『ふつうの子ども』 子どもの世界も大人の世界

年末になるとその年の映画ベストテンをSNSにあげる人が多い。日本に散らばる映画ファンたちがどんな映画が好みだったか。そのリストに自分の未見の作品があれば、今後の映画選びの参考にさせてもらっている。年末年始の楽しみでもある。ただ2025年に関しては、それぞれの作品リストが細分化しており、満場一致でこの作品がいいという傾向が取りづらかった。それよりも初めて聞くようなタイトルが多く、そもそもその作品を知らないので、その意見が偏っているのか一般的なのかも判別しづらい。2025年は邦画をベストテンにあげる人が多いように感じた。自分にとっての映画鑑賞は、海外の文化に気軽に触れられる媒体として捉えている。国産の映画も観るけれど、その映画が国内で話題になっているから観るというよりは、その映画が海外で評価されたかどうかのほうが作品選びのポイントとなる。海外から日本がどう見えているか。海外からの評価を知ることで、現在の自分の国や身の回りのことを見ていく参考にする。自分は邦画の楽しみ方が、一般的な日本人とはちょっと違った楽しみ方をしているのかもしれない。だから率先して邦画を観ることがない。そうなると邦画中心のベストテンは、自分にとってはアウェイの情報になってしまう。
そんな各々の年間ベストテン・ムービーのタイトルを見ながら、印象に残るタイトルを調べてみたりする。この『ふつうの子ども』という映画は、公開時から話題になっていたので、ずっと気になっていた。『ふつうの子ども』を、好きな映画に挙げている人は多い。
この映画に興味が湧いたのは、ポスタービジュアルが可愛らしくて魅力があったから。日本の映画のポスターというと、出演者の顔を並べるだけでどんな映画なのかさっぱりわからないものが多い。きっとポスターデザインする業者は、作品を観ないでつくっているのだろう。多くの映画ファンは、映画のポスターで作品を選んでいる。誰が出演しているかよりも、どんな雰囲気の映画なのかがもっとも重要。卒業アルバムみたいに、キャストの顔ばかり並べるポスターなんて見たくもない。一枚の画像で、ばーんとその作品のイメージを伝えられるようなポスターが欲しい。この『ふつうの子ども』のポスターは、一枚の画像をコラージュデザインしたものだった。小学生の男の子が、読書している女の子に話しかけようとしているポスタービジュアル。スター俳優の顔写真ではなく、よく知らない昭和の子みたいな顔立ちの少年がメインのポスター。しかも明るいポップなデザイン。邦画は暗くて重い作品が多いので、これだけ明るい感じのポスターはインパクトがある。この知らない少年が主人公の映画を観てみたい。純粋にそんな気持ちにさせてくれる。でもタイトルの『ふつうの子ども』にある「ふつう」とはいったいなんなのだろう? 「ふつう」という概念は人それぞれ。10人いたら10人分の「ふつう」が存在する。これはもう現代の哲学。そんなこともこの映画を通して語ってくれそうな気がした。期待値がどんどん高まる。
『ふつうの子ども』は、劇場公開から間もないのに、すでに配信が始まっている。配信のスタートボタンを押して、映画が始まるとすぐぶっ飛んだ。カメラが子どもの目線(アイレベル)より低い。子どもの目線で撮影されているということは、大人がしゃがんで子どもたちのアイレベルまで降りて撮影していることが想像できる。かつて小津安二郎監督は、カメラの構図にローアングルを好んでいた。撮影スタッフは、常にしゃがんだり腰をかがめたりして撮影していたので、みな腰痛に悩まされていたという逸話がある。さぞかし『ふつうの子ども』のスタッフも腰痛に悩まされたのではないだろうかと、いらぬ心配をしてしまう。小津作品では、ローアングルのフィックス画面がほとんどなのだが、この『ふつうの子ども』のカメラワークは、ローアングルのまま、手持ちカメラでガンガン子どもたちの動きを走って追いかけていく。子ども目線で行こうというその心意気から、この映画がただものではないことを感じ取らせる。
