『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』虐待がつくりだす歪んだ社会
ウチの子どもたちも大好きな『ハリー・ポッター』シリーズ。こわいこわいと言いながらも、「エクスペクト・パトローナム!」とか魔法の呪文を唱えてあそんでる。映画版の当初はクリス・コロンバスが監督担当で、キッズムービーの可愛らしいタッチだった。シリーズも回を重ねるごとに、だんだんと暗く重い展開へとなっていった。シリーズ全8作のうち、後半4作はデビッド・イェーツがメガホンをとっている。
この『ハリー・ポッター』のスピンオフの新シリーズ『ファンタスティック・ビースト』もデビッド・イェーツが監督を続投している。どうやら彼の演出が、原作のイメージに近いと定着したらしい。しかも『ファンタスティック・ビースト』は、映画のための書き下ろし。原作者のJ.K.ローリング自ら脚本を書いている。当初は三部作の予定だったが、手ごたえを感じたのか、後に五部作になると発表した。こりゃ長い旅路になりそうだ。出演者も健康に気をつけなけりゃならないだろうな。ついつい要らぬ心配をしてしまう。
スタッフは引き続きなので、作品世界のフォーマットはすでに完成している。人気もあるし、『ハリー・ポッター』は見事なシリーズ構成だったし、観客はただ信頼して観ていればいい。
『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』は、『ハリー・ポッター』から100年時代が遡る。オリジナルシリーズを知っても知らずとも楽しめる。リンクネタもあるけれど、さほど気にならない。同じ世界観での、まったく別の物語。舞台もイギリスからアメリカに移ってる。
新シリーズの第1話なので、新たな設定やら登場人物紹介がやたら丁寧。少しまどろっこしくも感じてしまうが、ここで把握しておかないと後々の展開で楽しめる度合いが変わってきそうだから辛抱辛抱。どこに伏線が忍ばせてあるかわからったもんじゃない。しばし忍耐強く付き合いましょう。
全体的にコメディタッチなんだけど、きっとこれもはじめのうちだけなんだろな。ちなみに幼稚園児の息子は、主人公ニュート・スキャマンダーのコートのポケットに隠れてる木のビーストが気に入ったらしい。
敵は相変わらず排他的な考えの集団。魔女狩りを彷彿させる。黒い魔力は虐待された子どもの心の化身。社会悪へのメタファー。
原作者のローリングはシングルマザー。女手一つで育児をしながら、『ハリー・ポッター』の執筆をしていた苦労話はあまりに有名。子どもへの虐待は、貧困が原因のひとつにある。ローリング自身も、いつ自分も虐待の加害者になりかねないと怯えていたことだろう。彼女の作品は、常に子どもに対する虐待がテーマにある。ハリー・ポッターも、その敵対するヴォルデモートも、幼少期に虐待を受けている。似た境遇の両者が、善と悪に別れることに意味がある。
人は誰かに愛されている自信がないと、他者に批判的になる。排他的だったり偏った思想に走る人は、多かれ少なかれ自分自身が愛せていない。そんな人に限って愛を軽々しく口にしたりする。相手の意見が聞けないので、より良い世の中になるための建設的な話し合いがなかなかできない。
『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』の中で、悪役のヴォルデモートがハリーを倒したと早合点する場面がある。ヴォルデモートが「ハリー・ポッターが死んだ!」と狂喜する。演じるレイフ・ファインズは、本当に無邪気にハリーの死を、喜びはしゃいでる。特殊メイクで顔が隠れてるのに、キラッキラした笑顔が伺える。だからハリーが死んでなかったと知ったとき、真に悲しそうな表情を浮かべる。ヴォルデモートにとっては、世界を暗黒に染めることは、崇高な正しい行いでしかない。
もし人の上に立てる才能がある者の根底がズレていたら、社会は真っ逆さまに悪い方へ向かっていく。そのことの表れ。まさにヒトラーも、幼少期に虐待を受けていた。
子どもが悪いんじゃない。子どもを育む環境が大事なのだ。ローリングの声なき声が聞こえてくる。
今後この『ファンタスティック・ビースト』も社会問題をどんどん描いていくことだろう。アメリカが舞台だし、多種族の確執も移民問題になぞらせていくかも知れない。
今後何十年も読み継がれ観継がれていくであろう作品の誕生に、リアルタイムで立ち会えることの楽しさ。数十年後、今の時代の雰囲気を伝える媒体になったとしたら、果たして次世代の人たちは、この作品を通して如何に現代社会を読み解くのだろうか。
第2話は2018年の5月公開になるらしい。今シリーズは、成人した魔法使いの物語。コリン・ファレルやジョニー・デップなど、スター俳優の起用で混乱する。なんでも次回作では、若き日のダンブルドアも登場して、ジュード・ロウが演じるとか。前作でダンブルドアを演じたリチャード・ハリスやマイケル・ガンボンにぜんぜん似てないぞ! しかもヤング・ダンブルドアって言っても、ジュード・ロウ、中年なんですけど。ダンブルドアは『ハリー・ポッター』の時代では150歳の設定らしいから、まあ中年でもいいのかな? イケメン中年スターが多々キャスティングされるのは、もしかしてローリングの趣味なのかしら?
大人から子どもまで、万人が楽しめて、社会風刺も交えた深みのあるエンターテイメント・シリーズの始まりだ。みんなでワクワクして祝福しようじゃありませんか。
関連記事
-
『MEGザ・モンスター』 映画ビジネスなら世界は協調できるか
現在パート2が公開されている『MEGザ・モンスター』。このシリーズ第1弾を観てみた。それとい
-
『THE FIRST SLAM DUNK』 人と協調し合える自立
話題のアニメ映画『THE FIRST SLAM DUNK』をやっと観た。久しぶりに映画館での
-
『聲の形』頭の悪いフリをして生きるということ
自分は萌えアニメが苦手。萌えアニメはソフトポルノだという偏見はなかなか拭えない。最近の日本の
-
『ブラックパンサー』伝統文化とサブカルチャー、そしてハリウッドの限界?
♪ブラックパンサー、ブラックパンサー、ときどきピンクだよ〜♫ 映画『ブラックパンサー』
-
『モモ』知恵の力はディストピアも越えていく
ドイツの児童作家ミヒャエル・エンデの代表作『モモ』。今の日本にとてもあてはまる童話だ。時間泥棒たちに
-
『ジュブナイル』インスパイア・フロム・ドラえもん
『ALWAYS』シリーズや『永遠の0』の 山崎貴監督の処女作『ジュブナイル』。
-
『バウンス ko GALS』JKビジネスの今昔
JKビジネスについて、最近多くテレビなどメディアで とりあつかわれているような
-
『一九八四年』大事なことはおばちゃんに聞け!
『一九八四年』はジョージ・オーウェルの1949年に発表された、近未来の完全管理社会を描いたディストピ
-
『鬼滅の刃 無限列車編』 映画が日本を変えた。世界はどうみてる?
『鬼滅の刃』の存在を初めて知ったのは仕事先。同年代のお子さんがいる方から、いま子どもたちの間
-
『アイ・アム・サム』ハンディがある人と共に働ける社会
映画『アイ・アム・サム』は公開当時、びっくりするくらい女性客でいっぱいだった。満