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『HAPPYEND』 モヤモヤしながら生きていく

公開日: : 映画:ハ行, 配信, 音楽

空音央監督の長編フィクション第1作『HAPPYEND』。空音央監督の前作はドキュメンタリー音楽映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』。空音央監督は坂本龍一さんの実子。坂本龍一さんが自らの死を目前としたとき、おそらくこれが最後の演奏になるであろう姿を記録した映画が『opus』。病床の中のつらい撮影が想像できる。お互いに無理の言い合える身内だからこその丁寧な映像が残された。その空音央監督が満を持してのタイミングで、オリジナル長編作品を発表した。ちょっとずるい。

父・坂本龍一さんの曲と同じタイトルを冠したこの映画。電子音楽のアーティストを目指す高校生の話と聞いて、一瞬、あざとすぎると思ってしまった。坂本龍一さんは日本のテクノミュージックの創始者的存在。その父の偉業になぞっているかのような題材。ビジュアル的にかなり地味で、なかなか目立つ作品ではない。でも、監視社会を描いた近未来の日本が舞台という内容を聞いて、すぐさま観たくなってしまった。政治的な社会風刺映画らしいと。それは音楽家でもあり、活動家でもあった坂本龍一さんの血を引くご子息のこと、薄っぺらい青春映画など撮るはずもない。

今となっては、坂本龍一さんがどんな音楽をつくっていたかも知らない人だっている。「なんだか海外で評価されている人でしょ」くらいの印象しかないかもしれない。ピアノの人とか、映画音楽の人とイメージされていればまだいい。テクノミュージックをやっていたことを知らない人も多いかもしれない。3回忌を迎えた本年、坂本龍一さんはすっかり過去の人となってしまった。

学園ものというと、もうそれだけで観たくないと思わされる。10代というと、凡庸な安易な表現なら「青春」とか「バラ色の人生」とか言い放ちがち。でも自分にとっては10代こそが、人生でもっとも灰色の時代だったと言い切れる。もうあの頃には戻りたくない。ただ最近になって、少しだけ学生の話も観れるようになってきた。10代がはるか昔のことになってきたので、自分の中でその時期に現実味が薄らいできたのかもしれない。学園ものがファンタジーとして受け止められるようになってきた。そういえば現役バリバリの学生である自分の子どもたちも、やはり学園ものは苦手と言っていた。自分にとって学校という場所は、なんとも閉鎖的で暗い印象しかない。今の子たちもそう感じているのだろう。学校ってなんであんなに嫌な場所なのだろうか。

この映画『HAPPYEND』の主人公たちは高校生。日本が舞台となるこの映画のメインとなる登場人物の5人中3人は、日本以外のルーツを持つ。アフリカン系や中華系、韓国系とのミックス。欧米の血筋ならいいが、日本と同じ東アジアで他国の血を持つ者は、それだけで理不尽に差別される。この映画は近未来が舞台だけれど、差別の形やデモのスタイルは昭和的。昔と未来がごちゃ混ぜになった社会描写は新鮮。

日本人は白人が好き。白人と日本人のハーフの人は特に好き。でもちょっと待って。その「ハーフ」という言葉だって、差別のニュアンスがある。褒めたつもりでも、言われた相手を傷つけてしまうことだってある。そもそも白人とか黄色人種、アフリカンだとか見た目で好き嫌いを分別するのは完全にルッキズム。日本のメディアに登場するタレントや役者には、それこそ「ハーフ」が圧倒的に多い。日本人の白人へのコンプレックス。なんとも卑屈な文化。

この映画のミックスの子たちは、日本のメインストリートに出てくるような「ハーフ」の子たちとはかなり違う。もっと日常的で、すぐそばにいそうな子たちばかり。そんな普通に見える役者たちのほとんどが、映画初出演とのこと。なんとも自然な演技をしている。この映画の説得力は、役者先にありきと言ってもいい。作品のSF的な世界観はつくり込んでいても、あくまで主役はこの子たち。人にはきちんとフォーカスして、世界観はフワッとさせているうまさ。つくり手としてはどうしても世界観の説明の方に注目してしまいがち。その欲を抑えて、あえて普遍的な視点を重視する。独立系の低予算映画という枷を逆手に取った演出に好感を抱く。

