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『マッドマックス フュリオサ』 深入りしない関係

公開日: : アニメ, 映画:ハ行, 映画:マ行, 映画館

自分は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が大好きだ。『マッドマックス フュリオサ』は、その『デス・ロード』の続編であり前日譚。『デス・ロード』の登場人物・フュリオサが、如何にして前作で知るフュリオサになっていったかの過程を描いている。

そもそも『怒りのデス・ロード』という邦題が、自分はいまだにしっくりしていない。前作の原題は『Mad Max: Fury Road』。「Fury」は日本語で「怒り」の意味ではあるけれど、「Fury Road」は「フュリオサの道」ともとれる。そもそも『マッドマックス』とタイトルについてはいるが、前作も今作も主人公はフュリオサだと思っている。

ここのところ自分はすっかり映画館への足が遠のいてしまっている。でも大好きな『マッドマックス』シリーズの新作とあらば、行かないわけにはいかない。日本の映画館での洋画の人気の衰退は著しい。さぞ『フュリオサ』の上映回数も少ないだろうと思っていたが、案外劇場も頑張って上映回数を増やしている。公開週に行ったおかげもあるだろう。そもそも前作『怒りのデス・ロード』は、海外よりも日本の方が人気があった。映画館もそれなりの客足を期待しているようだ。

前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は、フェミニズム映画の代表作と言われている。この10年で、さまざまな生きづらさにスポットが当てられ、あらゆる側面から社会に多様性が求められてきた。それもかなり急速に。エンターテイメント業界では、多様性を題材にした作品がどんどんつくられてきた。しかもそれらの作品は大抵評判が良かった。#MeeToo運動やBLM運動、我々日本人とってはアジアンヘイトの問題は深刻。エンターテイメントは、マイノリティの紹介や代弁をし始めた。

昨今のフェミニズム映画ブーム。始まりはディズニーの『アナと雪の女王』や『ズートピア』かと思う。ホラーでは『ミッドサマー』、韓国映画では『お嬢さん』、最近では『バービー』や『哀れなるものたち』などが当てはまるだろう。自分の中では、そんなタイプの映画たちを、「フェミニズムパンク」という括りで心の中で呼んでいる。サイバーパンクやスチームパンクみたいな、サブカルのジャンルひとつと勝手に決めている。「フェミニズム」という堅苦しい響きのあとに「パンク」がつくミスマッチ感。重いのか軽いのか、プラマイゼロなイメージ。正式にジャンル名称化しないかしら。

『デス・ロード』の続編『フュリオサ』も、女性を主人公にしているならば、さらなるフェミニズム旋風吹き荒れるのではと想像してしまう。でも今回の『フュリオサ』は、あまりフェミニズム臭がしてこない。あくまで前作のスピンオフ的続編の立ち位置。アクションシーンは、前作を凌ぐスケール。撮影技術はすっかり手練れている。前作が2時間走りっぱなしだったが、今回は2時間半の上映時間。ドラマパートが多くなったと事前情報。果たしてこの新作、どうなっているのか。

前作『デス・ロード』の魅力は、説明的な表現は一切避けて、状況だけで映画が展開していくところ。カタルシスというのは、我慢に我慢を重ねて爆発するからスッキリするもの。でも『デス・ロード』は、映画の最初から最後までカタルシスだけで進んでいく。あえて説明は省いている。登場人物たちの過去の耐え忍んだ道のりは、映画の行間から読み取れればいい。でも情報が少なすぎては、観客は登場人物に感情移入できない。必要最低限の登場人物たちの情報を、少ないセリフや動作の中で語らせている。それがアクション映画の表現として知的で巧みだった。観客は与えられた情報を通して、登場人物たちに勝手に感情移入していく。

今回の続編『フュリオサ』は、前作の文脈から読み取れた出来事が、場面として具現化される。前作はカタルシスのみを描いた、アクション映画の理想型だった。登場人物たちは、あくまで記号的。人によってはヒャッハーな破天荒映画だろうし、フェミニズムについて考えている人には勇気をもらえる映画でもある。『デス・ロード』は、観る人によって印象がぜんぜん異なってくる。作品の主題を声高に言わないところが良かった。そんな『デス・ロード』の登場人物の過去を掘り下げていったら、苦労ばかりの暗い内容になるのは当たり前。ただ単純に楽しいだけの映画にはならないことは、初めからわかっていた。

