*

『アデル、ブルーは熱い色』 心の声を聴いてみる

公開日: : 映画:ア行, , 音楽

2013年のカンヌ国際映画祭で最優秀賞パルムドールを受賞したフランス映画『アデル、ブルーは熱い色』。LGBTQの若いカップルを描いた映画。以前この映画を観たときの自分は、この映画が理解できずにいた。

この数年でLGBTQを始め、さまざまなマイノリティの存在や人権が認知されてきた。自分の価値観も、数年前と今とでは捉え方が変化した。現代のSNSの浸透で、マイノリティ当事者の小さな叫び声が、以前よりもハッキリ聞こえるようになった。メディアの啓蒙も影響している。

LGBTQがまだ特殊な存在に思えていた2013年の日本では、この映画がなぜカンヌで賞を獲るのかよくわからなかった。ヨーロッパは進んでいると他人事。レズビアンの話だからと一線引いてしまえば、この映画はファンタジーとしかならない。演出はドキュメンタリーかの如く淡々としている。大仰な劇伴はなく、使用されている音楽のほとんどが環境音楽。ダンスシーンや食事会の場面で、その場でかかっている音楽ばかり。音の演出からの主観を抜いている。

『アデル、ブルーは熱い色』は、フランスのコミックが原作。日本映画のマンガ原作の実写化とはずいぶん趣が異なる。媒体がなんであれ、調理方法のセンスでいかようにも映画の色合いは変わる。映画はいっけんセンセーショナルな印象を受けるが、純粋な恋愛映画として観れば、不可解なところはなにもない。

高校生のアデルは、青い髪のエマに興味を持つ。クラスメイトに勧められて付き合い始めたボーイフレンドとの交際が、なんだかしっくりこない。アデルの心の声は、エマのことしか頭にない。

エマは美術学生のインテリ。両親も彼女がLGBTQであることを受け入れている。エマとの友人との芸術談義は、アデルには理解できない。そもそも芸術や芸能は富裕層で構成されているもの。一般人や貧しい人がそこに憧れて参入すれば、搾取されるかお里の違いをむざむざ思い知らされるだけ。残酷な身分の違いが、アデルを惨めにさせる。

映画はLGBTQのカップルの出会いから別れまでを描いている。スピリチュアルな言い方をすれば、アデルとエマはソウルメイト。お互いがお互いを求め呼応している。マイノリティ同士、支え合って生きていければいいのだが、そうはならない。

映画はアデルの視点で描かれているので、エマという人が神秘的に見えてくる。エマの第一印象は、カリスマ性のある蓮っ葉女子。でも再鑑賞でその印象は変わってくる。エマは自分から「私はレズビアンです」と堂々とカミングアウトしている。それがカッコいいのだが、その勇気がもたらすストレスの負荷はものすごい。強そうに見える彼女が、一生懸命強がって生きているのがみえてくる。胸を張っていても、足元は震えている。

それに対してアデルは、自身がLGBTQであることを隠して生きている。いつでもヘテロセクシャルに戻れるようにしている。ある意味アデルは、その人が好きならば性別なんて関係ない寛大さがある。エマの仕事が忙しくて夢が叶いそうなとき、「寂しかったから」と同僚の男性と綾瀬に走るのは、理屈は通るが衝動的。お互いこれ以上にないソウルメイトへの裏切り。エマがアデルの裏切りを数年経っても許せずにいることに、いっけん観客からは狭量に感じてしまうが、エマの視点にたてば当たり前のこと。

堂々としているエマが、日常どれだけ傷ついているのか想像を巡らす。世間の偏見と正面切って戦う姿。パートナーに裏切られて、それをどんなに謝罪されても、もう元には戻せない。エマはもうこれ以上誰かに傷つけられたくない。

そうなると、この映画のすべての問題がアデルにあるのではと感じられてくる。アデルはなぜソウルメイトのエマを裏切るのか。その代償を想像できなかったのか。新規追及型の刹那的な気質を感じる。物議を醸した激しい性描写も意味がある。その刺激が欲しくてアデルは彷徨い続ける。倫理を越える欲求。