出てくる役者さんが皆無名なのかと思いきや、大人の役者さんはみたことのある人が多い。そういえば校長先生の役を佐野史郎さんが演じていた。子どもたに理解を示さない大人の代表。なんだか既視感。ずっと昔、宮沢りえさん主演の『僕らの七日間戦争』という映画があった。そのときも佐野史郎さんは、生徒たちと対立する「子どもに理解を示さない大人」を演じていた。宮沢りえさんは自分と同年代。自分たちが子どもの頃から数十年間ずっと、「子どもに理解を示さない大人」を演じ続けている佐野史郎さんがすごい。

自分が子どもの頃なら、この映画に出てくるような大人はとても理解ができなかった。でもいつしか自分もつまらない大人になってきて、こんな無理解な大人の気持ちもわかるようになってきてしまった。この校長は子どもたちのために働いている。学校を少しでも良くしようと、資金繰りのためにあちこちいろんな人に会いにいく。嫌な相手にも頭を下げて、学校の見栄えを良くしようと奮闘する。子どもの将来のために働いて、家庭を顧みない昭和の父親像と被ってくる。そんな働き蜂の父親に、感謝する家族などいない。家族のために働いているのに、その仕事が原因で家族崩壊してしまうというパラドックス。どんどん卑屈になって、嫌な大人になっていく。やがて子どもたちからは敵として恨まれる。卑怯で寂しい存在。この映画で完全にヒールとなっている校長先生。彼が導入する校内の監視制度。見た目のグロテスクさは映画的で楽しい。こんなディストピアな学園でも、監視してもらって安心だと言う生徒もいる。みんながみんな、この監視学園が嫌じゃないところがリアル。

現代ではほとんどの街に監視カメラが張り巡らされている。これらが導入された頃は、当然反対の声が多かった。いざ監視カメラだらけの公共の場になってみると、多くの人が良かったと言い出す。監視カメラがあるおかげで、犯罪が少なくなったと。実際に監視カメラが犯罪の抑止になるだろうし、いざ犯罪が起こっても、すぐに犯人を割り出せる。治安の良さと引き換えになら、多少のプライバシーの侵害は我慢できるというのが多くの考え。それはそれで異論はない。ただその監視システムがどの場でも該当するとは限らない。やはり適材適所に考えて設置していかなければならない。人は考えるのが嫌いだ。とくに日本人は自分で考えるのが苦手。そもそも学校では自分で考えることより、上手に管理されることばかりを学んでしまう。学校での監視システムという、映画の舞台装置として、なんとも効果的な使い方に感心。

日本の経済がどんどん力をなくしてきている。昭和の高度成長期のようには成り立たないのは誰もが知っている。それでも過去の栄光に縋りたがるのは、古い世代の人たちばかり。もうその考え方は切れ変えなければやっていけない。

今の子どもたち世代の学校では、いわゆる「ハーフ」と呼ばれるルックスの子がクラスに数名はいる。みんな日本で生まれ育った子どもたち。片親がどこかの他の国の人だったとしても、その子は日本人に違いない。バスケの八村塁選手は、ルックスこそはアフリカ系でも本人は日本人。日本にいるときはずっと外人扱いされていた。海外進出したときにアフリカンの選手たちのところへ行ったら受け入れてもらえると思っていたら、「お前は日本人だろ」と言われてしまう。日本では外国人で、アフリカンから見たら日本人。はたして自分は何人(なにじん)なのだろう。どこにも居場所がない。日本人は見た目で外人と区別する。海外ではネーションでその人を判別する。そうなると八村塁選手のアイデンティティは純粋な日本人。生粋のジャパニーズとなる。

