『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』 みんな良い人でいて欲しい
『牯嶺街少年殺人事件』という台湾映画が公開されたのは90年初期。その頃映画小僧だった自分は、映画ならなんでも観てやろうという意気込みがあった。当時はミニシアターブームの全盛時代。たとえ難解なアート系映画であっても、一般層の観客がけっこう観ていた。小難しい映画を観ることが、オシャレみたいになっていたところもある。当時はSNSなどないので、今のような考察ブームが起こることもない。わからない映画を観て、うーんと頭を抱えて、そのままにしておくような感じだった。それで良かった。映画は一般大衆的な娯楽ではあるけれど、受け手はそれぞれひとりの人間。ひとつの映画を観たとしても、みんながみんな、各々違った感想を持っていていい。今のようなネットの考察ブームがあると、インフルエンサーの声がすべてになってしまうようで、それも味気ない。映画は、観た人の数だけ解釈が違っていい。
日本で台湾の映画が観れるというのも、当時だからこその珍しさ。エドワード・ヤン監督の『牯嶺街少年殺人事件』は、公開当時かなり話題になった。そもそも『牯嶺街』という漢字が読めない。これがすんなり『クーリンチェ』と読める人は、かなりの映画好きと言ってもいい。自分はこの映画、実のところ今のいままで未見だった。これだけの話題作でありながら、鑑賞を避けていたのには大きな理由がある。それは上映時間の長さ。この映画、本編だけで4時間ある。3時間の映画でさえ、観るだけで体力を消耗してしまうのに、4時間の上映時間を映画館で観るなんて、恐ろしすぎる映画体験。なによりこんなに長いと、上映の最後の方では、映画の内容が頭に入ってこなくなってしまうのではと心配してしまう。アジア映画の苦手なところは、名称が漢字表記でルビが振られないところにもある。とにかく名称がどう読んでいいのかわからない漢字ばかりなので、観ているだけで混乱してしまう。もう途中で理解するのを放棄しかねない乱暴な心持ちになってしまいそう。
この映画が話題だったのも、この長すぎる上映時間にあったのかもしれない。映画鑑賞の持久対抗レースに参加できるか否か。映画ファンの根性が試される。海外映画鑑賞のスタイルの主流が配信が多くなってしまった現代では、この長尺映画の鑑賞姿勢も変わってくる。一気に4時間この映画に没頭するのではなく、ちびちび分轄しながら映画を観ていくこともできる。本来映画は、制作者の意図通りの上映スタイルに付き合うことで、なにか得られるものがある。計算された映画の上映時間に従う映画鑑賞による心理的効果を無視してしまうことにはなるが、だからといってそれでその映画の鑑賞を断念してしまうのはちともったいない。敷居が高かった『牯嶺街少年殺人事件』も、配信サービスによって気軽に楽しめる映画となった。
『牯嶺街少年殺人事件』と、タイトルに『殺人事件』とついているので、すっかり推理ものかサスペンスものを連想させる。このミスリードを狙ったタイトルはなかなかセンスがいい。英題が『A Brighter Summer Day』だから、その方が甘ったるくてちょっとイメージが違う。
4時間も上映時間があるのだから、映画の情報量がすごいのではと思いがちだが、さにあらず。この映画は上映時間に関わらず、余白がものすごく多い。描かれていない物事がほとんど。映画は人物を捉えるというより、その時代その場所の空気を再現して撮影しようとしている。物語らしいものはあるし、ちゃんと主人公もいる。でも映画は、そこに映る人物たちの心情にはフォーカスしていかない。登場人物たちが実際なにを考え、どう感じているかを直接描写することに演出は興味を示さない。それがこの映画の芸術的なところ。
『牯嶺街少年殺人事件』は、実際に起こった中学生の殺人事件が題材になっている。監督のエドワード・ヤンが、少年時代にこの事件の報道をリアルタイムで聞いて、衝撃を受けたことが映画化のきっかけとのこと。他国である日本では、事件が起こった当時の温度感は想像するしかない。きっと大事件だったのだろう。台湾の人なら知らない人はいないという事件だったのかもしれない。この事件をはじめから知っている人とそうでない人とでは、映画の印象がまるで違ってくるだろう。日本ではこの映画は、ひとつのファンタジーのような趣さえ覚えてしまう。
