。

映画館のロビーは、ホテルのラウンジのよう。次回公開の予告編がガンガンかかっているような下品さはない。坂本龍一のオリジナル音楽が小さくかかっている。よく見るとロビーのスピーカーは、坂本龍一が自身のスタジオでも愛用しているメーカーのもの。確かに坂本龍一好きにはたまらない。

ロビーの奥のエリアは、『2001年宇宙の旅』のインテリアを模している。なんだかチグハグなコンセプト。ソフトドリンクとポップコーンは、注文し放題らしいが、そんなに飲み食いできるはずもない。基本的に自分は映画鑑賞中は食べたりしないので、おかわり自由の恩恵はあまり受けられない。

坂本龍一のファンはオシャレな人が多い。自分は坂本龍一のコンサートに行く感覚で、黒っぽい服装で臨んでいた。映画館に来てみると、客層が従来の坂本龍一ファン層とは雰囲気が違う。どちらかというと、観光客が土産を買いに来たようなラフないでたち。どうやら坂本ファンというよりも、話題のスポットにやって来た人たちが大多数のようだ。アーティストのフィルムコンサートなのに、ちょっと予想外。

館内に入ると、防音のすごさに圧倒される。裁判所のような緊張感。これはお腹が鳴っただけでも劇場内に響きそう。映画が始まると、坂本龍一さんが奏でる一音一音にいちいち驚かされる。すごい音響。いままで聴いたことのない音。噂通りのものだった。

坂本龍一さんのピアノの周りには、たくさんのマイクが仕込んである。ピアノの軋みやフットペダルを踏み込む音でさえ、腹に響くような音で迫ってくる。鍵盤やピアノ線の音なのだろうか、あまり聴いたことのない音までマイクは拾っている。ノイズといってもいい音。このノイズは意図的に拾ったものだろう。近年の坂本作品でも、環境音や反響音など、いままでノイズとして排除されてきた音を全面的に利用している。デジタルが行き着く先にはアナログがある。人の心を動かすものは、人間には直接聞こえないような事象も作用している。それは理論理屈、数式などでは算出できないもの。

想定外のノイズさえ、このライブの意図とするならば、一瞬たりとも聴き逃すことはできない。坂本龍一の音楽は、一時期ヒーリング・ミュージックとも言われたが、このライブ映像はとても緊張感みなぎるものだった。ポップコーンを食べながら鑑賞するなんてもってのほか。ドリンク飲むのだって勇気がいる。映像記録がスクリーンに投影されているだけなのに、疲労感が半端ない。演者と観客の真剣白羽のサシの勝負。

それでも劇場では、いびきをかく観客もいた。高い入場料を払って、これほど緊張感のある環境でも寝てしまう現代日本人。いささか疲れすぎ。さすがに最後の『戦場のメリークリスマス』の演奏では、場内で啜り泣く声も聞こえてきた。やっぱり観客は坂本ファンだったのか。

坂本龍一も、これが最後の『戦メリ』だと意識して弾いている。観客もこれが最後の『戦メリ』だと分かって聴いている。坂本龍一の曲は繊細なものが多い。でも演奏はけしてか弱いものではない。生で演奏を聴くとはっきりわかるが、坂本龍一のピアノのタッチは力強い。このライブ映像でも、その坂本龍一の力強い演奏は記録されている。重い病気のなかの渾身の演奏。もうこれが最後でも納得できる。

セットリストの中には、40年前のYMO時代の曲も揃えている。『東風』なんかは、シンセサイザー用につくった初期の曲。のちにセルフカバーでのピアノアレンジ版もある。そのときは連弾だった。今回はソロでの演奏。テンポの速い原曲を、一音一音ゆっくりと弾いている。若いときのような速弾きができなくなったのもあるだろうけど、音の響きを楽しんでいると言った方がこの場合は適切。不自由になったら、それを嘆くよりも利用する。老いとはそんなもの。若いときには考えられなかった表現も生まれてくる。

『東風』の演奏中、坂本さんがふと笑みを漏らす。この曲は、自分が坂本龍一に夢中になるきっかけになった曲。

自分が小学生のとき、世間は異常なほどのYMOブームだった。どこへ行ってもYMOの曲が聴こえてきて、日本は完全にYMOに乗っ取られていた。小学生の自分は、その頃から捻くれていたので、社会現象となっていたYMOは聴きたくないと感じていた。いとこの家にあったアルバム『増殖』のジャケットが怖かった。『増殖』のタイトルの通り、彼らを模した人形がたくさん並んでいるビジュアルにものだった。

そしてYMOが人気の盛りの中、「散開」という形で活動休止宣言がされた。その「散開コンサート」の模様が、大晦日の夕方にNHKで放送された。そのライブ中継の一曲目が『東風』だった。この演奏を聴いて、初めて自分はYMOのカッコ良さにシビれてしまった。とくに坂本龍一のナチス風衣装に、ニューウェーブ調のメイキャップがカッコよかった。日本のヒットチャートを賑わせているのに、歌がメインじゃないのもいい。汗をかかないドライな感じも好みだった。

そうか、あれから40年も過ぎたのか。坂本龍一も歳をとったけれど、自分も歳をとった。まさか自分の子どもが、YMOと出会ったころの自分の年齢を越えてしまうとは想像すらしなかった。晩年の坂本龍一が奏でる『東風』。一瞬にして時間を超えた。若き日のギラギラしている坂本龍一と、その姿にシビれていた小学生の自分が重なる。まさか坂本龍一が亡くなるなんて。月日の長さを実感せずにはいられない。このライブ映像『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022 +』の上映会を通して、自分の中でひとつのお別れの儀式が執り行われたように思える。

映画が終わり、『歌舞伎町タワー』の階下へ向かう。エスカレーターで下に降りていくにつれ、喧騒が近づいてくる。映画の余韻に浸りたいとろだが、下界は溢れんばかりの人混み。先程まで緩んでいた感覚に、一気に緊張感が走る。まるでいきなり六道輪廻の下の世界へと堕とされたみたい。

芸術には静けさやゆとりが必要。悪いイメージの場所を、繁華街に立て直す計画は古今東西どこにでもある。今の歌舞伎町は昔と違って、芸術とは縁遠い場所。この新しい商業施設が、今後この地にどんな化学反応を起こしていくのか、距離を置きながら見守っていきたい。とにかく今日は、早々にこの地を立ち去ろう。はたして歌舞伎町の未来は如何に。

次は坂本龍一のこのライブの長尺版を楽しみに待ちましょう。その映画を観るときが、本当に坂本龍一とのお別れになると思う。はたしてどこの映画館でその映像を観ることになるのだろう。

それでも、人々の生活は続いていく……。

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