『はちどり』 言葉を選んで伝えていく
雑誌に韓国映画『はちどり』が取り上げられていて興味を抱いた。中学生が主人公の映画でフェミニズムを描いている。現代的な優れた作品としての評価。学生が主人公にも関わらずPG12指定というのが気になる。あんまりエグい作品は観たくない。『はちどり』は静かな印象がする。主人公が喫煙や軽犯罪をする場面があるためのレーティングらしい。
はちどりというと、子どもが観ていた『ざんねんないきもの事典』で紹介されていたのを思い出す。はちどり2羽がヤンキー言葉で会話している。はちどりはホバーリングしながら飛んで、花の蜜を吸っている。体力をものすごく消耗するから、常に蜜を吸っていなければならない。もし蜜を吸うのをやめると餓死してしまうとのこと。「マジっすか。オレたち死んじゃうんっスか?」はちどり人生は、エネルギーを消耗するのと補給するのがギリギリの自転車操業。生きるために働くのか、働くために生きているのか。そんなテーマの映画なのかと思っていた。ヤンキー言葉で語り合う、はちどりたちの声が耳に残る。
映画『はちどり』のホームページを覗いてみると、『お嬢さん』のパク・チャヌク監督のレビューが載っている。蜂とも鳥とも言える生き物のはちどり。中学2年生の主人公ウニの年齢が、大人でもない子どもでもない、人生の微妙なポジションであることと照らし合わせていると解釈。本作のキム・ボラ監督の言葉では、はちどりの生命力と主人公ウニを照らし合わせてのネーミングらしい。1994年が舞台となっているこの映画。キム・ボラ監督の実体験がモチーフになっているのはすぐにわかる。
アジアで問題となっている男尊女卑などのジェンダーの問題や、学歴至上主義など、収入や肩書き重視社会の歪みの皺寄せが、ウニたちの生活を蝕んでいる。ウニの両親は、商店街で餅屋を経営している。経済的にも厳しそう。長男には有名大学進学を強要されている。男性優位の社会構造で、娘たちはほとんどネグレクト状態。姉はやさぐれているし、末っ子のウニは家庭での居場所がない。
ウニが自分の家を間違えるところから映画は始まる。巨大集合住宅に無個性の扉が並んでいる。ウニが間違えた誰かの家庭の扉と、ウニの家の扉との違いはない。それが無数に並んでいる。それぞれの家庭があるはずなのに、そこには記号的な箱が並んでいるだけ。人の心や人権がどこかに消えてしまった社会の縮図。
孤独なウニにも友達はいるし彼氏もいる。下級生に慕われたり、なんとなくリア充なところもある。でもやっぱり寂しい。誰もが自分のことで精一杯。真にウニの話に向き合ってくれる大人がいない。ウニの望みは、誰かにちょっとでも話を聞いてもらいたいだけ。それでも社会や学校は子どもに冷たく厳しい。切羽詰まっている大人たちは、ただ子どもたちを服従させようとするだけ。
映画の中では、じわじわ嫌なことが連続して起こる。それもとんでもなく嫌なことでないところが絶妙。日頃のちょっとした嫌なことが重なり、その蓄積によって心がささくれ立っていくのを、映画が丁寧に追体験させてくれる。
男性優位の社会なら、男性は幸せなのかというと、そうも見えない。ずっと威張っていなければいけないプレッシャー。韓国文化は、日本より元々上下関係が厳しい社会。目下の人は常に目上の人に敬意を払わなければならない。その代わり目上の人は、自分が無理をしてでも目下の人の面倒を見なければならない。こうして社会が回ってきた。でも目上の人たちの余裕がなくなり、ただただ威張り散らしたり、暴力を振るったるするようになってしまっている。映画の中で、女性たちは困難を歯を食いしばって耐えている。男性の方がメソメソしているのが対照的。
自分がどんなに努力しても、それに見合った生活ができない。果たしてそれを個人の努力不足だけで済ませていいのだろうか。働けど働けど楽にならないのなら、社会構造自体に問題があるのかもしれない。みんなが辛いだけの人生に疑問を投げかける。
孤独なウニにも、正面から受け止めてくれる大人が現れる。塾講師のヨンジ先生がその人。ウニとヨンジ先生が左利きというのもあってか、ヨンジ先生はウニの数年後の姿にも思えてくる。ヨンジ先生は、ウニの悩みに安易な慰めの言葉は発しない。「きっと大丈夫だよ。私も戦ってるよ」と、ヨンジ先生の声なき声が聞こえてくる。そんなヨンジ先生が何かを伝えようとしている。じっとウニの目を見て、言葉を選んで伝えていく。一瞬のものすごい緊張感。静かだけど感動的な場面。
そんな素敵なヨンジ先生も、他の大人からは「変わった人だ」と批判されている。ウニの知らないヨンジ先生の姿がある。ヨンジ先生がどんな人物なのかは、映画は語らない。彼女の背負った生きづらさは、また別の物語。
キム・ボラ監督の演出は多くを語らない。劇伴も極力流さない。音楽で登場人物の感情を補足するような野暮な真似はしない。むしろ風にたなびく木々のせせらぎが、彼女たちの心情を補完してくれている。急いで情報だけを見ていかない。答えを出さずにゆっくり揺らいでいく。情報過多な現代では大事なこと。
1994年が舞台と限定しているのも、その年が韓国では歴史的な出来事があったから。今後、韓国の教科書に載っていきそうな出来事も、市井の生活のなかでは、淡々とメディアの向こうから伝わってくる。大きな流れのなかでは、個人はとても非力。知らないうちに歴史が動いているかもしれない。隣国である日本でも、それは他人事ではない。
韓国では自分を大切にする生き方を見つめ直す風潮がある。ここまで世界的不景気が続くと、精神論で頑張り続けるとかえってダメージを受けてしまう。何をやってもうまくいかない時は、焦らず静観するしかない。とりあえずは生き延びること。心を穏やかにする方法は、自分で工夫してゆっくりみつけていくしかない。
少し前なら『はちどり』のような映画の主題は、観客には響かなかっただろう。この映画に共感できる感性は、自分を傷つけて生きてきてしまった人の方が敏感なのかもしれない。数年前までの、社会やメディアが虚栄を煽り続けている時代は終わった。人間らしい人生を送りたいなら、自分自身で自分を守っていかなければならない。フェミニズムは女性だけの問題ではない。フェミニズムの行き着く先には、ジェンダーを超えた生きやすさが待っている。男性だってラクになる。それは人の尊厳の問題だから。『はちどり』みたいな映画が評価されることに意味がある。この先近い未来、社会がもう一歩成熟していくのではないかと、期待してしまうところがある。
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