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『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』言わぬが花というもので

公開日: : アニメ, 映画:カ行,

大好きな映画『この世界の片隅に』の長尺版『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。オリジナルの『この世界の片隅に』がヒットした頃、片渕須直監督が、目標の成績を突破したら、原作から省略したエピソードを復活させた長尺版を製作するという発表をしていた。そのマニフェストが叶ったことになる。当初は2018年の冬公開予定が、一年後の2019年に延期された。「良質な作品になるならば、いくらでも待ちますよ」最近のファンはそう思うようになってきた。いちばん嫌なのは、焦って作られて、どうしようもない結果になってしまうこと。作品そのものに泥を塗られる方が迷惑だ。

自分は、こうの史代さんの原作も好き。普段マンガをほとんど読まないけれど、このマンガは映像化される前から読んでいた。かつて一度手放して、映画を観たあと再び買い直したくらい。原作を尊重したアニメ映画が、さらに原作に近くなることは喜ばしい。

映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を観てみると、確かに原作で割愛された場面が蘇ってる。前作のオリジナル版と同じ場面でも、ちょっと長くなったりして視点を変えている。作り手の解釈がそれぞれ異なる。マンガ原作とオリジナル版、そしてこの長尺版の三作品は、同じ物語、同じ情報なのに、全く違ったテーマの作品に仕上がっている。三度食べて三度美味しい。

前作オリジナル版は、戦時中でもささやかな幸せを模索しながら生きていた、市井の人々の生活を紹介するような映画だった。戦争時代を舞台にした作品は、暗くて重くなってしまうのは当然だが、この映画は明るいコメディタッチ。明るく健気な登場人物たちが、戦争という暴力に、生活をめちゃくちゃに壊されていく。とても悲しい。戦争という野蛮な行為に怒りを抱く。

今回の新作『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、戦争映画というより恋愛映画にな近い。前作オリジナル版を知っていると、追加された場面に作家的意図を感じる。

アニメやマンガ作品は、登場人物のモノローグ(独白)が表現として多用される。登場人物の心情をご丁寧に独白説明して、観客にその人の行動を事前理解させてくれる。ちょっと言い訳がましくてうるさく感じてしまうこともある。そうなるとヨーロッパ映画みたいに、説明台詞がほとんどなくて、観客に誤解されて上等、「理解できない頭の悪いヤツが悪いんだ」ぐらいの高飛車な映画も恋しくなってしまう。万人が同じ作品解釈に陥ってしまうのもつまらない。

新作長尺版になって、主人公のすずさんの独白は、映画の中でも当然ある。前回ほとんどの場面に出ずっぱりだったすずさんが、今回の長尺版では登場しない第三者的な視点も加わる。

古今東西、物語の構造として、主人公に寄り添って物語は展開していく。作品世界は主人公を中心に回っている。主人公不在の場面では、第三者が主人公について語り合ってる。それが観客が混乱しないつくり。『男はつらいよ』で、寅さんが登場しない場面でも、おいちゃんやおばちゃん、さくらが「寅さん、今頃何してるんだろうね〜」「そろそろひょっこり帰ってくるんじゃないか」なんて感じの会話があると、観客は「この映画は、寅さんって人が主人公なんだな」と迷うことはない。そんな第三者的すずさんへの表現が増えたのが、作品をさらに成熟させている。

群像劇になると、作品の視点はあちこちに飛ぶので、この一人称的な表現は崩れていく。『(さらにいくつもの)』とタイトルについたので、群像劇っぽくなるのかと思いきや、映画の視点はすずさんの一人称からブレることはない。むしろすずさんを中心に、周囲の人たちとの交流する場面が増えたため、さらに主人公すずさんが際立っていく。

普段は大人しくて、ぼんやりしているような印象のすずさん。でもそれは単純にトロい訳でなく、頭の中でグルグルいろんなことを考えているから。だからときおり物凄く政治的な意見を言ったりする。聡明すぎて生きづらささえ感じてしまう。

すずさんが、周りとの会話にワンテンポ遅れている時、ダイアローグですずさんの頭の中の声を、観客だけが聞くことができる。これはすずさんが主人公の物語だからこそ、成立する演出。すずさんは寡黙だけど、頭の中では多弁。それは他の登場人物たちも同じこと。すずさん以外の人が黙っている時は、その人も何か考えている。私とあなたは同じ人間。

のんびりしているすずさんは、ときには足元を掬われて、周りから不本意な攻撃を受けることもある。そんなとき、相手の怒鳴り声のボリュームがさがっていくのを今回感じた。自分に向けられた、どうしようもない言葉は聞き流す。すずさんの処世術、心理的回避方法を感じた。彼女の強さは、日々のこんな工夫から成り立っている。

前回オリジナル版は、めくるめく情報量で駆け巡った2時間だった。今回、長尺版になって、会話の演出にも、すこし隙間が増えたように感じる。登場人物が喋らない時の心の声を想像する。でもヨーロッパ映画とちょっと違うのは、「誤解上等」の演出意図ではなく、「人それぞれ、いろいろ感じてくださいね」と、観客を信頼した優しい雰囲気がすること。観客を尊重して、登場人物たちに敬意を表している演出。架空の人物にだって人権はある。オリジナル版と長尺版、テーマこそ変われども、作品へのスピリットは1ミリもブレていない。どちらの作品が好きか、天秤にかけられない。

「心の中の秘密は、死んだらそのまま自分だけで消えていく。それはそれで贅沢なことだよ」なんてセリフが劇中にある。人生には本心を相手に伝えなければならない時はある。でも、言わぬが花ということもある。劇中のセリフは、自分の辛い思いを、心の奥に封じ込めなければならない悲しい響きがある。恋愛要素が多くなった長尺版では、自分の気持ちを相手に直接ぶつけるような無粋な人は登場しない。誰もが誰かを尊重している。嫉妬という単純な感情ではない。そしてそこに大きな重石として、戦争の存在がある。人は自然と自分の心を封じ込める。

登場する女性たちは、自分たちの身に降りかかる理不尽を、静かに受け入れている。でもそれは諦めだけではないようにも感じる。諦めた人が、あれほど他人に親切にはなれない。非人道的な戦時下に、人間性を見失わない登場人物たち。

映画を観たあと原作マンガを読むと、すずさんの性格が違ってみえてくる。これは演じてるのんさんの影響が強い。原作では、我慢強く耐え忍ぶすずさんの印象。映画版は、性格が明るくなって、同じ場面でもコメディ要素が増えてくる。まさにキャスティングの妙。

戦争という、個人の力では争うことのできないほどの脅威的な不幸。それでもユーモアや相手を思いやる気持ちのほうが勝る。声高ではないけれど、観客の心に訴えかけてくる。どんなに殺伐とした世の中でも、ささやかな幸せを見つけだすセンスだけは失ってはいけない。

原作にも長尺版にも割愛された、すずさんが「ある秘密」を夫の周作さんと語り合ったであろう場面。本作が悲惨な戦争場面を最小限に描かずにいたのと同じように、観客の想像力が試される割愛だ。その描かれなかった場面が、すずさん夫婦の、今後の関係の分岐点になることが伺える。作品は過度なドラマチックをとことん避ける。我々は、自分の感情までも扇動されたくない。悲しい物語に憑依的に泣かされるのは嫌だ。自然と涙が流れるのなら、不本意だけど、それはそれでいいのかもしれない。

ジェンダーの問題が問われ始めている現代社会。世界的に遅れをとっている日本だからこそ、この映画がいま制作されていることに、新しい意味がありそうだ。

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