『ドリーム』あれもこれも反知性主義?
近年、洋画の日本公開での邦題の劣悪なセンスが話題になっている。このアメリカ映画『ドリーム』も、邦題が発表されるや否や、批判の嵐がネットを中心に加熱した。
当初は『ドリーム わたしたちのアポロ計画』とサブタイトルがついていた。映画はアポロ計画を描いているものではなく、アメリカ初の有人宇宙飛行のマーキュリー計画を題材としている。マーキュリー計画が地味だから、有名なアポロ計画をタイトルに持っていきたかったのだろうが、これでは客引きのためならなんでもアリの詐欺だ。あまりの批判の多さに、邦題サブタイトルはなくなり、『ドリーム』という、なんとも抽象的なタイトルになってしまった。ちなみにこの映画の原題は『Hidden Figures』。『隠された数値』とでもいうところか。哲学的で知的なタイトルだ。
このおかしな邦題がつけられてしまった映画『ドリーム』。悪い意味で注目を浴びたにもかかわらず、逆に映画はヒットした。ミュージカル映画か、はたまたドタバタ・コメディ映画かと誤解を招きそうな日本での宣伝は完全に失敗しているのだが、作品が持っている「観客を元気にさせてくれるパワー」が功を奏して、口コミで評判が拡がったような気がする。この映画はシリアスな題材を扱ってはいるが、ゴールデングローブ賞なら「ミュージカル・コメディ部門」にカテゴライズされるであろう楽しい作品だ。
主人公はNASAで働く黒人女性の3人。3人は通勤こそは共にしているが、配属部署もバラバラ。三者三様の場所で、自らの才能を発揮していく。能力があっても黒人女性というだけで認められることのない、どん底のスタートから、どんどんのし上がっていく。非常に気持ちの良いエンターテイメント作品。しかも主人公のキャサリンはシングルマザー。まさに社会的弱者が認められていくことへのカタルシス。
劇中での場面で面白いくだりがある。時代考証からフィクションらしいのだが、NASAのトイレが男女別だけでなく、白人用と非白人用とに分かれている。主人公の黒人女性・キャサリンは、数学の天才的な才能があるため、白人男性ばかりの部署に配属される。もちろん非白人用の女子トイレは近くにないので、キャサリンは広大なNASAの敷地内を走り回らなければならない。ひとたびトイレに向かって離席したら、なかなか帰ってこれない。そんなスリリングでありながらコメディ要素の高い場面で、ファレル・ウィリアムスの曲が軽快にかかってる。映画を観た人には、おトイレソングとして刷り込まれてしまう。
1960年代のアメリカは、旧ソ連とロケット開発を競っていた。国家をかけた争いだ。直接的な殺し合いはなけれども、戦争と同じくらいの命がけで成果を競っている。そんな中で、有色人種だとか女性だからというくだらない差別で、有能な才能の持ち主を無視してしまったら、国家レベルの大損失だ。
「みんないちばん近いトイレを使え。小便の色はみんな同じだ!」と、白人用と書かれた看板をぶち壊すキャサリンの上司。ケビン・コスナーが演じてる。80年代から90年代前半のハリウッド映画と言ったら、このスター俳優の存在を無視できない。久しぶりにカッコいいケビン・コスナーを見たぞ!