前作では割愛されていた映画の世界観や、政治の流れを丁寧に描いていく。というか続編制作になってしまった以上、世界観をあいまいなままにしておくわけにはいかなくなった。主人公はこのあとコミュニティーの女王になっていく人物。どうやって成り上がっていくかも見ものとなる。そうなるとアクションシーンが邪魔にも思えてきてしまう。

今回主人公のフュリオサを、前作のシャーリーズ・セロンからアニャ・テイラー=ジョイに変更されている。前作にも登場したイモータン・ジョーを演じたヒュー・キース・バーンが亡くなっているので代役は仕方ない。主要のふたりの配役が変更になったので、キャスト総入れ替えになったのかと思っていた。でもイモータン・ジョーの部下たちが続投していたので、なんだか懐かしくなってしまった。前作から10年近く経っているのに、みんなあまりお変わりない。もちろんメイクや衣装がマンガ的なので、容姿の変化も分かりずらいだけかもしれない。しかし相変わらずお元気な方々の姿を見て、ホッとしてしまった。

映画はフュリオサの子ども時代から始まる。悪漢に拐われて、生きながらえていく少女。我が子を救いに向かうフュリオサのママがめちゃくちゃカッコいい。だけど前作でフュリオサは、「母は私が拐われた1日後に死んでいる」と言っていた。こんなに強いママなのに殺されることは、あらかじめ約束されている。結末が分かっているのが辛い。フュリオサ・ママが、どれだけ優秀な戦士なのか伝えたいのはわかる。ママの奮闘場面が長い。人は親なると、子どものためならハルクのように変貌する。場合によっては過剰防衛だって厭わないのが親心。親子連れに下手にちょっかい出したら、怪我をしても仕方がない。母親をなめるなよ。だからこそフュリオサ・ママが殺される姿は見たくない。バッドエンド必至なので、さっさと先に進んで欲しい。

男と女とでは闘い方は違う。それは力争いだけでなく、日常を円滑に生きていくための処世術も同じ。コンプライアンスが厳しい現代社会では、男とか女とかで括ってしまうと誤解を招く。ここでは個性の特技の活かし方が違うという意味。フュリオサは健康体で、子どもの頃から容姿端麗。戦闘力も高くて、メカニックの技術もある。それに世渡りしていく頭の機転も効く。女王になる資質は充分過ぎるほど持ち合わせている。けれどどんなに戦闘能力が高くても、本当に腕力のある男と闘うには限界がある。前作でもフュリオサは、ことごとくマックスに負けている。最終的に腕力で男に勝てないなら、見栄えの良さや頭の良さでカバーしていく。現実世界でも、世の女性の多くが日々使っている対男との闘い方。フュリオサは見た目の良さから、悪漢たちにも乱暴に扱われることはない。男たちからみたら、それは商品価値でしかない。大事なお宝を傷物にしたくないだけ。そこには人権は皆無。でもそれを利用しない手はない。いらぬ暴力から免れるなら、いまは自尊心には目を瞑ろう。でもそれは自身の信念に屈することではない。今だけの我慢。

今回の映画では、悪の親分が2人登場する。1人は若きイモータン・ジョー。もう1人はクリス・ヘムズワース演じるディメンタス将軍。どちらの親分に着くのがベストなのかと話題が持ち上がる。イモータンは完全なる実業家。自給自足のコミュニティーを確立している。それを息子たちとのファミリービジネスとして組織化している。格差の激しいコミュニティーではあるが、組織の形態は出来上がっている。かたやディメンタスは、賊として力での成り上がった人物。ディメンタスの組織は、組織云々というより、荒くれどもの烏合の衆。統治も何もないので、拠点地を獲得しても、そこは無法地帯となってしまう。

さて、実業家のイモータン・グループに取り込まれるか、ディメンタスの壊れた愛情も注ぐ父親についていくか。イモータンが大手企業ならば、ディメンタスは街の中小企業といったところ。大手企業は個々とのつながりも薄く冷たいが、そこのルールに馴染んで自分を合わせることができれば、そこの歯車になれる。中小企業は、とかく感情論で動きやすい。社員のことを家族とか呼んだりもする。正直どちらも嫌だ。きっとフュリオサも、どちらか選択するのは困難だったろう。その迷ったフュリオサも、もっとじっくり見てみたかった。

どちらか選ばなければ命に関わる。究極の選択。ベストを考えると道はなくなる。ベターな道をとりあえず選んでいく。白か黒ではなく、グレーの中でどの程度なら耐えられるか。妥協点での選択。常にベストを求めていると、いつまで経っても理想に出会えず何も選べない。そしてどんどん最悪の状態になっていく。ベターを選べば、もしかしたらいつかはベストに近づいていけるかもしれない。人生に答えはないし、選択肢に「必ず」ということはない。きっと自分もフュリオサと同じ選択をするだろう。とりあえず今日できることはここまで。そして選んだ場所も安住の地ではないことを心得ている。この場所についての処遇は、この次にすればいい。それがカタルシス全開の『怒りのデス・ロード』につながっていく。全てをすぐに解決しようとしないところが潔い。

