『LAMB ラム』 愛情ってなんだ?
なんとも不穏な映画。アイスランドの映画の日本配給も珍しい。とにかくポスタービジュアルが奇妙。子羊を大事そうに抱いている無表情の中年女性。『ミッドサマー』のA24が世界配給しているというので、ただものではない作品なのではと感じさせる。この映画のAmazonプライムでの配信が始まった。それも2023年の1月1日の元旦。正月に観るにピッタリの鬱々とした映画。新年の不運をぜんぶ持って行ってくれそうだ。配信日を決めたスタッフの底意地の悪さが伺えて良し。
映画『LAMB』はホラーに属する作品だと思う。なにか感性に訴えるモヤモヤを投げかけてくる。人里離れた山奥で牧羊を営んでいる中年夫婦がいる。そこの羊が、羊ではない人間のような赤ん坊を産む。夫婦はその羊人間の子どもを育てていくことにする。
人間ではない何かの子どもと生活を共にする物語は、古今東西数多に存在する。日本の昔話では『桃太郎』や『竹取物語』などがそれ。マンガでは『ドラえもん』や『鉄腕アトム』もこの系譜に属する。動物の擬人化の表現は、童話やマンガなどでは幾度も繰り返されている。でも実際に動物がその姿のままで、人間と同じようにコミュニケーションをとっていたらかなり不気味。キティちゃんは二次元や着ぐるみのキャラクターとして存在しているからこそ可愛い。リアルなキティちゃんだったら、万人から好かれるかどうか疑問。
『LAMB』に登場する羊人間の赤ちゃん。二次元や着ぐるみのフィルターなしの等身大の存在。家族として普通に生活している絵面は悪夢的でシュール。アダちゃんと名付けられた羊人間の赤ちゃんはとても愛らしい。
生き物の子どもは、可愛らしい。それは赤ちゃんが生存していくための擬態化のようなもの。もし無力な赤ちゃんが、親や周囲の大人にほったらかしにされてしまったら、生命の危険に陥る。大人が感じる「可愛い」という雛形に寄せて、姿を形成していく。新生児微笑なんかがいい例。当の赤ちゃんは、本当は笑っているわけではないけれど、微笑のような表情をときおり浮かべて見せる。それを見て大人たちは「可愛い」と感じるからこそ、庇護してもらえる。果たしてそんな機械的な信号のようなものだけで、生命の糸は紡がれているのだろうか。勘違いから生まれる愛情。そのメカニズムを知ってしまうと、虚しくもなる。
ただ、自分の経験からすると、新生児微笑という、感情や情緒とは無関係の表情というものに、いささかいぶかしくも思えてしまう。自分の第二子誕生のとき、明らかに息子は生まれたときから、自分の意思で笑っているように見えた。笑顔でこちらに「楽しいね」と同意を求めてくる感じ。それが勘違いとは思い難い。ちなみに第一子の娘は、なんだかずっと世界に怯えて怒っているように見えた。いや、ここまで個体によって表情の表現が違ってくるのなら、そこに感情を無視することはできなくなってくる。プログラムの違いだから? 科学的には無味乾燥した、機械的信号に過ぎないことも、実のところそれを証明する手段もまたないわけで。
映画『LAMB』に登場する羊人間のアダちゃんは、めちゃくちゃ可愛い。映画を観ていると、最初のうち怖かったアダちゃんの存在が、どんどん癒しキャラに変遷していく。これは監督の意図するところ。この奇怪な生き物を、如何にして愛されキャラに表現していくか。それがこの映画の最大のキモ。
映画の中年夫婦には、かつて娘がいたらしい。あえて言葉足らずの表現で、観客に行間を想像させる演出。この夫婦が、この可愛らしいアダちゃんの虜になっていくのは至極当然。昔話に登場する老夫婦たちが、人間ではない何かの子どもを、我が子として育てていく姿と重なる。不思議なことで、昔話やマンガやアニメで、人間ではないもののとの共生を描かれると、必ずと言っていいほど美談になる。でもやはり異種生物が、血のつながった家族のように生活するさまは異様。この映画『LAMB』はファンタジー作品に対するアンチテーゼ。
近代の独裁政治の手段として、娯楽作品を利用したプロパガンダがあげられる。その方法のひとつとして、可愛い動物の写真に政治的アジテーションのキャッチコピーを被せていくものがあった。可愛い動物に癒されて、心が緩んだときに、政治的メッセージを突きつけてくる。市民は自分の意思と錯覚して、ときの為政者の意思を受け入れていく。人は簡単に騙せてしまう。ときに「可愛い」は最強の武器にもなる。
