『教皇選挙』 わけがわからなくなってわかるもの

映画『教皇選挙』が日本でもヒットしていると、この映画が公開時にネットで言われていた。日本の映画興業のヒットチャートから、洋画作品の姿が少なくなってすでに久しい。でもこの『教皇選挙』は、映画館も大混雑とのこと。いよいよ劇場で観てみたい洋画作品が数年ぶりに出てきたかと、作品への期待が高まる。近くのシネコンでこの『教皇選挙』を観てみようと調べてみると、いつもの如く夜遅い時間か朝早い時間に1日1回しか上映していない。シネコンによる洋画虐待の全容があらわとなる。劇場が混雑している理由は、上映回数が少ないので、その少ない上映回に観客が殺到してしまっているからではないだろうか。
日中とか自分のライフスタイルに都合の良さそうな時間帯に上映している映画館は、自宅からはちょっと遠い。「お前は映画館で観るな」と、門前払いされているようにも思える。自分は、ものごとがスムーズに進まないときは、それとはご縁がなかったものだとすぐ解釈するようにしている。ものごとは諦めが肝心。無理に力技で自分の思い通りしようしてしまうと、たいていそれはうまくいかない。ものごとがうまくいくためには、ときにはきっぱり執着の糸を断ち切ることも大事なこと。神の声というものがあるとしたら、きっと日常のこんな些細なことにも宿っているのではないだろうか。映画『教皇選挙』は、配信開始まで待つようにとのお告げを受けてしまったので、それを自分の中でおごそかに受諾した。そしてはからずとも、映画公開後すぐにこの映画は配信開始となっていく。
映画『教皇選挙』が奇跡的なのは、現実にこの映画が日本で公開されていた時期にローマ教皇が亡くなられ、教皇選挙ことコンクラーベが行われたということ。枢機卿と呼ばれる次期教皇とならん候補者の中から、3分の2の票を獲得する者が出るまで、何度も選挙を繰り返すという儀式がコンクラーベ。有権者の満場一致状態になるまで選挙を繰り返す。日本人なら誰もが頭をよぎる天啓が浮かぶ。それこそ神の言葉、「コンクラーベは根比べ」。
洋画の日本での公開は、たいてい世界興行の中でもいちばん最後の方になる。実際の教皇選挙が行われた時期は、世界ではNetflixで映画『教皇選挙』が配信されていたという。この映画が当時ランキング1位になったのは当然の流れ。
実際の教皇選挙はそうそうあるものではない。映画にとっては話題の追い風となった。実際にこの儀式に参加するという聖職者も、この映画を予習がわりに観たとか。本物が参考にするフィクション。この映画をつくるとき、制作者は本物の教皇選挙を大いに取材しているだろう。そして本物の儀式が行われるとき、その模倣を模倣するというパラドックス。なにが本物でなにが虚構かわからなくなってくる。もしこの映画の脚色が大胆で、現実との乖離が大きかったら、現実の教皇選挙はどうなってしまうのか。これこそ歴史改竄ならぬ事実改竄になりかねない。もうわけがわからなくなってくる。まさにこれこそが「根比べのコンクラーベ」なのか。
コンクラーベの意味は、ラテン語で「鍵をかける」というものらしい。選挙に関わる人々が、鍵をかけられた空間に隔離され、選挙期間はそのことだけに心を注ぐ。満場一致になるまで選挙は繰り返される。何度も何度も反復作業をしていると、人はだんだん無心となってくる。権力を手にすることができるかもしれないとなると、人はどうしても欲が湧いてくる。野望の心も燃えたぎる。教皇選挙のルールには、その人が持つ欲望からくる作為的なものを洗い流す意図もあるのだろう。何度も同じことを繰り返して、無心になったときにこそ見えてくるもの。それをここでは真実と捉える。
ひとつの空間に数日大勢が閉じ込められて、密談を続ける。なんとも怪しい隠微な感じ。下界から見るととてもミステリアスで興味が湧く。この中でいったい何が行われているのだろう。しかも女人禁制のおじさんばかりがその中でひっそりと話し合う。ホモソーシャルの妄想も膨らむ。フィクションの付け入る要素があまりに多すぎる。