『ふつうの子ども』の子ども目線は、字義通りのローアングルもあるけれど、子どもの社会を子どもの視点できっちり描こうとしている真摯な姿勢が伺える。子どもの社会と侮るなかれ、子どもの社会で起こっていることは、大人の社会でも同じことが起こっている。そもそも子どもとか大人とかで線引きをすることの無意味さを、この映画を観ていると実感させられる。子どもの世界だって人間関係は難しい。みんなそれぞれ自分の価値観を持っている。個性があるからこそぶつかってしまう。子どもの喧嘩に親が首を突っ込むなという言葉があるが、子どもの社会が大人と同じなら、子どもの社会には親も絡んでくるのがセットとなると、さらにややこしいことになる。子どもの視点で描かれている映画だからこそ、大人が巨大に見えて圧を感じる。子どもの社会がしっかり守られていなければ、大人の社会ならなおのことカオスになってしまう。人間関係の悩みは、大人も子ども関係ない。誰もがみんな難しくて頭を悩ませる重大問題事項。
主人公の小学生・上田唯士(ゆいし)くんは飄々としていて、友だちもたくさんいて、小学校ライフがうまくいっている。ある日、環境問題とか難しい意見を言う心愛(ここあ)ちゃんの考えを知って、素朴にすごいな、かっこいいな、好きだな、となっていく。心愛ちゃんは、こんなに地球を汚した大人たちが悪いと主張する。風間俊介さんが演じる先生が「極論はよくないよ」となだめる。先生の意見は絶対と信じているクラスの生徒たちは、先生の意見に同調する。自分の意見を聞いてもらえなかったことで、心愛ちゃんのフラストレーションは溜まっていく。
この映画の主人公はあくまで子どもたち。カラフルで、まるでドキュメンタリー作品を観るかのような自然さ。でもこれはドキュメンタリー映画ではない。子どもたちのセリフも聞き取りやすいし、映画にはきちんとしたストーリーがあるので、アドリブも難しい。自然体でありながら、ちゃんと手綱をひいた演出が活きてくる。呉美穂監督の演出の狙いの明確さが伝わってくる。子どもが主人公の映画でも、大人たちも魅力的に描かれている。学校の先生役の風間俊介さんなんて、こんな先生いるいると思わされるし、唯士くんの優しいお母さん役の蒼井優さんは、大人部門の主人公でもある。
唯士くんの家の感じがとてもリアル。育児経験がある身としては、よそのお宅の雰囲気というものにとても興味が向いてしまう。唯士くんのカラフルなファッションは、きっとお母さんの趣味なのかなと想像させてくれる。家を守るのはお母さん。いつしか家族の誰もがお母さんを頼って、お父さんまで奥さんに甘えてしまっている。お母さんからしてみれば、我が子と幼稚化した夫と、2人の子どもを育児しなくてはならなくなってしまう。大人も子どもと化してしまうと、『ふつうの子ども』のタイトルが示す意味の範囲がさらに拡大されてしまう。
映画は唯士くんの家庭のみに絞って描かれていく。観客としての好奇心は、他の子どもたちの家庭にも興味が湧くが、ここはひとつの家庭のみに絞った、シンプルで潔い演出はかなりの英断。クライマックスで他の子どもたちの親たちも一斉に会することで、すべての不明点が明らかになる。この子の親がこの人と納得させられる。やはり子どもの世界は大人の世界と地続きとなっている。
唯士くんが憧れる心愛ちゃんは、環境問題に入れ込んでいる。活動家のグレタ・トゥーンベリさんを彷彿とさせる。実際のグレタさんの動画は、映画本編では使えなかったらしく、彼女の有名な「How dear you?」の涙ながらの会見の再現動画が引用される。「How dear you?」という、和訳するといくらでも意味が出てきそうなこの言葉が、作品のキーとなっている。この映画では、活動家の思想よりも、活動に傾倒していく心理というものが丁寧に描かれている。
