『機動戦士ガンダム 水星の魔女』 カワイイガンダムの積年の呪い
アニメ『機動戦士ガンダム 水星の魔女』が面白い。初期の『機動戦士ガンダム』は、自分は超どストライク世代。小学生の頃は、『ガンダム』に登場するロボット(劇中ではモビルスーツと呼ぶ)のプラモデル「ガンプラ」が欲しくて、おもちゃ屋を徘徊したものだ。ネットのない当時でも、子どもたちの情報網は秀逸で、いつどこのおもちゃ屋でガンプラが入荷されるか、おのずと耳に入ってきた。見ず知らずの隣町の子どもとすれ違いざま、ガンプラ入荷情報を交換できるような、当時の自分のコミュニケーション能力は今いずこ。
自分は今まで『宇宙世紀もの」以外の『機動戦士ガンダム』は観てこなかった。そもそも「宇宙世紀もの」とはなんぞやという、オタク的な恥ずかしい話になってしまう。初期の『機動戦士ガンダム』の時代設定が「西暦」ではなく「宇宙世紀」という架空の紀年法だったため、「宇宙世紀もの」と「そうでないもの」とで、『ガンダム』シリーズはカテゴライズされている。第1作目の『機動戦士ガンダム』の続編だったり、世界観や歴史が同一の作品群は「宇宙世紀もの」。『水星の魔女』は「宇宙世紀もの」に属さない、まったく別の単体で楽しめる作品。主役ロボットがガンダムなのと、大まかな設定が初期ガンダムシリーズから、原案的要素で引用されている。『機動戦士ガンダム』ブランドだけど、初見でもわかるような、敷居の低い『ガンダム』。いまはすっかり少なくなってしまったレンタルビデオ屋のアニメコーナーでは、『機動戦士ガンダム』だけでひとつの棚が占領されていた。それも多過ぎるシリーズ化のせい。
バンダイに社会見学できた子どもたちから、「僕たちは『ガンダム』とタイトルが付くだけで観ることはない。僕たちに向けてつくられた作品ではないから」と言われて、現場の人がショックを受けたなんて記事も読んだことがある。『ガンダム』といえばおじさんたちのための作品。観客を選ぶ印象はしっかり根付いている。
そういえばこの「宇宙世紀もの」云々という話を街中でしている人たちがいた。どうせまたおじさんたちがガンダムトークに華開かせているのだろうと思いきや、意外にも20代の若い男女グループがその話をしている。これも『水星の魔女』の影響か。
そんなこんなで自分はそもそも『水星の魔女』も観るつもりはなかった。でも本編放送前に前日談にあたる『水星の魔女 Prologue』が放送されて、ネットが大騒ぎになっていた。自分と同年代のアニメ好きのタレントさんも熱く語っていたので興味が湧いてきた。ありがたや配信社会。今までだったら本放送を見逃したら、ソフト化されるまでその作品を観ることができなかった。ほとんどがソフトになるまでに興味が失せてしまう。鉄は熱いうちに打て。『水星の魔女 Prologue』を観てみると、戦争描写の怖さに凍りついた。
晴れて第一話の放送となり、本編を観てみると、また驚かされた。『Prologue』と打って変わって、学園ものになっているではないか。なにこのほのぼのとした『ガンダム』は。ロボットが戦う理由も、戦争の殺し合いではなく、学園内の決闘というスポーツイベントみたいになっている。キャラクターデザインも今風。コスプレが難しそうな変な髪型の人ばかり。横で通り過ぎた我が子に言わせると、いまどきのキャラクターデザインにアホ毛は重要だそうだ。
ガンダムに学園ものを取り入れたのは新鮮。戦争の話ばかりの『ガンダム』シリーズで、平和な話というのも珍しい。シリーズ初の女子が主人公なのも冒険。しかも主人公スレッタのデザインは、肌が褐色のポリネシアン系の顔をしていて、背が高い。従来のアニメの萌え的な要素はない。SNSで、レイシズムな炎上もしかねないデザインの冒険。でもネットでは、このスレッタをはじめ、多くの登場人物たちが受け入れられていた。それもこれも演出が上手いから。今までの『ガンダム』シリーズでは、ロボットへの愛情いっぱいの描写は多かったけれど、人物の動きの芝居に違和感があったりもした。『水星の魔女』は、キャラクターの動きの演出も細かい。人は動きのなかからもその人の性格が滲み出る。動きで性格や感情を表現できるには、作画に何度も試行錯誤がされていることが察せられる。
正直はじめは、ストレッチなんかしながら、テキトーに『水星の魔女』第一話を観ていた。あれ、もしかしてこれって正座して観なくちゃいけないヤツ? クライマックスのロボットのバトルシーンがめちゃくちゃカッコいい。ほとんど手描きでロボット描いてない? 最近の『ガンダム』のメカ描写はすっかりCGが多くなってきている。線の多いロボットを2Dで動かすには、手間と時間と費用がかかる。作業効率化もあってかCG技術の多様。貧しい日本アニメ業界では仕方がない。それなのに手描きですか。しかもテレビシリーズとは思えないハイクオリティ。ロボットのバトルシーンで感動してしまうなんて、いままで自分のガンダム体験にはなかった。