ロケットの動作に関する数式を求めるのがキャサリンの仕事。結論の数字はすでに出ている。必要なのは、そこまでのプロセスの数式。隠された数値だ。
「新しい計算法だから適切な数字が出ない」「古い計算法に変えてみたらどうか?」「でもそれだと古すぎやしないか?」こんな会話がなされてる。計算法に古いとか新しいとかあるんだ? それで結果が変わっちゃうんだ? 凡人には未知の会話が繰り広げられられる。なんだかワクワクする。
キャサリンはデータを見ただけで、数式が浮かび上がっているようだ。黒板を見る彼女は、ここから書き始めれば最終点はこのくらいで終わると、数式のラフデザインが浮かんでいる。天才だけが見える世界。キャサリンが黒板に計算式を書き出す。周りの同僚たちが、それを見て目を丸くする。その数字が示しているものは、ほとんどの観客には理解できないが、同僚たちのリアクションでそれの凄さが読み取れる。同僚たちも天才や秀才なのに、キャサリンの能力は群を抜いていることの小気味良さ。あたかもスーパーヒーローの特殊能力だ。
もうひとりの主人公ドロシーは、専門家までもお手上げになっているIBMのスーパーコンピュータを、いとも簡単に扱ってしまう。これも天才がゆえの視点で、「この作りならこうでしょ?」って直感的に機械の仕組みを読みとっているようだ。理屈ではないみたい。
メイン3人の黒人女性たちは、その誰もが偉業を成し遂げたのだが、なぜキャサリンが主役なのかと思う。現在存命しているのは彼女だけだったので花を持たせたのかしら。オバマ元大統領から勲章を授与されている。他の人たちもみな90歳代まで生きている。終生専門職のご意見番だったみたい。ずっと頭を使ってるからボケないだろうし、好きなことを仕事にしているので、みな長寿だ。パイロットの人ですら90代まで生きた。
キルスティン・ダンスト演じる上司が、ドロシーに言う。「私は差別主義者じゃないし、差別的な考えはない」それに対してドロシーは答える。「初めから知っていました。あなたがそう思い込んでいることは」
なんとも深い会話だ。極端な思想の持ち主であれば喧嘩にもなりやすいし、ただの誤解だったら改善することもある。でも「自分は善人である」と偽善を信じてならない人びとは、なかなか変化の機会は得られない。そしてそれは世の中に生きる大多数でもある。
もちろん日常の社会で生きていく中で、「あの人はこんな人」とステレオタイプの枠にはめていくのは処世術としては必要だ。ただそれが偏見や差別につながってしまうのなら、損をするのは自分自身。
人のタイプは大まかに括ることはできたとしても、まったく同じ人などこの世には存在しない。人と触れ合うたび、都度自分の考えを更新していかないと、大事なものから外れてしまう。ときどき自分の胸に手をあててみるのも必要だ。
映画の宣伝もそう。最近の流行りがこうだからと、そればかり執着してしまい、作品の本筋からズレてしまっては、本来その作品が好みであるターゲット層を逃してしまう。客層の新規開拓もいいけれど、大事なお得意さまをなくしてしまったら本末転倒。
映画ファンの多くは、エンターテイメントを楽しみながら、ちょっと自分の知らないものに視野を広げたい知的欲求がある。そんな好奇心をくすぐるのは、どんな作品なのかは見当がつかない。蓋を開けてみなければわからないなら、作品に素直で真摯に向き合った方がいい。
学校の勉強もそうなのだが、その科目の向き不向きは十人十色。全体の平均的な学力を保つのが目的となると、できる子がずっと待っていなくてはならない。できる子はどんどん上へ、苦手な子は基礎から丁寧に。そうでないとあらゆる可能性の芽を摘んでしまう。キャサリンみたいに飛び級制度もアリだと思う。
映画ファンより、映画を観ない人に向けて宣伝するのは厳しい。宣伝側は底辺を想定しているつもりだろうが、そういった見下した態度はあまり知的ではない。観客の感性や作品の力を信じて敬意を払う。己の審美眼を磨く。かつてのヒット作を振り返ると、作品愛や尊厳が内包しているものが、ちゃんと話題作となっているように感じる。映画に限らず、どんな仕事にも当てはまることだ。映画のタイトル一つをとっても、仕事の雑ぶりが伺えてしまう。ひとえに余裕のない仕事環境が影響しているのだろう。社会で自分が大事に扱われていないのに、仕事を大事にすることは困難だ。
さて、この荒波の世の中の舵を取るには、自分のためのオリジナルの知性を身につけなければならないようだ。知性と己の人間性の器は、どうやらぴったり比例しているようだ。
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