『進撃の巨人』 残酷な世界もユーモアで乗り越える
今更ながらアニメ『進撃の巨人』を観始めている。自分はホラー作品が苦手なので、『進撃の巨人』は一生縁のない作品だと思っていた。テレビアニメの放送権がNHKに移ってからは、よく『進撃の巨人』の特集が組まれるようになり、なんとなくおいてけぼりにされている気分だった。予告編から伺えるのは、マンガやアニメにありがちな理屈っぽい雰囲気。理責め地獄は『ガンダム』や押井守監督作で、もう食傷気味。人が巨人に食われるだって? なんだかんだ言ってグロいのは嫌。人気の理由がわからずにいた。
ふと昨年、アニメ化された『チェンソーマン』にハマってしまった。ストーリーがどうこうというより、映像や音楽などの演出がかっこいい。アニメ制作会社はMAPPA。自分の好きな映画『この世界の片隅に』もMAPPA制作だった。これは過去作に注目しないわけにはいかない。まずは『チェンソーマン』の元ネタと言われている『呪術廻戦』を観た。そうするとMAPPAが頭角を表すきっかけとなった『進撃の巨人』も外すわけにはいかない。
きっと『進撃の巨人』は、いいことが何ひとつ起こらない悲惨な物語だろう。覚悟して観ることにした。案の定、毎回観賞後ぐったりするくらい怖いことの連続。
自分は社会風刺が込められた作品が大好物。この『進撃の巨人』も、社会風刺の匂いが最初からしている。こんなに悲惨な社会状況には、悪政が蔓延っているにちがいない。主人公エレンたちが暮らす街は、巨大な壁に囲まれている。何かからの襲撃に怯え、その壁に護られながら生活している。けれど視点を変えれば、世界がそのまま閉ざされているだけでもある。かつては鎖国していたり、現代でもカルチャーや流行も世界からガラパゴス化してしまっている日本のメタファーでもある。ましてやエレンたちの暮らすエリアは、外世界に一番近い城壁の場所。有事になれば、真っ先に被害を受けるのはあからさま。そこに格差社会や差別の匂いを感じる。一見幸せそうに暮らしているようだが、どうやら盤石な平和とは言いがたい。社会風刺好きにはたまらない要素が含まれている。
舞台となっている架空の世界は、ヨーロッパのような歴史を持っている。中世の騎士道精神やナチスの独裁政治、第二次世界大戦など、実際のヨーロッパの歴史を彷彿とさせる。それをSF的に描く面白さ。この作品が海外に多くファンを持つのがよくわかる。東洋人が憧れる西洋人の姿。自分が西洋人だったら、自身のルーツに誇らしく思えてきてしまうだろう。
ホラー要素と政治や歴史を風刺した本作。キモチワルイもののオンパレード。さぞかし作者もゴリゴリの偏った思想家で、キモチワルイ人なのかと警戒してしまう。『諫山創(いさやまはじめ)』という作者の名前も怖い。ふと諫山創さんが出演している動画を観た。なんとイケメン。デビュー作にして大ヒットしてしまった漫画家さんなので、若いだろうとは思ってはいた。作者がタレント並みにきゃあきゃあ言われるのは楽しい。そして何より諫山創さんが飄々としているのがいい。巨匠なのにちっとも威張っていない。ちょいちょい小ふざけしている。「自分は確かに命をへずってマンガを描いているけど、所詮はマンガなんだよ」と、己れ自身を茶化しているようにも見える。作者の人柄を知ってしまうと、なんとなく『進撃の巨人』の鑑賞ポイントがわかってくる。このマンガは、ホラーの様相をしたコメディ作品なのだと。
この怖いばかりの作品、どうしてもセンセーショナルな部分ばかりに引っ張られてしまう。落ち着いて観てみると、登場人物たちのなにげないやりとりや、おしゃべりが楽しい。劇作品の醍醐味は、作品を通して他人の人生を物語を通して辿ることができること。その疑似体験で、もしも自分に同じような事象が起こった場合のシミュレーションをする。災害や戦争に巻き込まれたとき、人はどうなっていくのか。観客の興味はそこにある。
