『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』 ヴィランになる事情
日本国内の映画ヒット作は、この10年ずっと国内制作の邦画ばかりがチャートに登っていた。世界の映画興行の主流は、圧倒的にハリウッド作品。日本だけが国内完結型作品のマーケティングで商売している。日本制作映画を世界標準に作風を合わせて、海外展開していくつもりもなさそう。そうなると国内での洋画ファンの立ち位置は「マニアックな人」になってしまう。これは洋楽ファンも然り。ひじょうに寂しい。日本サブカルチャーは完全に国内だけでローカライズに成功してしまっている。日本の映画ファンと海外の映画ファン、「映画ファン」と十把一絡げにしてしまうと、観ている作品がまったく噛み合わない。趣味としては別ジャンル。また、日本の配給会社が意味不明な和製英語の邦題をつけていたりするとさらに厄介。原題を知らないとやっぱり話が通じない。趣味は細分化している現代とはいえ、ここまで世界標準とズレていていいのだろうか。極東の孤島にて文化的鎖国完全成立。
そんな邦画一人勝ちの日本映画事情で、珍しくヒットしている『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』。普段映画の話をしないような人ですら、この映画がおもしろかったと言い出している。「なんだあなたも映画好きだったのね」と、意外な一面を知ることもある。映画の『スパイダーマン』シリーズは、もともと人気があったが、今回の『ノー・ウェイ・ホーム』は、本来属するMCU(マーベル・シネマテック・ユニバース)の連作でありながら、2000年代からのすべての実写版『スパイダーマン』シリーズとも繋がってくる。関連作が異常に多すぎる映画。この映画を観にくる観客は、どこまでこれらの作品群を事前に抑えているのか? アンケートをとってみたいくらい。
初めてシリーズに触れる新参者にも優しいのはMCUの作風の特徴。時系列順に抑えていくのもいいけれど、それではちと大変。興味のある作品から観ていくのがベター。自分も『ノー・ウェイ・ホーム』鑑賞をきっかけに、何本か過去作を観なおした。『アメージング・スパイダーマン2』は未見だった。
『ノー・ウェイ・ホーム』の映画のしょっぱなからトーキング・ヘッズの曲がガンガンにかかってきた。もうハートはガッチリキャッチ! やっぱりいま、アメリカではデヴィッド・バーンは密かなブームなのかな。
作り手のスパーダーマン愛が溢れている。自分は基本的にスパイダーマンが出てくる映画はほとんど好き。大人の事情で「あれどうなったんだろう」と、構想のフェードアウトした部分や、失敗の黒歴史も、本編中で自虐的ギャグに昇華している。長くからのファンは密かにほくそ笑んでしまう。作っている自分と観客を喜ばせよう、驚かせようとするサービス精神のてんこ盛り。まさにオタクの二次表現を、ビッグバジェットで本気で作ってしまった感じ。
マルチバースというSF要素で脚本上うまくまとめている。子ども時代に『ドラえもん』で初めてSFに触れた世代からすると、「パラレルワールド」の概念が「マルチバース」に入れ替わっことだけでも驚く。MCUはSF用語も古くならないように工夫している。マルチバースのパラドックスが物語の最大の見せ場。もうここまでカオスな展開になってくると、なんでもありで予測不可能。
トム・ホランド主演版のMCU『スパイダーマン』。サブタイトルに『ホーム』と付くこのシリーズは、主人公のピーター・パーカーも明るく飄々としている。今回は実写の関連作全作を網羅しているので、初期のメンバーからすると大同窓会。当時同じ役を演じた俳優がそのまま続投するという夢のコラボレーション。きっとMUCにいっちょがみすることは、俳優たちにとっても魅力的なことなのだろう。ディズニー・マーベル強し!
そうなると、今までの『スパイダーマン』に登場するキャラクターたちの陰キャラぶりが気になってくる。過去の『スパイダーマン』シリーズの登場人物たちは、みんな暗かった。それに比べて『ホーム』シリーズの登場人物たちは皆明るい。主人公のピーターたち、MJとネッドのメイン3人組のやりとりが楽しい。『ホーム』シリーズに登場することで、過去の陰キャラも愛すべきキャラクターにイメージ・チェンジされていく。
それでもシリーズ内でもっとも陽キャラだったのは、一作目に出てくるウィリアム・デフォーのグリーンゴブリン。今作でもさらに彼は眩しい。高笑いしながら登場してきて、犯罪や人殺しにと悪行三昧。もしこの人がいい方向にエネルギーを使ったら、きっと偉人になれただろう。『スパイダーマン』のヴィラン(敵)は、もともと善人だった人が、何某かの理不尽な目に遭って悪人になってしまうものばかり。サラッと流されてしまうが、ヴィランたちの視点に立てばかなり気の毒。
このコロナ禍で世界の経済状況がひっくり返ってしまった。理不尽な状況に陥った人は多い。そのせいか日本でも、通り魔的な事件が多発している。加害者の動機は、そもそも親類や友人がいなくてひとりぼっち、所持金が底をついて行政に相談しても門前払い、ヤケクソになって犯行に走ってしまったもの。所謂何も無くなった「無敵の人」。追い込まれてもひとりでは死にきれない。大勢を道連れに犯罪に走る。映画『ジョーカー』もそんな悲しきヴィランの堕ちゆく人生を描いていた。現実でもまさにジョーカーのコスプレの加害者も出てきてしまった。
人は経済的に貧しくなると、心が荒んで正しい判断力を失ってしまう。理性を失い目先の利益しか見えなくなる。世に生きる多くの人がそんなことになるまいと踏みとどまっている。社会はそうしてなんとか保っている。行政のセーフティネットが手薄で、一歩踏み外すと真っ逆さまに堕ちてしまう社会構造では、犯罪者が生まれやすい。ヴィランに陥ってしまうことは、映画の中だけの他人事ではなくなってきた。
金銭的精神的な貧しさからの犯罪者への道のりは、簡単に想像できる。精神疾患を伴うものは、ただ退治すれば解決するような安易なものではない。それでは臭いものに蓋をしたその場凌ぎ。暴力を暴力で解決すると、さらに激しい暴力を生む。大事なのは治療。もちろん犯罪は犯罪として裁かれるべきだが、貧困やそれによる精神疾患から起こる犯罪なら、事前に防ぐことができる。この映画で言っている「治療」という解釈は、知的で優しい。社会や個人の病は、早急に認めてじっくり治療していくという選択。映画を通して社会啓蒙を発信していると言ったら大袈裟だろうか?
この映画の主人公のピーターとMJのカップルが可愛い。オタクで育ちのいいお坊っちゃんお嬢ちゃんだけど明るい。MJはピーターがスパイダーマンだから行動を共にするわけではない。スパイダーマンとの空中飛行を嫌がるヒロイン。ピーターがどんなにスパイダーマンでカッコつけても、彼女はそこには興味がない。男がカッコよく決めてるつもりでいても、女子はそこは見ていないもの。そんな男女のポイントの行き違いも、この映画では楽しく描いている。
映画も現実も大変なことばかりだけれど、明るく捉えていけば何とかなるよと、映画観賞後には励まされた気分になった。
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