この映画のプロデューサーが、学生運動時代の人で、そこでのわだかまりを作品に反映させているというインタビューを読んだので、あながち的外れではないようだ。
最初は崇高な志のもとに始めた行動も、いつしか激化していってしまう。社会をより良くしたいと思って始めた行動が、いつしか反社会的になってしまう。普通の大人でも、ある日ある思想に衝撃を受けて、その思想にどハマりしてしまうこともある。良い方に迎えば良いが、世間からズレた感覚に陥ってしまうこともある。一般の若者が暴徒となった学生運動を彷彿とさせられる。あのとき学生たちが一丸となって当時の大人たちに抗議した。でも現在の日本で、あの時の若者たちの主張が反映されているとはとても思えない。学生運動ってなんだったのだろう。
学生運動世代は、自分の親世代でもある。学生運動に参加した人に、そのことを聞いてみたことがある。思想がどうとかよりも、大勢で集まって行動を起こすことが楽しかった。もしかしたらそれだけだったのかも知れない。そんなことを聞いたことがある。学生運動のデモは、警察とも対立するのに、暴徒に囲まれて警察に保護してもらうような話も聞いたこともある。壮大な志の若者もいただろうけど、「活動をする」というイベントに参加しただけという感覚の若者も多かったのではないだろうか。
『ふつうの子ども』の子どもたちの親をみると、その子の親だとすぐわかる面白さがある。主人公の唯士くんの家庭だけにスポットを当てていたにも関わらず、直接描写されていない他の家族の様子も想像できてくる不思議。カッコいい思想を語っていても、本当の気持ちは単純に自分の話を聞いてもらいたいという願望にたどり着く。人の気持ちは結構シンプル。思想やら言い訳やら、いろいろ理論武装するからややこしくなってくる。そうか、お互いの話を聞いてあげるだけで、世の中の争いごとの多くは未然に防げるのかも知れない。どこにでもありそうな小さな子どもたちの世界を描いているようでいて、壮大な人類史を風刺している。この小さな世界は、すべての世界に通じている。映画はきちんと社会風刺になっている。難しいことを題材にしているのに、画面はカラフルで明るいコメディに仕上がっている。なんて知的なんだろう。
ショーン・ベイカー監督の『フロリダ・プロジェクト』の日本版をつくりたいというのが、この映画の企画だったらしい。でも『ふつうの子ども』は『フロリダ・プロジェクト』よりもはるかに明るく楽しいタッチで社会を風刺している。難しいことを簡単な言葉で語っていくことの重要性。呉美穂監督は大林宣彦監督の元で仕事をしていた経験があるとのこと。呉美穂という名前も「お・みぽ」と発音するらしい。在日韓国人三世で韓国語は話せないとのこと。きっと生きづらいこともあっただろう。そして監督自身が実際にお母さんだということの雰囲気が、この映画から滲み出ている。とにかく子どもたちに対する視点が優しい。
この映画には3つの家族が登場する。どの家族も、この子の親はこの人なのだと笑えるくらい説得力がある。自分も親なので、どの部類の親なのか客観的に考えてしまう。きっと自分は、この映画ラスボス的な存在の親に当てはまるだろう。でもそれじゃあダメだと自覚しているから、必死に蒼井優さんが演じる親みたいに優しくなろうと努力している。どこのうちにも、独自の「ふつう」があるのがよくわかる。その「我が家のふつう」は他者から見れば「特殊」だったりもする。自分はふつうだと言いきれてしまう人ほど怖いものはない。10人いれば10通りの「ふつう」が存在する。では「ふつう」とはいったい何なのだろう。考えると堂々巡りになってしまう。やっぱりこれは現代の哲学。答えは出ないけど、ずっと考え続けなければならない課題。『ふつうの子ども』は、いろいろ楽しみながら考えさせてくれる知的な映画だった。
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