『あん』 労働のよろこびについて

この映画『あん』の予告編を初めて観たとき、なんの先入観もなくこのキレイな映像に、どんなストーリーであっても良作に決まっていると直感した。のちのクレジットで河瀬直美監督と知り、ああなるほどと思った。悲しいかな今の映画のほとんどは、工場の流れ作業のように量産的に作られている。表面的な映像はキレイになっても、それはあくまで使っている機材の性能や技術が良くなっただけにすぎない。心を込めた命ある映像というのは一瞬でわかるものだ。
映画は桜の季節から始まり、一巡りして桜の季節で終わる。多くの文芸作品が桜を死の象徴としたように、この作品でもメタファーとして機能している。登場人物が少ないのもいい。そのキャラクターをよく知ることができるから。小さなどら焼き屋の店長(永瀬正敏さん)と、そこへ通う中学生の女の子(内田伽羅さん)、そして樹木希林さん演じるアルバイトのおばあちゃん。画面の向こうにはこの登場人物達は確実に息をして生活している。その空気感を映画はきちんととらえている。映画を観に行ったというよりは、その人たちに会いにいったといった感じ。
おばあちゃんがバイトに始めて入った日、どら焼きの餡が工場で作られた業務用だと知る。おばあちゃんはとても慌てる。「どうしてこんなことになっちゃったの。どら焼きにとって餡は心でしょ」って。そして手間隙かけてあずきをゆでていく姿は本当に楽しい。映像だからこそ伝わる、美味しそうなものが出来上がっていく過程。並んだどら焼きをみて子ども達が喜ぶ。子どもは世の中でもっとも優れた審美眼をもつ。幸せな映像が続く。
おばあちゃんにはある秘密があり、店長さんは守ってあげられなかったと嘆く。でもおばあちゃんは、働けたことが本当に楽しかったと言う。登場人物の誰もが優しい。その優しさは辛く悲しい経験を知っているから。とかく人は自分の非力さを嘆くけれど、相手はそれどころか感謝してくれたりすることもある。何かになれなくとも、生きている意味がある。なんとも悲しい言葉だ。労働すること、誰かに喜んでもらえること。風の音、木の声を聴くこと。現代人がすっかり忘れてしまったことに、登場人物達は感謝して生きている。
河瀬直美監督作は芸術的だが、この作品は彼女の作品の中でももっとも観やすく、映画に見慣れていない人にも静かに届くものがあるはず。
エンドロールにかかる秦基博さんの主題歌『水彩の月』もいい。寡黙な映画の心を補完してくれる。
映画の上映が終わった後、出入り口でどら焼き販売をしていた。どら焼きの映画を観たら、どら焼きが食べたくなるだろうから、階下の食品売り場からどら焼きを持ってきて販売すれば売れるだろうという店の目論みだろうが、観客の誰一人としてそんなものに足をとめる者はいない。そりゃそうだ。映画ではさんざっぱら手作りの手間隙かけて作ったどら焼きをみている。誰がどのようにして作ったかわからない、工場で作られたかもしれないどら焼きなんて、ここにいる人は誰ひとりとして食べたいとは思わない。作っている人の姿が見えるどら焼きが食べたいに決まってる。映画を観もしないで「どら焼きの映画だからどら焼きが売れる」と安易に考えている、心ないアイディアマンの姿が浮かんで興ざめもいいところだった。観客をなめるなよ。
映画は、目先のことにとらわれず、もっと静かにじっくり物事に向き合うことのたいせつさを語っている。儲かることだけが幸せではないと信じたい。人生を送るということは、もっとゆっくり時間の流れに身をまかせるものだったのかもしれない。
関連記事
-
-
『アメリカン・ビューティー』幸福か不幸か?
アカデミー賞をとった本作。最近ではすっかり『007』監督となった映像派のサム・メ
-
-
『ゴーストバスターズ(2016)』 ヘムジーに学ぶ明るい生き方
アイヴァン・ライトマン監督作品『ゴーストバスターズ』は80年代を代表するブロックバスタームー
-
-
『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』 自由恋愛のゆくえ
スティーヴン・スピルバーグ監督の『インディ・ジョーンズ』シリーズが日テレの『金曜ロードショー
-
-
『エイリアン ロムルス』 続編というお祭り
自分はSFが大好き。『エイリアン』シリーズは、小学生のころからテレビの放送があるたびに観てい
-
-
『JUNO ジュノ』 ピンクじゃなくてオレンジな
ジェイソン・ライトマン監督の『JUNO ジュノ』は、エリオット・ペイジがまだエレン・ペイジ名
-
-
『リトル・ダンサー』 何かになりたかった大人たち
2000年公開のイギリス映画『リトル・ダンサー』が、ここのところ話題になっている。4Kリマス
-
-
それを言っちゃおしまいよ『ザ・エージェント』
社会人として働いていると「それを言っちゃおしまいよ」という場面は多々ある。効率や人道的な部分で、これ
-
-
『あの頃ペニー・レインと』実は女性の方がおっかけにハマりやすい
名匠キャメロン・クロウ監督の『あの頃ペニー・レインと』。この映画は監督自身が15
-
-
『イエスタデイ』 成功と選ばなかった道
ネットがすっかり生活に浸透した現代だからこそ、さまざまな情報に手が届いてしまう。疎遠になった
-
-
『アバター』観客に甘い作品は、のびしろをくれない
ジェイムズ・キャメロン監督の世界的大ヒット作『アバター』。あんなにヒットしたのに、もう誰もそのタイト
- PREV
- 『ラストサムライ』渡辺謙の作品選び
- NEXT
- 『世界の中心で、愛をさけぶ』 フラグ付きで安定の涙