ディメンタスの胸にテディベアがくくりつけてあるビジュアルが楽しい。前作『デス・ロード』で、フュリオサを刺した悪漢は、服にキューピーの顔を釘付けにしていた。かわいいものは好きだけど、どうやって愛でていいのかわからない壊れた精神状態の現れ。狂った感じが良かった。きっとディメンタスのクマちゃんにも物語があるのだろう。映画を見る前から想像力を膨らませる。前作では登場人物のバックボーンは観客の想像に委ねていたが、今回はいろいろと説明してくれている。本編で語られるクマちゃんのいきさつは、なくても言わずもがな。

日本のアニメの影響か、悪人もただ悪人として描かれていない。どうして悪人になったのか、もしかしたら以前は良い人だったのかもしれない。その悪人が犯した罪は許されないが、悪人が悪人になる理由は知りたい。性善説に基づく考え方。そして観る方はどんどんやるせなくなっていく。

映画『フュリオサ』の企画は、元々日本のアニメスタジオでシリーズ化する予定だったらしい。『マッドマックス』シリーズのアニメ化といわれても、果たして自分は観たいと思っただろうか。近年、人気映画のフランチャイズ化が進んで、スピンオフシリーズがどんどん制作されている。いままでスピンオフ作品で気に入った作品はあまりなかった。シリーズのフランチャイズ化は地雷臭がする。『マッドマックス』もマニアだけが好む、狭いオタク作品になってしまうのだろうか。

人間関係は深入りしない方が案外うまくいく。隣の席だったというだけで、すぐ友だちになれるのは、小学校低学年まで。さまざまなスキルや生育を持った人たちが集う社会では、出会ってすぐに手の内をすぐ明かすのは結構危険。自分の親世代の人たちは、同僚だからとかご近所だからというだけで、相性が悪いにも関わらず、無理にでも仲良くしようと接近し合っていた。そして当然トラブルになって帰ってくる。そもそもどんなに努力しても、分かり合えない人というものは存在する。合わないなと思ったら距離をとる。でも相手の存在は否定しない。ケンカさえしなければ、仲良くしたり理解し合う必要はない。そう捉えれば多様性の負担は軽減する。

理由を聞いて「なるほど」となるとスッキリする。でもものごとのほとんどは白黒ハッキリするものではない。理屈でこうだと言い切るよりも、モヤモヤと仲良く付き合っていくことが大事だと思えてくる。『フュリオサ』は、前作『デス・ロード』の答え合わせ的な役割を担っている。でもやっぱり答えなんか欲しくない自分もいる。ちょっと深入りが過ぎたかも。

今回の『フュリオサ』の復讐劇の顛末はとてもしっくりした。いままでのアクション映画のほとんどが、悪を殺せば終わりというものばかりだった。でも相手はなかなか死なない生命力の持ち主。たとえ相手を殺したところで、主人公が奪われたものは戻ってこない。このまま生かすというのも、復讐としてはアリだと思う。これからの勧善懲悪の作品の中で、どうやって悪をおさめていくかというのも、新しい見どころとなっていきそうだ。

『マッドマックス』シリーズには、静かな作品と荒々しい作品とが交互に描かれている。自分はメル・ギブソン時代の『マッドマックス』は、2作目が大好きだった。『デス・ロード』は、『マッドマックス2』の流れを継承している。今回の『フュリオサ』は、シリーズ1作目や3作目の『サンダードーム』を観た時の印象に近い。初見では地味すぎて、作品の意図するところがよくわからなかったりする。今回の『フュリオサ』も、もしかしたら噛めば噛むほど良さがわかってくる「スルメ映画」なのかもしれない。

『マッドマックス』シリーズは、全作同じ監督が演出しているにも関わらず、同じテイストの作品がないところが興味深い。どの作品も同じ世界観を描いているけれど、どこかが違っている。パラドックスをあえて意図的に描いている。伝説や伝承は、伝えられていくうちに語り手それぞれの味付けがついてきて、事実と違ってきてしまうもの。そんないい加減な伝説物語を、『マッドマックス』は、映画で表現しているように思えてくる。はたしてこのシリーズに更なる続編ができるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

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