『僕らの世界が交わるまで』 自分の正しいは誰のもの
SNSで話題になっていた『僕らの世界が交わるまで』。ハートウォーミングなコメディであろうことは想像できるし、この邦題が本編の結末への重大なるネタバレであることも予想できる。プロットをみると、DVを受けている家族を保護するシェルターを経営している母親と、音楽好きの息子との確執の話らしい。社会派の泥臭い話だったらイヤだな。それこそロックしか知らない放蕩息子が、反目している社会貢献をしている母親との誤解が解けてきて、母の事業を共に歩んでいく。他者に貢献することこそが美徳みたいな道徳的映画かも知れない。この映画の母親の職業が、それくらいインパクトがある。職業紹介ものの作品なら、鑑賞への興味はあまり湧いてこない。でもこの映画はその予想と異なり、知的なユーモアのある作品だった。
映画を観始めてからこの作品がA24による製作だと知る。A24というとホラー映画が主流の映画製作会社。ノリに乗ってるアメリカの独立系スタジオ。ホラー映画でもオシャレに売る。そんなA24が、『僕らの世界が交わるまで』のような、コメディドラマ作品もつくるのかと意外な印象。絵作りがキレイでやっぱりオシャレ。A24らしい。もっと泥臭い映画を想像していたので、本当にDVから家族を守るシェルターが舞台の映画なのかしらと疑ってしまう。他の映画のプロットと読み間違えたのだろうか。
この映画はジェシー・アイゼンバーグの第1回監督作品とのこと。ジェシー・アイゼンバーグって誰だっけ。調べてみるとデヴィッド・フィンチャー監督の『ソーシャル・ネットワーク』で、マーク・ザッカーバーグを演じてた役者さんだった。『僕らの世界が交わるまで』では脚本も書いている。監督1作目にかなり地味な題材を選んだものだ。プロデューサーには俳優のエマ・ストーンもクレジットされている。名優ジュリアン・ムーアがこんな小品に主演で出ているところも興味深い。家族の心の機微を描くこの映画。アクションも大きな事件も起こらない。人と人とが小さくぶつかるけれど、サスペンスにはならない。あくまで日常の切り抜き。地味な題材だからこそ、演者としては奮い立つものがあるのだろう。
とにかくジュリアン・ムーアとフィン・ウルフハードが演じる親子がキレイ。スター性のある俳優の起用だけでも、この映画を観ていきたくなる。フィン・ウルフハードが演じる息子のジギーは、自身のネット配信で成功している。母親のエヴリンは、DVから家族を守るシェルターを経営している。いち企業のトップということで、この人も社会的地位を得ている。この母と息子は、それぞれの道での成功者といえる。この映画でほとんど出番のない父親は、プー太郎なのかと思いきや、どうやら学者らしく栄誉ある賞を獲ったとか。ようするにエリート一家ということになる。側から見ればなに不自由のない地位や力を持った人たち。母が息子に「恵まれているのに贅沢ばかり言う」と嘆く。でもそれは母も同じ。普通ならそんなエリート一家の物語が成立するとは思い難い。そこを丁寧に切り込んでいく作者や演者の創作意欲を感じる。DVから逃げてきた家族のエピソードをメインに持ってこないところがいい。インテリの家族にスポットを当てるという、あまりなかった視点の作品の切り口。
この家族を見ていると、この人たちがとても魅力的なので、映画自体がどこへ展開していくのかまったく予想がつかない。さまざまな角度からこの家族の物語は発展していく可能性がある。設定が豊かなので、テーマがひとつに絞られてしまうのがもったいないくらい。『僕らの世界が交わるまで』は、母と息子の確執の話に絞られていく。反目し合う母と息子だけれど、会話はきちんとするし、仲がいいときもある。取り返しがつかないような関係ではない。でもなんとなくぎこちない。うまく噛み合わずに、互いを傷つけ合ってしまう。批判し合うこの母子を父親が「似た者同士」という。ずばりそれがこの映画の答え。でもそれを観客にエピソードで納得させるのは至難の業。はたしてどうやって我々観客を頷かせてくれるのだろうか。
人は誰でも少なからず、自分は正しいと信じている。自分の価値観に自負もある。これまで生きてきた方法について正しさを感じている。安定した生活を手に入れていたとしたらなおのこと。その自分なりの正義が確立してしまうと、自分の価値観を他者にも伝えたくなってくる。自分が気に入った相手には、良かれと思って自分の価値観をゴリ押ししてしまう。親切の押し売り。でもそれがはたして本当に正しい生き方なのだろうか。価値観はその人その人でカスタマイズしていかなければならないもの。
