『アドレセンス』 凶悪犯罪・ザ・ライド
Netflixの連続シリーズ『アドレセンス』の公開開始時、にわかにSNSがざわめいた。Netflixの作品はたいてい公開時だけ話題になって、いつしかそんな作品があったのかというくらいすぐに忘れ去られてしまう。もしNetflixのホームページでサムネイルが二度と上がらなければ、もうその作品が初めから無かったかのようになってしまう。日々湯水のように新作が配信されて、浴びるようにコンテンツに触れてしまうことに怖さすら感じる。あれも観たいしこれも観たい。でも自分の時間がなかなか追いつかない。こんな時代が来るとは思ってもいなかった。気になった作品は、早めに観ておいた方がいいということか。
『アドレセンス』は少年犯罪を描いた作品とのこと。子どもが子どもを殺してしまった凶悪犯罪を扱っている。シリアスな重い内容。鑑賞するにはそれなりに体力が求められそう。体調の良いときでないと厳しいだろう。万全のときはいつか? 寝る前に観たら悪夢を見そう。体力的にも精神的にも鑑賞には注意が必要。
この作品でいちばんの魅力は、1話1時間前後の作品が、ワンカットで撮影されているということ。映画づくりを目指したことのある人なら、これがどんなに大変なことかはすぐわかる。事前に綿密な計算をしていなければ、ワンカット1発撮りで作品は成立しない。
カメラが縦横無尽に動きまくって、登場人物たちと一緒に観客も物語を体験していくような映画は、いままでも存在した。近年では第一次大戦の戦場に没入させられるサム・メンデス監督の『1917 命をかけた伝令』などが記憶に新しい。ワンカットでリアルタイムに物語が進んでいくこの映画。とはいえ、そのワンカットのなかでは、どこかで繋ぎポイントがあって、CGで上手くワンカットらしくみせていた。それでもこの面倒な演出に挑戦した制作者たちの労力には驚かされた。戦争映画ということもあって、この映画を観た日は当然悪夢を見てしまった。
『アドレセンス』でも同じような上手なCG繋ぎでみせてくれるものと想像していた。作品を観ていて驚くのは、このドラマのワンカットが本当にカメラを回しっぱなしのワンカットに見えるということ。そんなことが可能なのだろうか。カメラは役者の背中を追いかけて、屋外から室内へと突入していく。太陽光と室内の照明は、当たり前だが光源が異なる。光の種類が違うので、どこかで露出を変えなければならない。人間の目はその露出の変換を無意識のうちにやっている。人口の目であるカメラは、人が調整しなければ、たとえオートでも屋外から室内に入れば一瞬真っ暗に、逆に室内から外へ出れば真っ白になる瞬間ができてしまう。その一瞬の光の補正アウトがないだけで、ものすごいハイテク処理がされているのがわかる。カメラが高性能になったからか、それともその調整にCGを使っているのか。使用している機材の性能の高さも、このドラマの演出の成功の要素としてかなり大きい。ワンカメ長回しになることで、まるで演劇を観ているかのよう。役者さんの鬼気迫る熱演は当然すごい。でもなぜこんな大変な演出方をこの作品は選んだのか。
メディアを通して流れてくるセンセーショナルなニュースに、人はどうしても敏感になる。誰かのスキャンダルやゴシップ、不祥事、はたまた恐怖を煽る危険なデマ。そんなものに多くの人が飛びついてしまう。それがフェイクニュースであっても、不安を煽るニュースの方が拡散率がとんでもなく高いという。他人の不幸は蜜の味とは言うものの、自分の身に降りかかるデマにさえ、人は喜んで食いついてしまう。まるで現代のハーメルンの笛吹き男についていってしまうかのよう。
たとえばそのセンセーショナルなニュースがフェイクだったとしても、それを裏付けた訂正の情報には人は寄ってこないらしい。大衆にとってそれが事実かどうかはあまり関係ない。怖いという感情がいちばん大事。まるで怖いものに過剰に反応することに生きがいを感じているかのよう。それがネットだけの問題だったらいいのだけれど、ニュースやワイドショーも、ものごとの本質を深掘りすることはほとんどない。怖いニュースをそのままその野次馬的話題性だけで大騒ぎしてしまう。ニュースばかり観ていると病気になってしまうなんて言われるが、ただ闇雲に怖い情報ばかり受けていたら、そりゃあ心が疲弊して病気にもなる。だからこそ読書が必要とされる。ひとつの分野を取材した本をじっくり読めば、ものごとの本質が見えてくる。それもその種の本を何冊も読めば、多角的にものを見ることもできてくる。深掘りすることで、深入りしなくなる知識を得ていける。このドラマ『アドレセンス』は、そんなセンセーショナルなニュースである、子どもが子どもを殺害するという凶悪犯罪を疑似体験することができる。
