『うる星やつら 完結編』 非モテ男のとほほな詭弁
2022年の元日に『うる星やつら』のアニメのリメイク版制作の発表があった。主人公のラムが鬼族の宇宙人の設定なので、虎柄のビキニを着ている。いまだにコスプレの定番キャラクター。寅年の元日に虎柄キャラのアニメ作品制作の発表。SNSでも大騒ぎになった。
『うる星やつら』といえば、自分が小学生の頃に夢中になっていたドストライクな作品。高橋留美子さんによる原作マンガと、押井守監督によるアニメ版は、いまでも詳しく内容を覚えているくらい自分の脳に刷り込まれている。今年の正月は、『うる星やつら』のテレビシリーズで印象的だったエピソードを探して観直してばかりいた。
『うる星やつら』は、原作が1978〜1987年の9年間、アニメ版は1981〜1986年の5年間続いている。主人公たちは永遠の高校2年生を繰り返している。
この『うる星やつら』が結局最後どうなったのか、自分はよく覚えていなかった。途中で飽きて、観るのをやめてしまったのかもしれない。宇宙人のラムとあたるの恋愛模様の顛末は如何に? テレビシリーズの最終回を観たら、未完結のまま送別会のような終わり方。原作連載は続いているけど、アニメは途中で終わってしまったのだろう。
1988年に『うる星やつら 完結編』という劇場版が存在している。なんでも原作にあるエピソードのアニメ化だとか。これは要チェック。公開当時はブームも廃れて、あまり話題にならなかったと思う。ストーリーの根幹は、押井守監督の劇場版第一作『うる星やつら オンリー・ユー』に似ている。でもこの『完結編』の方が内容的には面白い。これでラムとあたるの物語に終止符がついても、納得ができる終わり方。
押井守監督作の『うる星やつら』の劇場版は、いままでのアニメではなかったような視点の作品ばかり。不気味な余韻を残す悪夢的な作風は、のちに世界的に評価される『攻殻機動隊』や『イノセンス』の習作のよう。当時のアニメファンはびっくりして、伝説の作品としていまでも語り継がれている。アニメ描写の変化球を投げまくった押井版『うる星』は、現代の作品レベルに比べたら整合性が取れていなかったり、展開が単調だったりして観づらかったりもする。観ているうちに、誰が主人公なのかわからなくなるストーリー展開は確信犯。でもそれは禁じ手。毎度は使えない。
『うる星やつら 完結編』は、ボイスキャストこそは同じ声優さんが演じているけれど、初期の頃の『うる星やつら』とは、だいぶ雰囲気が異なる。アニメ版初期はタツコノプロっぽいキャラクターデザインだったが、この『完結編』では別のアニメ作品のように絵柄が違う。
音楽も変わっていた。初期の劇伴はテクノが多用されていた。1980年代はYMOが世界的にヒットした影響でテクノブームだった。ただアニメのサントラでテクノを起用するのは、当時としては画期的だったらしい。音楽担当のひとり安西史孝さんは、YMOのサポートメンバーの松竹秀樹さんの後輩らしいので、YMOやヴァンゲリス調のサウンドは納得できる。
子どもの頃は、アニメ作品というだけで、何の疑いもなしに観ていた『うる星やつら』。幼ごころによく理解していなくても、大人になったらいつかわかるだろうとそのままにしていた問題が多々ある。やっぱり子どもの頃わからなかったことは、大人になってもわからない。先入観がない感覚は正確なもの。
そもそもなんでラムはあたるのことが好きなのか? 『うる星やつら』が少年向けマンガだから、美人にモテたい男の子の心情にスポットが置かれている。そう言われたら身も蓋もない。ラムはあたるの浮気癖にいつも怒っているけど、心の底では許している。やけに冷めていて大人の対応。あたるにとってラムは、恋人というよりはお母さん。非モテオタク男子の理想の女性像が、この頃のラムの性格から、現在のマンガアニメ界隈のキャラクターの性格の根本なっている。