この映画を観ているとき、自分はこの母子の他者に接する態度に、ずっとヒヤヒヤしていた。そんなことしなければいいのにと。そう、自分の価値観に固執して、他者に押し付けてしまうの行為は自分もよくやっていた。当の本人は親切のつもりでやっているのだけれど、そんなの受けた相手側からしてみれば、ありがた迷惑もいいところ。これではもっとも好かれたい相手にこそ嫌われてしまう。求められていないアドバイスは、コミュニケーションの初歩として厳禁もいいところ。それは相手の尊厳を踏みにじることにもなってしまう。話し上手は聴き上手。相手が聞いてこない限り、自分の話はしない方がいい。自分語りをしないことが、もっとも近道な他者と知り合える方法というパラドックス。
この母と息子は、それぞれの道で成功を掴んでいる。それも自力で。自分の生き方を確立できてしまうことは、才能と言ってもいい。その才気あふれる母と子は、自分が思っている以上に力を持っている。この母と子の自己認識の低さ。力を持っている人の存在は、それだけで脅威になる。自分が気軽に話しかけたつもりでも、相手は圧を感じているかも知れない。相手が自分の話を聞いてくれているのは、自分に興味を持ってくれているからではなく、単に気をつかってくれているだけかもしれない。他者と自分との関係性の認識のズレ。母と子は、不本意ながら孤高の人となっていく。
力を持つと人は孤独となる。そう捉えてしまうとやるせない。でもこの母と子がそれぞれの社会で孤立してしまうのは、自己愛が強すぎて空気を読めていないだけのこと。ふたりが人間関係で同じような失敗をしていく姿を同時進行でみせていくという映画的おもしろさ。けして人間関係を壊してしまうような大失敗をしているわけではないけれど、自分だけ突っ走ってしまったことに気づく瞬間は、やはりかなりしんどい。
この母と子がそれぞれ描く理想の姿は、いっけん水と油のようでいるけれど、精神的に向かっている方向はよく似ている。息子が好きな音楽はロックやポップス。母はいつもクラシックを聴いている。でも母は、かつてローリングストーン誌に勤めたい夢があったと語る。なんだ、ロックが好きだったんじゃないか。「若者の音楽なんてわからない」と母は言い放つ。でもロックという大括りのジャンルでの変遷など、たかが知れている。子どもが触れるものはわからないと、勝手に壁をつくってしまっているだけのこと。むしろこの母親が、いつどの時点で音楽の趣味が変わったのだろうと気になってくる。きっと出産を機に趣味が変わったのではないだろうか。
母のエヴリンは、よその家の子に愛着を感じはじめる。その子が特別良い子に見えるのは、よそ行きの顔をつくっているからにすぎない。その子にとっては、自分を庇護してくれる目上の人に失礼のない態度をとっているだけのこと。それは素晴らしい大人な対応だけれど、それを社交辞令として取れなくなるくらい、エヴリンは他者が見えなくなっている。
息子ジギーが憧れる女の子は、政治的な話が好き。ジギーは、そんな重苦しい話よりガス抜きの音楽でお金を稼ぎたい。スターになりたい。政治と芸能界。重いものと軽いものではあるが、それらの世界はひとつに繋がっている。社会がよりよくなるためには、自分はなにができるだろう。ジギーが憧れるインテリな彼女は、ジギーが疎ましく感じている母親とそっくりの思考。実のところ母も息子も、他人の姿を借りてお互いの存在を求めている。
映画を観たあとに余韻が残る作品は、映画が終わったあとも、この作品の登場人物たちの人生が続いていくのだろうと感じさせてくれるもの。人生を歩んでいるといろいろなことが起こる。あれもやらなきゃこれもやらなきゃと、どうしても焦ってしまう。映画『僕らの世界が交わるまで』に登場する家族には、たくさんのエピソードがあり、今回のこの映画で取り上げられた「母と子の確執」は、その一端でしかない。いくらでも映画の続きの話がつくれそうだ。他の方向にも展開していける可能性をすべて捨てて、「母と子の確執」という一本のテーマから作品がブレないところが潔くて知的。これもこの映画のキレイなところ。
人生においては、映画のように何かひとつのテーマに絞って、ひとつずつ問題を解決していくことは難しい。人生でのすべての事柄は、たいてい同時進行で起こってくる。マルチタスクで対処していかなければならない。映画はひとつの問題を丁寧に解決していく例を与えてくれている。まるで薄紙を一枚ずつ剥いでいくような地道な作業。そうやって自分や自分の人生を整えてゆく指針をみつけて行く。教訓という言葉で表現してしまうと、答えがひとつしかない感じがするのでちょっと違う。もっとフワッとした、観た人それぞれが得るものが異なってくるような人生観。言葉では伝えにくいものを伝えることができるのが映画の良いところ。映画という媒体だからこそ描ける心の機微。ラストシーンが終わったとき、思わずため息がでてしまうセンスのいい映画だった。
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