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『チ。 ー地球の運動についてー』 夢に殉ずる夢をみる

公開日: : アニメ, 映画:タ行, , 音楽

マンガの『チ。』の存在を知ったのは、電車の吊り広告だった。『チ。』というへんなタイトルがキャッチーだった。絵柄からして怖そうな内容なのは想像がつく。なんでも地動説が題材の中世ヨーロッパの話だって? 歴史好きな自分としては、俄然興味が湧いてしまう。でも怖い作品は観たくない。この作品は歴史的にはフィクションだと知った。さて、『チ。』を観るか否か。圧倒的に後者の方が強い。怖いものは自分は大の苦手。作品から漂ってくる雰囲気は、知的好奇心よりも暴力描写のグロさの方が強い。悪趣味なのは、日本のアニメやマンガでは定番の題材。さあ『チ。』は観ないと決めたぞ。

このマンガがアニメ化となることが話題になった。NHKで放送されるのだけでも作品に箔がつく。NHKで暴力的な作品といえば、すぐ『進撃の巨人』が思い浮かぶ。『進撃の巨人』は最高だった。しかも今回、この『チ。』の劇伴担当が牛尾憲輔さんということ。困ったことにそれだけで観たくなってしまう。自分はテクノが好きなので、電気グルーヴのサポートメンバーでもある牛尾憲輔さんはかなり好き。ソロ活動のagraphも普段からよく聴いている。彼が劇伴を担当するというだけで、その作品を観たくなってしまう。なんでも今回は『チ。』の原作者である魚豊さん直々のご指名とか。自分の作品が映像化されたあかつきには、ぜひ牛尾さんにお願いしたいと。個人的にオファーしてしまったとか。

牛尾憲輔さんといえば、自分が大ファンである坂本龍一さんとの逸話も有名。「いま劇伴担当している作品の途中で、もし自分に何かあった場合は、牛尾くんにお願いして欲しい」とまで坂本龍一さんに言われていたとか。『チ。』での牛尾憲輔さんの劇伴は、覚えやすいメロディの楽曲はあまりない。叙情を煽るような音楽の付け方は絶対にしない。彼が担当するのはアニメ作品の劇伴が圧倒的に多いけれど、効果音や登場人物たちの心情を包み込むように表現する音楽の存在は、感覚的に新しい。そういえば同時期に『ダンダダン』の劇伴も担当していた。そちらと『チ。』とでは、まったく違うアプローチなのも、牛尾さんの引き出しの多さを感じさせる。

今回の『チ。』のサントラ曲で、牛尾さんがニュース番組のインタビューで解説しているのが興味深かった。それも軽くネタバレ。主要登場人物が死んでいく場面でかかる曲。メロディ部分は、地球を0起点として太陽系の惑星の後転をループさせているとのこと。音楽は理系。作品との親和性のあるアプローチ。悲惨な死の場面ではあるが、心理的には祝福されながら最期を迎えるような音楽の演出。かっこいい。

サカナクションの主題歌も良かった。YouTubeではノンテロップオープニング映像が流れていて、本編を観る前からお馴染みになっていた。作品の世界観を想像させる。フルバージョンが公開されたらすぐさま、世界的な大ヒットとなった。それこそCreepy Nutsの『マッシュル』の主題歌や、YOASOBIの『【推しの子】』の主題歌からの歴代3位とか。すごい。

サカナクションのフロントマンである山口一郎さんはうつ病だったのは有名な話。この『チ。』の主題歌である『怪獣』のフルバージョンは、山口さんの闘病の合間につくられたとか。重苦しい作品の主題歌と、闘病中のミュージシャンの心情はみごとにマッチした。『怪獣』は、奇しくも世界的大ヒット曲になった。海外の評価は、山口一郎さんがうつ病だったということに関心が向く。日本でもここ数年でようやくメンタルヘルスについて重きを起きはじめた。うつ病がどんなものかよく知っている海外の人の方が、その辛さに共感できるのかもしれない。