映画の中年夫婦は、人里離れた山奥で羊牧を営んでいる。この夫婦は日常生活で、この二人以外の人間と関わることがほとんどない。二人しかいないので、自然と会話も減ってくる。客観性もなくなってくる。自分たちの言動が、第三者からどう見えるかの想像力も萎えてくる。劇中、夫の弟がこの羊牧場に参入してくる。これで新しい風が吹いてくるのかと思いきや、この夫婦間で築き上げてきた「常識」は、そう容易く壊すことはできない。
アイスランドの山奥の景色がすごい。広大な自然のなかで、ちっぽけな人間の存在。人間ではない不思議な生き物の存在があっても納得してしまう。日々曇天と霧に包まれた景色。綺麗な景色でもあるけれど、不気味。神秘的という悪夢。人間がそこでずっと暮らしていたら、鬱になりそう。
監督のヴァルディミール・ヨハンソンは、アイスランドのこの地で、多くのハリウッド作品に携わったと聞く。広陵とした風景は、SF映画にもってこい。ハリウッド映画の招致に応え、魅力的な映像が世界中に広まった。アメリカ以外の国の映画業界において、ハリウッドのロケ撮影招致は、その業界の発展に多いに影響する。撮影技術的にもちろんだが、映画産業の雇用にも最先端の考え方が参考とされる。業界の働き方改革。ハリウッド招致を受け入れた国のその後の映画産業の発展は、今までの実績が明らかとなっている。でも、ともすると、どこの国の映画もハリウッドテイストになってしまう危険性もある。技術が進歩して、観やすい映画ばかりになるのも味気ない。それも時代の流れか。ちなみに日本はハリウッド招致は基本的認めていない。近年の日本が舞台のハリウッド映画は、日本に似たどこかのアジアの国で撮影されている。
映画『LAMB』は、そんなハリウッドの撮影手法を取り込んだ制作現場が想像できる。ただ作風は勧善懲悪のハリウッド映画からとことん逆らっている。映画を熟知しているからこそのアイデア。
映画が進んでいくにつれて、何か起こりそうな不穏な雰囲気が漂い続ける。観客の期待を受けてか裏切ってか、不穏なだけで何も起こらない。この気持ち悪さ。思わせぶりの演出がクセになってくる。この映画の結末はどう落とし込んでくるのか、予想がつかない。でもこれは映画。物語としてどこかで終わらせねばならない。その顛末がわかりやすすぎたので、いささか肩透かしを食らった。でもそのおかげで、この不穏な悪夢からきっちり離脱することができた。このわかりやすさに、観客は助けてもらったのかもしれない。
育児は人間の人生において大仕事。結婚したり子どもを産んだり育てたりしてしまうと、それこそそれがその人にとってのライフワークとなる。子どもを育てていくことを中心に、家族の生業が決まっていく。命懸けの大仕事だからこそ得られる楽しさもある。未だ日本では育児を軽んじている風潮が古い世代にはある。
映画ではこの育児にひとつの句読点が示されている。でも実際の育児には到達点など存在しない。果たして自分の育児がうまくいっているのか否か、客観的に確かめる手段はない。育児の不安のメタファーとして、この映画は機能している。もしかしたら自分は、自分だけの正しさに固執して、道を誤っているのではないか。そんな不安を解消するためにも、人は共同体として生きていく必要がある。でも、その共同体も間違っているとしたら? 不安のスパイラルは続く。
ふとこの映画のアダちゃんとの生活がこのまま続いていくことを想像してしまう。アダちゃんが成長して大人になっていく。ゆっくりと進む恐怖。何も起こらないまま、緩やかに狂気が進んでいく。映画らしい結末はそこにはない。そっちの方が怖い。
育児の喜びが、脳がつくりだす誤解から成立したとする。愛情には意味がなく、機械的な信号だけで親子関係が築かれているのなら……。
でも、それがどうした? 愛情が誤解が生み出した感情だとしても、そこに幸せを感じることができたなら、それは良いことなのではないだろうか。羊人間のアダちゃんにウールのセーターを着せてしまう歪んだ愛情にも苦笑い。でも幸せなんてそんなもの。幸せな誤解ならいくらでも受け入れた方が生きやすい。ささやかな幸せがいちばん大切。脳の誤解、上等です。
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