日本は貧乏だから、日本人が外へ行くのは大変だけど、海外の人が日本へ来るのはずっとラク。これからの日本は、海外からどんどん人がやってくる。今後、いわゆる「ハーフ」と呼ばれる子どもたちが増えてくる。そもそも日本人が単一民族だという考えが間違っている。大昔の日本は、あちこちの国からやってきたさまざまなルックスの人でできていた。平安時代などは、今よりも無国籍感のある人種のるつぼだったらしい。そうなると「純粋な日本人」というイメージも、ただの思い込みでしかない。

とにかく日本のテレビやメジャー系の映画には、白人との「ハーフ」タレントがスポットを浴びやすい。テレビドラマの学園ものなどで、生徒全員が「ハーフ」ルックスだったりすると、もう目を逸らしたくなってくる。なんという大胆なルッキズム。恥ずかしい。でもそんなルッキズムの地獄絵図も、しばらく見ていれば目も慣れてくる。アニメ作品でも観るような、ひとつのファンタジーとして脳が補完し始める。でもそれはけして感情移入の対象ではない。作品の意図もよくわからなくなってくる。潜在的なストレス。

自分は歳をとってきてからNHKを観る頻度が増えてきた。子どもの頃や若いときは芸能ニュースがメインで賑やかな民放が好きだった。年齢を重ねてきて、だんだんその賑やかさがうるさく感じてくるようになった。うるさい民放から静かなNHKに逃げた。ニュースといえばNHKというのが自分の子どもの頃からのイメージだった。でもこの近年はネットや世の中の流れの中で、いちばん遅れて報道するのがNHKみたいになってきた。政治ニュースなどはとくに遅いし偏っている。だから最近また民放でニュースをみるようになってきた。

民放のニュースやワイドショーでは、やたらと若い女性アナウンサーが大勢並んでいる。とても違和感。なんだか気持ちが悪い。最近ではテレビ局の女子アナ問題があるからと、偏見ができてしまったのではとも言い切れない。テレビ局のスキャンダルが浮かぶ前から、この違和感はあった。画面の向こうからでも伝わる何かがある。

自分にとって朝のニュースでいちばん重要なのは天気予報。もっとも身近で大切なトピック。その朝の天気予報は、「ハーフ」のお天気お姉さんと男性のコンビで毎日行われていた。この4月の編成で、「ハーフ」のお天気お姉さんがいなくなって、男性だけで天気予報が行われるようになった。お天気お姉さんは罪がないので悪いけど、正直彼女の不在で画面がホッとする。いわゆる「美人」が画面に映るだけで無意識のうちに緊張感が走る。自分の中で「ハーフ」疲れが起こっているのを自覚した。これは精神衛生上、あまり良いものではない。

映画『HAPPYEND』のキャスティングには華こそなけれど存在感はある。ここでは「ハーフ」という言葉は普通に蔑称となる。どんなルックスであっても、己のアイデンティティに迷うことなかれ。日本人も自分のアイデンティティを自覚しなければ、これからの世の中はますます生きづらいものとなるだろう。自身のルーツを意識する。そうすると差別意識は薄らいでいく。それでも社会がきっぱり変化することはありえない。緩やかに一歩一歩変わっていくしかない。このモヤモヤがすぐさま晴れることはない。薄紙を一枚ずつ剥がしていく。焦らず世の流れを見つめて行こう。モヤモヤしながら、今自分ができることを丁寧にこなして生きていく。それがなにより幸せへの近道だと思う。

この映画で描かれる、10代という人生でもっとも不安で焦る時期と、ディストピアの未来像のイノベーションは、意外なほどにマッチしている。この映画で描かれている未来の日本は、ある意味当たっているし、はずれてもいる。むしろ自分はここまで悲観的に未来を見ていないことに気付かされる。なんとか明るい方に向かうんじゃないかと楽観視している。そんなふうに言っていると、誰かに怒られてしまいそうだけど。まあそれはそれとしていいんじゃないですかと生きていく。映画のタイトル通りハッピーエンドを信じたい。モヤモヤと共生しながら。

 

 

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