レイフ・ファインズが演じる主席枢機卿は、自身も次期ローマ法王の候補者でありながら、他の候補者がはたして適任かどうかを調べる役目も担っている。まるで公安や探偵が事件の真相を探っていくかのよう。そこにサスペンス映画的な面白さが生まれてくる。レイフ・ファインズの演じる役は、本人は法王になる気などさらさらない。むしろ信仰から離れることすら考えている。望まぬ地位に就くかもしれないとなったとき、彼が覚悟を決める姿は、まるで少年マンガの青春マインドのよう。おじさんなのに少年の表情をみせるレイフ・ファインズの面白さ。
この映画はとにかくおじさんがたくさん登場する。宗教ではとかく女性は蚊帳の外に出されてしまう。古いしきたりで、家父長制度の歪(いびつ)さ。大勢のおじさんたちが密室でゴニョゴニョ決め事をする。昔ではそれほど違和感ない文化だったのだろう。ジェンダーフリーの現代では、この風習がとてもグロテスクに見えてくる。それもこの映画ではばっさり指摘している。とても小気味いい。壮年シスターの活躍も観客にカタルシスを与える。このシスター役の人、誰だっけとなる。イザベラ・ロッセリーニではないか。ディヴィッド・リンチ監督の『ブルーベルベット』のミューズが、すっかり貫禄のあるシスターとなっている。時の経つのは早いもの。
教皇選挙という儀式を追うだけで、はたして物語が面白くなるのか。そんな危惧も稀有に終わる。こんなにもスリリングな映画になってしまうとは。宗教画を意識しているシメントリーの画面づくりや、色鮮やかで荘厳な衣装も映画的で楽しい。登場人物の呼吸音を強調した音声も緊張感があって印象的。映画の技術の工夫がふんだんに盛り込まれている。
実際の教皇選挙でここまでドラマチックなことは起こらないにせよ、大勢の人が無心で集まることができたなら、人智を超えた事象も起こるのではないかとは思えてくる。森羅万象の流れがあると感じることは、日常生活の中でもしばしばある。自分もファンタジーが好きなので、人知の及ばぬ存在はあって欲しいとも思う。でも反面、迷信や奇跡のようなものは、現実にはあり得ないとも思っている。ただ、自然の欲する大河の流れというものは確実に存在していて、その流れの中で人はどれを選んでいくかで人生が変わってくるものだとは思っている。だからその流れに逆らって生きれば、人生はきつくもなるし、最終的には破滅へと向かってしまう。己の我を滅して初めて自由になれていく。なんとも矛盾しているが、それが自然摂理。もしかしたら宗教観というものはそこにあるのかもしれない。ものごとは自分が思い描いたものと違う形で、幸せの道が示されたりもする。気になっていた過去の人に、思いがけない場所で再会したりするのは、何かの流れがあるのではないかと感じされる。それが奇跡というならば、奇跡になるだろう。
『教皇選挙』は、いくつかの現実的な奇跡が何度も起こってくる。ただ儀式を再現したのではなく、宗教を越えて普遍的な奇跡の形を示している。ほとんどの観客が宗教家ではないのに、これほどまでにしっくり感情移入させてくれる語り口の軽妙さ。映画が終わるころ、観客の我々も「この人ならば教皇にふさわしい」と納得させられる。すとんと落ちるカタルシス。システィーナ礼拝堂の煙突から、新教皇が選出された合図の白い煙が上がる。そこへ集うよう民衆と同じように、我々観客も歓声をあげたくなってしまう。そして現実のニュースでも同じような映像を見ることとなる。ニュースでの煙突の映像には、カモメがたくさん集まっていた。そのカモメの無関心さも、人間界との温度差があって面白い。それこそ映画の場面よりも絵になっていた。事実は小説よりも奇なり。もしかしたら今回の現実の教皇選挙も、映画よりはるかにドラマチックな事象が起きていたかもしれない。そんなことを想像すると、またロマンが広がっていく。
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