映画が始まっても殺人事件は起こらない。この映画は、殺人事件が起こるまでの過程がゆっくりと描かれている。むしろ『牯嶺街少年殺人事件』というタイトルは、ラストシーンに起きる出来事への究極のネタバレと言っていい。こと映画がどこまで事実に基づいているかは、日本人である自分にはよくわからない。中国から台湾へ移民してきた主人公の家族。主人公の少年の両親はインテリ。本来ならこんな極貧生活を送るような人たちではない。経済的に貧しくなると、人の心は荒んでくる。自国にいるときはエリートだった主人公の父母も、ここでは荒んだ田舎でのよそ者でしかない。セリフだけで語られる、父親が頼っていた恩師は、どうやら政治犯らしい。恩師を心の支えに異国で頑張っていこうとしていた父親に嫌疑がかけられる。何日も監禁されて尋問を受ける。裏切られたことと、もうなにも頼るものがないという絶望感。そりゃあ家庭も荒む。それでも映画は、荒んでいく心情には寄り添うことはない。淡々と出来事を捉えているだけ。そうなると画面に映っている人たちは、なんら傷ついていないようにも見えてくる。ドライな視点が、かえって画面の中の世界に観客に好奇心で惹き込んでいく。
クライマックスに殺人事件が起こるというのが作品の目玉だけれど、それ以外にも劇中には何人も殺されている。この殺伐としたきな臭い世界観も、空気を捉えようとする映像美で、なにが起こっているのかわからなくなるようになっている。エドワード・ヤン監督は、あえてこの映画の事件を取材しなかったのか、取材した上で真実の探究から離れていったのか。映画は観客の感情移入を大いに拒んでくる。そうなると登場人物の誰もが善人に見えてくる。本来ならそんなはずではないはず。荒んだ生活で壊れた人たちが、なるべくして犯罪に手を染めていくのが現実だろう。映画は無理をしてでも純愛ものにしようとしている。実際にこの凶悪犯罪のニュースを聞いたエドワード・ヤン少年は、このやるせない事件に、なんとかして救われる道がないかと模索しているようにも思われる。この映画はある意味、鎮魂歌なのかもしれない。実際にこの事件で命を落とした若者への鎮魂はもちろん、この事件を知って動揺したエドワード・ヤン少年への癒しに近いのではないだろうか。
主人公の小四(シャオスー)役のチャン・チェンがどこかで見たことがある。しかも最近。調べると『DUNE』に出てるとのこと。あの医者だ。『DUNE』ではすっかりおじさんになったけれど、顔は『牯嶺街少年殺人事件』のときと変わってない。時の流れは不思議なものだ。人の見栄えをこれほどまでに変えてしまう。
この映画は視点が誰かに絞られていない。第三者的な視点を貫き通して、観客にいろいろ想像させる。それが退屈という意見もあるかもしれない。音楽もほとんどかからない。そのおかげで、作品そのものの時代性がわからなくなるので、いつの時代でも通じるウェルメイドなものとなる。現役の映画監督にエドワード・ヤンのファンが多くいるのも頷ける。後に世界のさまざまな作品に影響を与えていったその源泉に触れたという感じ。
演出の視点はいたって冷静で、その場面場面での監督の狙いは掴みづらい。小四の父親が監禁されて尋問される場面。その尋問官が面白い。最初は紳士的な態度をとっているが、徐々に態度がきつくなってくる。その変遷がリアル。連行されてきた小四の父親に、「どうせあんたは悪人なんだろ」と、根底では蔑んでいるようにも見える。そんな嫌なやつなのに、尋問の合間では音楽をかけながらオルガンで気持ちよさそうに歌ってる。なにこれ、すごい違和感。尋問されている小四の父親の視点からすれば腹立たしい尋問官に見えるだろう。小四の父親の怒りが描きたいのか、楽しい尋問官が描きたいのか、観客の視点によってこの場面の印象は大きく変わってくる。自分はコメディ場面だと受け止めた。でも、生真面目なエドワード・ヤン監督は、そんな笑いは求めていないかもしれない。凶悪犯罪が起こっている映画なのに、笑いを誘ってしまうというのも、この映画の余白ゆえの魅力だろう。ただ、この映画で笑えたなんて言ったら、誰かに怒られてしまいそう。
犯罪が起こるには、それなりに原因がある。穏やかな人がいきなり人を傷つけたりはしない。人はほとんどが生まれついたときは善人だと自分も思いたい。なかには生まれついてのサイコパスもいるだろう。ただ悪人のほとんどが、悲惨な生育歴を経験しているのは確か。悲惨な環境を生きてくれば、自然と利己的で残虐な人間は出来上がってくる。環境が人をつくると言ってもいい。『牯嶺街少年殺人事件』が今でも愛されている映画なのは、さまざまな問題もフワッと曖昧にしているからだろう。悲惨な題材の映画なのに、なんだか甘ったるい。学生が談笑している側を戦車が通り、兵隊が発砲訓練をしている。ヒリヒリしてるのに、フワフワしてる。なにごとも決めつけない。すぐに白黒答えを出さない。人生において余白というものはとても大事だと思わされる映画だった。
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