古今東西、恋愛物語のほとんどは心の病を描いてきた。恋愛ほど短期間でさまざまな感情を抱く出来事はない。その人の内在している問題が露呈していく。悲劇的にうまくいかない恋愛には、なんらかの精神疾患が絡んでいる。この映画の主人公が、派手なエマではなく、地味なアデルというところが肝。いっけんエキセントリックで問題を抱えていそうなエマの方が真っ当で、主人公の地味なアデルの方が生きづらさを抱える思考を持っている。恋愛物語にはまだまだ描くべきのびしろがある。

人間誰しも「自分の考えは正しい」と信じている。でもそれは本人の誤解や錯覚から生じたものなのかもしれない。現実が自分の信じている価値観とズレているとしたら? どんなに努力をしても活路が見えないとき、自分の感覚を疑うのも必要。「自分は正しい」と言い切れる人ほど怖いものはない。

初見のとき、『アデル、ブルーは熱い色』のテーマが理解できなかった、当時の自分に猛省。作品のテーマは先見性があり、演出方法も巧み。ドキュメンタリータッチの大雑把な撮影方法。クローズアップが多いのは、アデルの視野が狭まっている現れ。パーティーで出会ったアクション俳優の青年が、「ニューヨークに行ってみなよ」と、世界は広いよとアデルに語る。我々は、つい日常に追われて足元ばかり見がちになる。たまには海外旅行をして、異文化に触れて視野を広げなければならない。嗚呼、はやいとこコロナ禍が終息しないかしらと、意外なところに考えがまとまっていく。

関連記事

no image

宿命も、運命も、優しく包み込む『夕凪の街 桜の国』

  広島の原爆がテーマのマンガ。 こうの史代氏著『夕凪の街 桜の国』。 戦争

記事を読む

no image

『ワンダー・ウーマンとマーストン教授の秘密』賢者が道を踏み外すとき

  日本では劇場未公開の『ワンダー・ウーマンとマーストン教授の秘密』。DVDのジャケ

記事を読む

『嫌われ松子の一生』 道から逸れると人生終わり?

中島哲也監督の名作である。映画公開当時、とかく中島監督と主演の中谷美紀さんとが喧嘩しながら作

記事を読む

no image

『あの頃ペニー・レインと』実は女性の方がおっかけにハマりやすい

  名匠キャメロン・クロウ監督の『あの頃ペニー・レインと』。この映画は監督自身が15

記事を読む

『PERFECT DAYS』 俗世は捨てたはずなのに

ドイツの監督ヴィム・ヴェンダースが日本で撮った『PERFECT DAYS』。なんとなくこれは

記事を読む

no image

『境界のRINNE』やっぱり昔の漫画家はていねい

  ウチでは小さな子がいるので Eテレがかかっていることが多い。 でも土日の夕方

記事を読む

『鬼滅の刃』親公認!道徳的な残虐マンガ‼︎

いま、巷の小学生の間で流行っているメディアミックス作品『鬼滅の刃』。我が家では年頃の子どもが

記事を読む

『このサイテーな世界の終わり』 老生か老衰か?

Netflixオリジナル・ドラマシリーズ『このサイテーな世界の終わり』。BTSのテテがこの作

記事を読む

no image

『惑星ソラリス』偏屈な幼児心理

  2017年は、旧ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーに呼ばれているような年だ

記事を読む

『今日から俺は‼︎』子どもっぽい正統派

テレビドラマ『今日から俺は‼︎』が面白かった。 最近自分はすっかり日本のエンターテイメ

記事を読む

『夜明けのすべて』 嫌な奴の理由

三宅唱監督の『夜明けのすべて』が、自分のSNSのTLでよく話題

『きみの色』 それぞれの神さま

山田尚子監督の新作アニメ映画『きみの色』。自分は山田尚子監督の

『ベルサイユのばら(1979年)』 歴史はくり返す?

『ベルサイユのばら』のアニメ版がリブートされるとのこと。どうし

『窓ぎわのトットちゃん』 他を思うとき自由になれる

黒柳徹子さんの自伝小説『窓ぎわのトットちゃん』がアニメ化される

『チャレンジャーズ』 重要なのは結果よりプロセス!

ゼンデイヤ主演のテニス映画『チャレンジャーズ』が面白いとネット

→もっと見る

PAGE TOP ↑