なんでもサカナクションは、アニメの主題歌は今回が初めてだったとか。サカナクションはNHKにも好かれているし、満を持しての大抜擢だったのだろう。この新曲『怪獣』は、今までのサカナクションのイメージとだいぶ違う。サカナクションといえば、テクノの音にスカした感じでパフォーマンスしているような、クールなイメージが強い。この『怪獣』は、地べたを這いずり回るような必死な叫びのような歌い方をしている。ライブでこの曲をサカナクションが歌ったら、山口さんは次の曲にいけなくなってしまうのではといらぬ心配をしてしまう。これこそ魂の叫びというやつ。『チ。』を観る前からすでに、この主題歌も大好きになっていた。

自分は『チ。』を最初からホラーアニメとして観ていた。予想通りとにかくずっと怖い。天動説が主流だった時代に、弾圧を受けながらも地動説を研究して、立証しようとした人たちの物語。天動説はときの政治から、宗教的にも正当とされていた考え。地動説をうたう者は異端者とされて迫害される。それこそ拷問の上、生きたまま火あぶりにされてしまう。でもここまでの弾圧はフィクションらしい。ではなぜ作者は、これほどまでの恐怖政治の世界を舞台背景に選んだのだろう。

登場人物たちが地動説に触れてしまう。そしてその悪魔の学問に呪われる。登場人物たちは、その悪魔の学問に心酔し、破滅の道を辿っていく。エピソードが変わるたび、主人公が変わっていく。新しい登場人物が登場するたびにフラグが立つ。破滅の美学とはいえ、観客としてはハラハラする。その学問に触れちゃダメと、登場人物たちに言いたくなる。まるで地動説が人に寄生して、食い潰してはホストを変えているかのよう。地動説はモンスター。もうホラーアニメ以外のなにものでもない。登場人物たちは、魔法や特殊能力を持っているわけではない。共通点としては、天才的な頭の良さが武器。頭がいいからこそ、地動説の真実性がすぐ理解できる。勉強ができるというのが特殊能力ならば、彼ら彼女らは特別な存在でもある。でもまた逆にそれがものすごく危うくも見える。

高学歴の人はカルト宗教にハマりやすい。カルトに全身全霊を捧げて、ないものもあるもののように詭弁を重ねる。そして最悪、前代未聞のテロ行為をしてしまったりもする。オーバーテクノロジーに心酔して、世界を破壊するほどの兵器をつくってしまうのも天才の成せる技。そんな狂気もこの『チ。』で描かれる怖い部分でもある。観ている間、緊張しすぎて肩が凝ってしまう。

地動説という現代では当たり前とされている学説を選んでいるのは分かりやすい。弾圧による暴力描写が、このアニメのテーマでもある。これが宗教弾圧の作品だとしたら、観客はどこに感情移入したらいいのかわからない。なによりまだ現代では、神の存在は科学では解明されていない。いや、もしかしたら解明されてはいるのかもしれないけれど、まだそれを発表するタイミングではないだけなのかもしれない。それこそこのアニメでも語られているように、学説などときの政治でいくらでも変わってしまうということ。

このアニメはとにかくひとり語りのセリフが多い。登場人物たちは流暢に自分の思想を言葉にしている。その人の立場や残酷な生い立ちゆえのそれぞれの思想。基本的に頭のいい人たちなので、雄弁なのはありうる。でも現実にはここまで自分の思想を冷静に言葉にできる人はあまりいない。自身を客観的に分析できるだけでも尊敬してしまう。実際にこんなにたくさん自分語りをされたら、めんどくさくて誰にも相手にされない。中には文字を読めない人物でさえ、自分のことをしっかり言葉にしている。観客にとっては、その人物を知るきっかけとはなるが、そこはファンタジー。現実的ではないのは承知のこと。

『チ。』というコンテンツは、アニメと親和性が高い。演劇的でもあるひとり語りの場面は、綺麗な映像と音楽、うっとりするような声優さんたちの演技で、この残酷なファンタジーに現実との橋渡しをしてくれる。このアニメでの理屈っぽいひとり語りの場面は、ミュージカルシーンみたいなもの。それこそひとり語りで、台本の10ページくらいセリフだらけの場面もざら。悪夢的な生き地獄の世界を描いているものの、めちゃくちゃ綺麗な表現が多用される。これがこの作品の人気の理由だと思う。