これは当時の男尊女卑の感覚もあるのだろう。一人前の男は、外に愛人の一人や二人いた方が甲斐性があるみたいな価値観。40年前にはまだそんなだったと思うと、時代は進歩した。今だったら、浮気なんかしたら、生活感がない裏切りとみなされ、即さよならだろう。どうしようもないあたるに、愛想をつかさないラムが不思議なのは、その価値観からくるのかもしれない。
そして最もわからないのが、実質的な主人公のあたる。あたるは無類の女性好き。ラムというステディがいるにも関わらず、美女を見ればその尻を追いかけまくる。浮気者と言われているが、そもそもあたるは誰にも本気ではない。まったくモテていないのに、さまざまな女子にモーションをかる。「浮気」という詭弁でラムと向き合うことからずっと逃げている。
まるで非モテ男子が、とつぜん学校一の美人からモテてしまったことの悲劇のよう。身の丈に合わない相手と、どう接していいのかわからない。いま流行りの言い方をするならば、著しく自己肯定感が低いので、他者が自分を認めてくれることが受け入れられていないこと。ひと昔の言い方なら、アダルトチルドレン。
自分が子どもの頃、あたるが時々ラムに優しくするエピソードが好きだった。これは人の恋愛に口を挟む心情とは異なる心理。あたるがなんとか正面から他人と向き合う姿に、ホッとしていたのだと思う。
小学生の息子は、『うる星やつら』のキャラクターではテンちゃんがいちばん気に入ったらしい。ラムのいとこで、ラムとは年齢の離れた小学生低学年くらいの宇宙人の男の子。息子は自分に近い存在のテンちゃんの視点で、このアニメを観ている。幼いテンちゃんに、あたるが本気でケンカを仕掛けるが怖いと言っていた。自分も最初に『うる星やつら』を観たのが、今の息子と同じ頃の年齢。このアニメで繰り広げられる壮大な痴話喧嘩は、正直子どもにはよくわからない。みんな仲良くすればいいのになとシンプルに思っていた。しがらみがいちばん少ないテンちゃんを頼りに観ていくのが、小さい子どもとこの作品の接点。テンちゃんが狂言回し。自分にとって『うる星やつら』は、ちょっと大人の物語で、今となっては若者の話になってしまった。どっちにせよこの世界観ではアウェイな世代。
そういえばこのアニメがテレビで放送されていた当時は、クレームの電話がテレビ局に殺到していたらしい。浮気がどうのとか、女の裸がよくでてくるとか、子どもに悪影響を与えるアニメでしかなかった。まさに有害アニメ。もちろん自分もその影響は受けている。現実とアニメの境界線は、小さな子どもには判断しづらい。
『うる星やつら』は、当時も今も女性にも人気がある。可愛い絵柄が人気のポイントだろう。時代が時代なので、いまでは女性蔑視にとれる描写もある。作者が女性だからなのだろうか、この作品に出てくる女性はみな、強くてドライ。誰もが一人で生きていて、群れをなすことはない。男たちはみなバカばかり。それは可愛らしい男性像なのだろう。でも当事者の男からすると、可愛いと言われるより、カッコいいと言われたい。その男女間での、相手に求めるポイントの微妙なズレと駆け引きが『うる星やつら』の一貫したテーマ。
『うる星やつら』は、なかなか美人の彼女と向き合えない、コミュニケーションが苦手な情けない男の物語。でもそれをそのまま描いてしまったら、男の子たちは傷ついてしまう。SF的なギミックやドタバタな展開で、男の子の観客の心を上手にケムに巻いている。この作品のドライな人間関係は、見方によってはかなり厳しい。優しい顔をして、辛い現実を叩きつけている。
それを生きる覚悟と言ったら大袈裟すぎてしまう。それよりももっと気楽な、相手と向き合うという初歩段階。あれから40年。時代の価値観は大きく変わり、昔よりも個々の問題意識は高くなった。この令和の寅年にリブートされる『うる星やつら』がヒットを狙うなら、当時の原作のままではクレームが来てしまう。まさかこう変えたのかと、時代に即した改変もあるだろう。それも含めて新シリーズが楽しみである。
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