本編でかかる劇伴の豪華さも、心を動かせた理由。YouTubeにあげられた公式の劇伴収録模様を観てなるほどとなる。音楽を担当している大間々昴さんの楽曲は、『機動戦士ガンダムUC』や『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の澤野弘之さんの曲調を踏襲していて馴染み深い。でも今までのガンダム楽曲と大きな違いがある。100人規模のフルオーケストラ編成。しかも演奏者に日本人がほとんどいない! この規模で音楽の制作費がかけられるのは、ハリウッド映画だけだと思っていた。ぶっちゃけ、毎回カッコいいと思っているNHKの大河ドラマのテーマ曲よりも大編成じゃないか。これだけ分厚い音で演出されてしまうと、それだけで感動してしまう。
手描きアニメが持つ、描いてる担当アニメーターの執念で動くロボットの絵。それにこの大編成で奏でられる音楽が添えられる。多くの人々の情念が、アニメ作品でひとかたまりとなって視聴者に迫ってくる。怨念の結実。夢のような理想的環境。でも待てよ、そもそもなんでこんなに潤沢な制作費がかけられるのだろう。
そういえば『ガンダム』シリーズのアニメ制作会社サンライズは、最近バンダイナムコフィルムワークスと長い名前に社名変更している。日本の企業の多くは、2030年には海外企業の傘下になると聞く。サンライズはじめバンダイグループが海外資本になって、潤沢な制作費のもとアニメが作られるようになったのかもしれない。いまの日本経済では、能力のある人材はいても、活躍させられる資金がない。このまま多くの宝を水泡に帰してしまうだけなら、うちがカネだしてもいいよと言う海外企業は幾らでもありそうだ。
『水星の魔女』は、学生起業の話でもある。主人公スレッタの母親の属する中小企業が、大手企業に一瞬にして買収される場面がある。学生起業ってこうやって始まるんだと、リアルな描写に関心してしまった。いっけん大手起業の傘下に収まると、親会社から下に見られるのではないかと感じてしまう。会社としては卑屈にもなるだろうけど、そこで働く個人としては、同じ仕事をしても待遇がアップされるのだから、けして悪い話ではない。もしかしたら、制作会社で実際に起こった出来事が、『水星の魔女』の参考になっているのかもしれない。
学園もののSFファンタジーというと、すぐさま『ハリー・ポッター』シリーズを思い出す。『ハリー・ポッター』もシリーズ当初は、ほのぼのとしたカワイイ魔法学校の学生生活が描かれていた。まさか後半、魔法戦争になり、あんなに暗い展開になるとはゆめゆめ思ってもいなかった。この『水星の魔女』も、今後そんなシリアスな展開になりそうで怖くもある。
『ガンダム』シリーズは、設定や世界観が先行していて、どうしても登場人物は記号的になってしまう。登場人物の性格がわかりにくく、人間嫌いが描く物語だった。難しい特殊用語が飛び交うのは、あえて難しい表現を好む理数系ASDタイプがメインターゲットでよかったから。一般ウケは難しい。電化製品の難しい取扱説明書がなくなってきたのも、理数系の難しい表現を使いたがる癖が反映された文章が、一般層には混乱を招くだけと立証されたからだろう。ユーザーを増やすなら、間口は広げなければならない。
今回の『水星の魔女』では、主人公を女性にしたことによって、今までのホモソーシャルでミソジニーな『ガンダム』からの脱却を狙っている。学園ものは登場人物が多くなって、いくらでも話が膨らませられる。登場人物の性格も、専科によって性格が棲み分けされているのもわかりやすい。主人公スレッタの属するパイロット科は学園の花形。血の気の多いオラオラ系の集まり。パイロット科の生徒同士が、ケンカ半分に決闘を始めれば、学園中が騒ぎになる。
水星という田舎(?)から出てきた主人公スレッタ。トロ臭い女の子が、スノビッシュな男子生徒たちをどんどん打ち負かしていく爽快さ。そしてスレッタとの決闘に負けた男たちが、それぞれ変わっていく姿も面白い。スレッタはいま風に言えば、ギフテッドを授かった特性持ち。飛び抜けた才能の反面、人があたりまえにできることができないような生きづらさを抱えている。他人の気持ちがわからなくて、いつもおどおどしている。母親以外の人と話しているときは吃っている。スレッタが自分が操縦するガンダムに「エアリアル」と名づけて擬人化するのも、イマジナリーフレンドのメタファー。スレッタが赤毛なのも、文学的才能がずば抜けていた『赤毛のアン』を彷彿とさせる。一人ひとりの登場人物の説得力を出すために、綿密なシナリオ会議がされているのがわかる。設定の複雑さは、従来の考察好きなオタクのおじさんにも向けている。逆に主人公たち学生の姿は、至って普遍的なわかりやすい描き方をしている。いままでの『ガンダム』シリーズになかった、新しい客層の獲得を意識している。
