『もののけ姫』女性が創る社会、マッドマックスとアシタカの選択

先日、『マッドマックス/怒りのデスロード』が、地上波テレビ放送された。地上波放送用に、絶妙なタイミングで残酷描写をカットした再編集版。我が家では、初めて家族全員でこの『マッドマックス』を観た。
女性が中心となって形成された社会で、流れ者の男が、その中に入っていくという姿は、『もののけ姫』と同じ。ただ、ラストシーンで、主人公が選ぶ道が相反するところが興味深い。『マッドマックス』と『もののけ姫』の二作品、似て非なるフェミニズム。両作の結末のその後を考えてみた。
『マッドマックス』テレビ放送が終わり興奮冷めやらぬ中、小学生の娘は「このあと、この人たちはどうなったんだろう。マックスもみんなと一緒に残ればいいのに……」と呟く。自分は「マックスは人生に絶望を感じてるから、死に場所を探しに行ったんじゃないのかな」とは言ってみたものの、なんだかしっくりこない。
今年のコロナ禍で、映画館の新作がストップし、数本のスタジオジブリ作品がリバイバル上映された。この『もののけ姫』もラインナップに入っており、本作を初めて映画館で観たなんて若者の声も聞こえてきた。
自分はこの映画はリアルタイムで映画館で観ていた。何度もあしげく劇場に通った。ジブリ作品でも数少ない、男が主人公の作品で、かなり興奮して映画を観ていた。
制作発表時、鈴木敏夫プロデューサーが、「この映画は黒澤明監督への挑戦状です」と発言していた。そういえば黒澤作品の、とくに『影武者』をオマージュした場面もあったっけ。
黒澤監督の映画がヒットしたあとからの時代劇は、すべて黒澤映画の着物の着付け方など、衣装のスタイルがほとんど同じになってしまったらしい。けれど文化は時代や場所によって異なるもの。いくら黒澤作品の着物の着こなしかたがカッコよかったからといって、すべて同じになるはずもない。『もののけ姫』は、きちんと時代背景や土地柄の文化を検証してから、帯の絞め方ひとつから、衣装のデザインをしたらしい。もうそれは考古学。ちゃんと調べれば調べるほど、作品のアイデアは膨らんでいくことだろう。世の中には、まだまだ語るべき物語はたくさんある。
『もののけ姫』が公開された当時、自分は二十代だった。映画が始まって10分もしないうちに、自分の涙腺は緩んだ。村を追われた主人公・アシタカが旅立つ。朝日を浴びながら鹿に乗る少年の姿からは、悲しみが伝わる。そこに壮大な劇伴がかかり、シンバルの音が響く。「どんな状況であれ、若者が旅立つときは祝福されるべき」との宮崎駿監督の演出意図。当時若者だった自分にも、そのシンバルの音は響いた。
『もののけ姫』は、アクション映画にも関わらず、フェミニズムを描こうとした作品。当時としては、世界的にも珍しい題材だった。
女性が創る社会に、一人の男が入っていこうとする。その男アシタカの姿勢は、女性ファンの多いジブリ作品には歓迎されるべき態度であった。
女政治家たちは争っている。アシタカの失敗は、その間に立って諍いを諌めようとしたことにある。争う二人の女性を両脇に抱え、その上に立とうとする。
女性社会は共感力が求められる平等な社会。女同士でも、上に立ちたがる人は煙たがられる。「ボクが争う二人の間に入って、仲良くさせてみせるよ。だってみんなボクのこと好きでしょ?」。アシタカの自惚は、フェミニズムが浸透した現代では、すこし痛々しい。
女社会に男が入っていくことを想像してみた。かなり大変だ。体力的に上の男は、頼まれごとも多くなる。女性たちのホルモンの調子が悪ければ、理不尽にあたられることもありそうだ。「だから男はダメなんだ!」って。今までの男優位の社会に対する恨み辛みも聞いていかなければ共生できない。果たしてアシタカはどこまで覚悟していたのだろうか。
一方、マッドマックスは、空気を読みながら女社会と付き合っている。一見我が道を行きそうなマックスは、女たちの顔色を伺いながら、上手に自分の居場所を築いていく。
『マッドマックス』でのジョージ・ミラー監督は、女性を演出するときにフェミニズムの先生に付いてもらって、逐一アドバイスを伺っていたらしい。女性描写にものすごく気をつかっているのが、完成された映画からも伝わってくる。
『マッドマックス』公開当初の客層は、厨二病らしき青年とオールドファンのおじさんばかりだった。映画が話題になりロングランになると、いつしか女性が半数以上客席を占めるようになっていった。
マックスが、女社会に背を向けたのは、カッコよくいえば、「死に場所を探しに行った」ともとれるが、やっぱり「こんなところでやってけるかよ!」と、いじけて去ってしまったととった方が、理由としては大きそうだ。
そういえば『もののけ姫』が公開されてまもなく、「やっぱり宮崎さんはわかってない!」と、フェミニズムの先生たちが怒っていたっけ。当時の自分にはその意味がわからなかった。20年以上たった今では、『もののけ姫』は、フェミニズム黎明期のエンターテイメント作品なんだと観ることができる。
これからのエンターテイメント作品で、フェミニズムを無視していくのは難しい。映画ファンは、男性よりも女性の方が圧倒的に多い。マーケティング的にも、女性客を意識しなければ、ヒットは見込めない。
DCコミックの映画化でも『ワンダー・ウーマン』は、自分はとくに好きだ。女性監督が演出してるから、新鮮な感覚なのかもしれない。子どもたちに人気の『鬼滅の刃』も、女性描写が自然だ。これも原作者が女性だからだろう。『もののけ姫』が、いろんな意味で、参考にされているように思える。
女性社会の中に入っていこうとして、空回りしてるアシタカ。でもそんなおバカさんなアシタカを、同性である自分はどうしても嫌いになれない。高尚なことを言ってる割には空気が読めないアシタカ。もののけ姫ことサンや、女政治家のエボシが、「やれやれ、あんたはとんだ英雄さまだよ」と付き合ってくれている姿を想像すると笑えてくる。
嗚呼、神輿の上に担がれているアシタカよ……。
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