主人公のエレンは、昭和のサラリーマンのような熱血漢。彼は特別な能力を持っている。ストーリーの展開でだんだんエレンが選ばれし者だとわかってくる。そこで自分はがっかりしてしまった。特別な存在という現実逃避的設定の主人公は、現代社会では感情移入しずらい。けれどその主人公の特別な能力があったからこそ、エレンが無謀な生き方をしても死なない言い訳がつく。ずるい。現実にエレンのような、自分の信念だけの直球で生きていると、早々に淘汰されてしまう。そんな熱血漢のエレンが、精神的に崩壊していく姿は現実的でもある。人は無理をすれば、壊れてしまうか命を落としてしまう。
エレンと似たような性格の憲兵隊のマルロという登場人物が興味深い。志が高く、わざわざ危険な最前線に志願してくる青年。同僚の女の子ヒッチに「このまま甘い汁を吸って生きていけばいいじゃないか」と言われ、その言葉に憤慨して彼女の手を振り払っての志願。最前線の新たな同僚たちから「お前はバカか?」と言われても響かない。似たもの同士のエレンだけは「お前は正しい選択をした」と称賛する。熱血バカのふたりだけしか理解できない価値観。結局マルロは、背水の陣で特攻命令に参加せざるを得なくなる。死の直前、マルロの脳裏によぎるもの。ヒッチと何も起こらない穏やかな人生を送るのも悪くなかったなと後悔する。特別な力を持たない普通の人間はちっぽけなもの。実際の戦争で、純粋な青年のほとんどが、こんなふうに命を落としてしまうのだろう。
いつ死ぬかわからない状況でも、人はしたたかに生きていく。自分の信念にまっすぐなエレンのはずなのに、なぜか女の子にモテたい気持ちが拭えない。ことあるごとに同期のクリスタにちょっかいを出している。クリスタは小柄の金髪で、眼の大きな典型的な萌えキャラ。男性隊員たちはみな彼女のことを気にしている。クリスタもクリスタで、エレンにちょっかいを出されることに悪い気はしていない。信念の熱き漢エレンが、女の子の前ではデレデレしている。ちゃっかりしている。女の尻ばかり追いかけているエレンを、幼馴染のミカサが許すわけがない。エレンとクリスタがいちゃついているところに、必ずミカサが入ってくる。観客は笑って良いのか迷ってしまう。エレンとクリスタの場面ばかりをピックアップして編集動画をつくったら、かなり気色悪いものになりそう。楽しい。
敵が女とわかって戸惑うエレン。そのエレンの耳元で顔面が真っ黒になって目だけが光っているミカサが、「まさか戦えないなんて言うわけないだろうな」と迫ってくる。エレンは目を見開いて、顔面線だらけになる。なにこれ。緊迫感ある場面のはずなのに、ニヤニヤしてしまう。
登場人物で文句なくかっこいいのはリヴァイ兵長。演じる神谷浩史さんの声もめちゃくちゃかっこいい。生い立ち不幸なリヴァイは、成長期にろくな生活をしてこなかったせいか小柄。本人はコンプレックに思っているが、小さいからこそ戦えるという矛盾。この心が死んでしまっているようなリヴァイさえ、可愛らしく描かれている。
後半にオニャンコポンという黒人が登場する。白人ばかりの世界で、たったひとりの黒人。「なんでそんな肌の色なの?」と、悪気のない質問に「いろんな人がいた方が面白いと、神様が僕を創ったんだ。僕は特別なんだよ」とオニャンコポンは返す。オニャンコポンはいつも良いことを言う。このオニャンコポンという名前。日本人にはゆるキャラみたいな変な響きでひじょうに気になる。そもそもオニャンコポンの意味は「偉大なる者」らしい。日本人だけがこの名前の音に引っかかる。これもネーミングの笑いのセンス。