ひとり語りの多くは、始めは理系の頭の回転の速い情報として語られる。天動説と地動説の確執から、いつしか神の存在を問い、自分で考えろと哲学へと展開していく。溢れんばかりの言葉の情報量で、何が何だかわからなくなってくる。結局何が言いたいのかと、観客をケムに巻く。登場人物は先天的な性格からというよりは、後天的な環境によって人格形成されている。この生い立ちの人物たちだからこそ、その思想へとなっていく。図式的な人物像。そこも理系。

「神はいない。だからカネを信じる」「宗教のような人がつくった人工的な神は信じない。でも自然には神が宿ってい。それは信じる」 答えの出ない問答にゾクゾクする。やがて「疑え、そして信じろ」という両極端な考えへ帰結していく。いまのネット社会も揶揄する現代的なメタ表現。答えがないことを考えることは、人間らしくもあり哲学でもある。作者である魚豊さんは、この作品で哲学をやりたかったとも言っている。魚豊さんがこの『チ。』を描き始めたのは20代の始め。死への多大なる恐怖心が、この作品の執筆のモチベーションだったと言う。それこそ死を意識してこそ、始めて生かされていくもの。メメントモリ。

この暗いアニメが、若い人を中心に受け入れられたことに意味がある。この失われた30年での日本のアニメは、死を描くような暗い題材を扱うだけで、企画は通らなかった。暗い現実をメディアがひた隠しにしていた30年。いま2025年になってようやく堂々と暗い題材を扱えるようになってきた。若者は生命力があり過ぎるからこそ、死に憧れるという。ゴシックや地雷系など、死をイメージさせるファッションも、逆に生命力の現れでもある。破滅に向かってまっしぐらの登場人物たちの姿をみて心震わせる。『チ。』は、溢れんばかりの生命力を鎮める作用があるのかもしれない。自分のような初老の人間からすると、この作品の持つ鎮火作用は、効力が強すぎる。1話観るごとにへとへとになってしう。イッキ観できない。そしてなんとか全編通して観終わったあとは、すっかり元気がなくなってしまう。

これからが人生の若者が、何かに夢中になっていくこの作品の登場人物を輝かしく見ているのかもしれない。たとえそれが破滅に向かうものだとしても、命懸けで没頭できる姿は英雄的。でもそれはけして真似をしてはいけない生き方でもある。だからこそのフィクション作品で、その激しい感情を浄化させる必要がある。

登場人物たちには極端に良いところと悪いところがある。この人、主人公として信用していいのかどうか、意図的に観客を迷わせようとしている。ときには激しいメタ描写をして、作品の世界観をひっくり返したりもしてくれる。作劇としてずるい。登場人物はみなイヤな感じ。でもここまでイヤならば、自分に近いところがあるのだろう。自分と同じMBTIの登場人物は誰だろう。

どうやらヨレンタさんという女の子が自分に近いMBTIらしい。そう言われてみると、彼女の発言はいちいち共感できる。「文字は奇跡ですよ」と彼女は言う。もういない人の話題に、笑ったり涙したりできる文字。絶対に会えないような人の思考にそのまま触れることができ、自分のために言葉を発してくれるのも文字。もしかしたら自分の残した文字も、誰かの背中を押すことができるかもしれない。そんな文字の奇跡。その凄さは自分もよく考えている。『チ。』は群像劇なので、いろんなキャラクターが登場する。SNSではほとんどの登場人物は呼び捨てで呼ばれる中、ヨレンタさんだけはなぜか「さん」付けというのもおもしろい。

第1章から3章と最終章までの4部構成の『チ。』。エピソードをまたぐキャラクターは、作者もきっと好きな人物なのだろう。悪役にあたるノヴァクは、怖すぎてすぐ好きになる。平気で人を殺すくせに、気さくなところもある。このズレ方が怖い。こんな人、実際にいたら絶対にイヤ。演じているのは津田健次郎さん。まさに名演。津田さんはまたもや金髪の大男の役。おもしろそうなアニメには、たいてい津田健次郎さんか、中村悠一さんの声がある。中村悠一さんは、今回はバデーニという第2章の主人公の役で、こちらもまたもや切れ者の大男。