主題歌のYOASOBIの起用も若い人をターゲットにしている。YOASOBIはうちの子どもたちも好きでよく聴いている。主題歌『祝福』の英語バージョン『The Blessing』を聴いて、英語の発音の綺麗さに驚いた。NHKの音楽番組にYOASOBIが出演していたとき、Ayaseさんとikuraさんの育ちの良さが伺えて、好感を抱いたことがある。YOASOBIの実家は太い。今までロックなどのサブカル音楽を目指す人は、世間ではみだしたアウトローのような印象だったのを、あっさり覆す。音楽をやるには勉強や練習が必要。真面目で根気強い人でなければ続かない。『水星の魔女』のYOASOBI起用は、若い人の興味を惹くことも目的だろうけど、作品自体の海外進出、世界標準も視野に入れているはず。今回、わかる人だけわかればいいみたいな『ガンダム』は避けている。
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』のときのスタッフインタビューで、実は『ガンダム』は世界ではあまり知名度がないという話が出てきて愕然とした。確かに中国などでは『ガンダム』は人気があって、観光客がガンプラを爆買いしている姿はよく見かける。コロナ禍以降からガンプラが店頭から激減しているのは、海外販売を優先しているかららしい。でもその需要も限られたもの。オタク層のみに限られた産業には限界がある。
そのインタビューでは、米レジェンダリー社が『ガンダム』の実写化権を獲得したことに期待しているという。ハリウッドで映画化されることでの一般認知化は、日本国内のそれとは比べ物にならないほどの経済効果を生む。ハリウッド映画になって、初めて世界の人が『ガンダム』を知ることになる。そのときその原作となるアニメはどんなものかと、遡ってチェックする人の流れが予想される。その二次的注目を期待しているとのこと。日本のエンタメ力の限界。
ジェンダーフリーが世界的スタンダードになりつつある世の中。作品がミソジニーを許したままでは日本の恥のコンテンツになりかねない。今回の『水星の魔女』の制作意図として、ホモソーシャルなガンダムの持つ、昭和おじさん的なイメージは早々に刷新しようとしているのかもしれない。
レジェンダリーが『ガンダム』の実写化権を獲得したのは、まだ同社が中国資本だったころ。中国は国の政策で、ハリウッド映画産業から撤退した。アメリカのハリウッドが、多くの中国資本で賄われていたのも奇妙だったが、ここまで儲けられる道筋を築いたのに、あっさり手放してしまうのも不気味。国際情勢の潮目を感じる。それでもいち観客としては、快適で楽しいものがたくさん選べる社会というのであれば、それはそれで良しとなる。
自分はガンプラがコロナ禍前のように、どこの店へ行っても選びたい放題にならなければ、景気回復したとは思わない。『機動戦士ガンダム』という、日本で生まれたコンテンツが、国内で流通しないというのは健康的ではない。経済が回復しなければ、趣味にお金を使う人は激減する。需要と供給が潤沢に回るような世の中に早くなって欲しい。自分にとっては、ガンプラ流通が日本経済回復のバローメーター。
先日『水星の魔女』1クールが最終回を迎えた。思った通り、戦争アニメになっていきそうだ。前半の平和だった学園ものの流れから、地獄の展開へとなっていく。ほのぼのと登場人物たちに感情移入していたからこそ、登場人物の誰が死んでもおかしくない展開は、観る側にも恐怖を覚えさせる。なんとも巧みなシリーズ構成。今回の『ガンダム』はオリジナルストーリーなので、視聴者で先を知るものはいない。1クールの最終回が、コロナの影響で配信がいつもより一日遅れた。リアタイ鑑賞の衝撃が、SNSで盛り上がる。お祭り騒ぎ。絶望的な展開は『ガンダム』シリーズのパターンだけれど、今回の鬱展開はシリーズでも群を抜いている。
以前、脚本担当の大河内一楼さんのインタビューで、行き詰まったら古典を探すようにしていると言っていたような気がする。萌えアニメ全盛の頃に、硬派な意見だなと思っていた。今回はシェイクスピアの最後の作品『テンペスト』が元ネタ。となると考察するまでもなく、今後の展開は見えてきてしまう。
『水星の魔女』の登場人物たちには、ハッピーエンドになって欲しいと願ってしまう。ここまで感情移入させられてしまうとは、もう制作者たちの意図通りに、踊らされているだけなのではあるけれど。とりあえず4月の第2クールの放送を楽しみに待ちましょうか。
機動戦士ガンダム 水星の魔女 シーズン1 Prime Video
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