凶悪犯罪の家宅捜査の突入から始まり、逮捕から連行する様子をワンカットのリアルタイムで捉えていく。その臨場感がすごい。連行されていくときの、車内での間も現実的。観客もその場にいるような錯覚がしてくる。あらすじで言ってしまえば、大したことのないエピソードでも、没入感で未体験ゾーンに持っていかれる。たいていのニュースの報道で伝えられている逮捕の様子は想像がつく。ただこうやってワンカメショーでじっくり描かれてくれると、感覚的に新しい印象を覚えていく。このドラマは4話構成。このひとつの犯罪で翻弄される多くの人々の姿を、さまざまな角度と視点で1話ごとに描いていく。かつての劇作品では、ひとつの事件でひとつのエピソードで括られることが多かった。でも、人ひとりが殺されるという重大事件では、これだけ多くの人が人生を狂わせてしまうのだと、あらためて感じされられる。
犯人の動機はなんなのか。ミソジニーによるものか、それとも「男らしくあるべき」の強迫観念からか。家庭環境はいたって良好そうだ。加害者は勉強もできそう。でも実際に通っていた学校の様子の空気感はいかに。精神鑑定の場のエピソードから垣間見れる加害者の普通っぽさの中にあるズレ。ワンカットでじっくり芝居を見せることによって、その異常性が見えてくる。そして本人はいたって自分は正常だと思っていること。犯罪者の多くは、自分が世界でいちばんかわいそうな人だと思っている。かわいそうな自分が、他人を傷つけることには正当性がある。自己憐憫が発展すると自分のことしか見えなくなる。ドラマは決定的な事実を絞り込むのではなく、犯罪が起こった土壌を雰囲気だけで伝えてくる。ワンカメショーの狙いはそこにある。なんと知的な演出。
このドラマは4話に絞られているが、この感じだと、ひとつの事件に対してもっといくらでも切り口があるのではないかと思わされる。ひとつの事件で多くの人が傷つく。その人数はドラマを観る前の想像を超えている。殺人事件は、加害者と被害者だけの問題ではないということ。
どのエピソードも重くて辛い。加害者の家族の年齢が、自分と同じ世代というのも厳しい。ワンカットで綴られる加害者家族への迫害の姿。凶悪犯罪者の家庭とひとたびレッテルを貼られてしまえば、集まってくるのは好奇の目と変なヤツばかり。ふと、これがドラマだと気づいてホッとする。このドラマの登場人物の誰もが不幸。この悪夢みたいな現実は、自分ごとではなくてフィクション。自分はモニターの向こうで、この出来事を第三者視点で観ているだけですむ。それだけでもう幸せなのだと思えてくる。
それこそ「他人の不幸は蜜の味」と野次馬根性でワイドショーを観ていても、人生には百害あって一理なし。凶悪犯罪はなぜ起こるか。すこし深掘りして考えてみる。そこから見えてくるものは、外野から見ていたものとは違う風景。人の意見でどうのこうのと言うよりも、自分で考えて自分なりの意見を持つことの重要さ。このドラマでは、はっきりとした結末は用意されていない。登場人物たちはこのドラマで描かれた時間のあとも苦しみ続けるだろう。このドラマの事件による地獄は、まだまだこれからも続いていくと感じられる。続編へと展開することも幾らでもできそう。終わらないからこそ考えさせられる。答えがないというのもいいことだ。自分で考える余白を残してくれる。答えのないことを考えれば哲学になる。作品が残した引っ掻き傷。でもこれは単なるフィクション。暗く重い題材とはいえ、エンターテイメント作品には違いない。上映時間が過ぎれば作品は終わっていく。それこそこの悪夢のような現実的ドラマも消費されていく。この悪夢から覚めて、安心している自分がいる。ドラマを鑑賞した日は、なんとかゆっくり眠れた。大丈夫大丈夫。でも数日後、やっぱり悪夢で起こされてしまうのだった。予想通り引っ掻き傷は深い。『アドレセンス』は、やっぱりトラウマレベルのドラマなのだろう。
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