この作品の興味深いところは、普段は良いことを言っている人物が、いざとなったら卑怯者になったり、普段悪態をつきまくっている人物が、誇り高い行動をとったりする。人間は善悪あわせ持つ生き物だと言わんとばかり。極端な思想は身を滅ぼす。そんな教訓も作中に垣間見られる。

失われた30年といえば、今年でオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたのもちょうど30年前。『チ。』が最終回を迎えた3月、NHKではこの事件の特集番組を多く放送していた。現代の日本社会で起こったアニメみたいなテロ事件。この首謀者たちも高学歴の学者タイプばかりだった。勉強ができて頭がいいはずの人たちが、なんでこんな反社会行動をしてしまうのだろう。この問題は『チ。』にも通ずるものがある。

地動説は現代では当たり前とされている。『チ。』に登場する学者たちが正論を言っているのは、観客の誰もが知っている。間違っているのは天動説を主張する権力者や政治の方。このアニメの世界で地動説を語るのは反社会的行為。理不尽に弾圧されていく登場人物たちに同情する。後半、ちゃぶ台をひっくり返される。弾圧されて死んだキャラクターがもし生きていたら? かつての被害者が加害者となる。あとさき考えずに、自分の知りたい研究に没頭してしまう人の姿は狂気にも見える。その目的のためには他人のことなどまるで見えてこない。愛すべき登場人物が、恐ろしいサイコパスになって再登場する。同じ人間でも、立場が違えば何をするかわからない。そんな危うさを描いているのがおもしろい。

ここで思うのは、どんなに高い知識があったり勉強ができたとしても、自分で考える力がなければ、モンスターにもなりかねないということ。若い作者の創る、あまりにペシミスティックな世界観。他人に期待してはいけないけれど、自分の中での希望は捨ててはならない。だからこそ自分で考えることが重要となってくる。情報過多の混沌とした現代社会だからこそ、哲学の重要性を感じさせる。

伏線回収の劇作が今は人気がある。物語の大団円には、あれやこれやが繋がってくるカタルシス。現代は不安ばかりの世の中だからこそ、すべてがスッキリまとまってくる物語を人は求めている。この『チ。』では、あえて伏線回収をふわっとさせている。あれはいったいどうなったのだろうと、観客に考えさせる。こうなったということは、あのときのあれはたぶんそうなったのだろうと思わせる。語られてはいないけど、なんとかなったのだろう。直接的なエピソードは描かないで、あえて余白をたくさん残している。観客の想像力が試される。それくらい自分で考えろと、作者からの挑戦状かもしれない。

かつては処刑は見せ物で娯楽だった。弾圧された少数派を犠牲にすることで、民衆の心を抑えてみせる。治安をおさめるには、安易にできる悪政の手法。ただそれでも軽犯罪は起こりやすい。印刷技術が進んで、小説などの物語が流通し始めてはじめたとき、世の中が急激に治安が良くなったという。今までは自分の人生しか知ることが出来なかった一般人が、物語で他人の人生を知ることができるようになる。自分だけが辛いわけではないと知っていくことで、生きやすくなった人も多かったのだろう。

このアニメの中で、登場人物たちが命懸けで紡ぎ上げてきた地動説。そのときは宇宙を変えるとまで言われていた。物語の時代が変わって、地動説もひとつの娯楽として取り扱われていく。価値観の変遷が興味深い。結局、地動説が証明されようがされまいが、明日も日が昇るし、腹も減る。たとえ自分がこの世を去ったあとでも、それと変わらない毎日が続いていく。それでいいではないかとしみじみ感させる。欲があるから人は向上するが、多すぎる欲は逆に人を不幸にさせる。そして他人の不幸は蜜の味。『チ。』で描かれるたくさんの不幸は、この作品の娯楽性に繋がってくる。『チ。』は怖いながらも、いろいろ考えるきっかけをくれるアニメだった。

 

 

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