最近流行りの性格診断をやってみたら、自分は提唱者タイプとのこと。『進撃の巨人』の登場人物でそのタイプは、アルミンやジークらしい。いままでアルミンもジークもあまり興味がなかった。性格的に同じタイプだと知ったら、急にこのふたりに親近感が湧いてきた。当初彼らにあまり興味が湧かなかったのは、あまりに自分と似ていたからかもしれない。自分がもし彼らと同じような境遇におちいったら、同じような行動をとるのではないかと、しっくりしすぎていた。
いつ誰が死んでもおかしくないホラー作品なので、登場人物の名前や顔すら覚えないうちに、早々に人が死んでしまってどんどん話が進んでいくのだろうと思っていた。登場人物は物語の部品のように扱われていくのだろうと。でもそれは間違いで、作者は登場人物ひとりひとりに細かい心配りをしている。いつの間にか『進撃の巨人』には、お気に入りキャラが増えてきている。他にもハンジやサシャ、アニやイェレナとか女性キャラも興味深い。それが女性だから面白いというのではく、人として面白いというのが良い。愛着を持った登場人物が死んだりしたら、その喪失感も大きい。もう作者の手の内で転がされている。
アニメやマンガにありがちな、登場人物が己の心情を、セリフで長々説明してしまう表現がある。自分はその非現実的な表現が苦手。すべてを言葉で説明してくれることで安心する客層が、アニメやマンガにはいるらしい。登場人物が、自らすべての心情をセリフで説明してしまう無粋さ。観客の誰もが同じ印象で作品に触れていくことの安定。想像することへの欠如。同調圧力な表現。でも人の感覚は十人十色。誤解やズレがあるからこそ、社会は発展していく。同じ作品を観ていても、別の解釈をしている人がいたら、かえって面白かったりする。
この『進撃の巨人』は、かなり映画的な描写を選んでいる。登場人物たちの細かい描写には、気がつく人だけ気づいたらそれでいいし、誤解したならそれもそれでいいような余白や説明不足がある。顛末を知った上で、前観た場面を見直すと、随分最初の方で登場人物たちは自分の目的に沿った行動をとっている。ブレてない。はたして作者はどの時点でどこまで意図して構想を練っていたのだろう。
肩が凝るような緊張の連続のストーリー。Linked Horizonのアニソン然りのバカバカしい主題歌に救われたりする。シリアスな内容のなかで、この主題歌はコメディ要素として重要。
主人公のエレンは、直情的な性格なので、自己理解も甘い。作者はあまりこの古典的な主人公には興味がない。むしろ脇役のライナーやジャンの方が、作者の分身的存在なのだろう。物語において主人公は最後まで死なないことは約束されている。いつ死んでもおかしくない脇の登場人物にこそ感情移入してしまう。人生なんていつ死が訪れるかわからない。夢半ばで去る者もいる。そうなると生きることに執着しすぎるのも、生きづらさにつながってくる。
戦争ものでもっとも描きがいがあるのは、敵も自分たちと同じ人間だと知ってしまうこと。物語が進むにつれて、人間同士の泥臭い戦いへとシフトチェンジしていく。SF要素がどんどん薄まっていく。それでも社会風刺としてますます面白くなっていったのがとても良かった。歴史好きには堪らない大河要素。
敵の国からの視点を変えて描くパートがあるのもゾクゾクする。敵国からしてみれば、歴戦の猛者となってしまったエレンたちは、悪魔でしかない。人はわからないものを恐れる。わからない相手だからこそ、攻撃していい理由につなげてしまう。でもものごとがだんだんわかってくると、怖いものがなくなってくる。むしろ愛着すら抱いてしまう。そうなると、振り上げた拳の行きどころがなくなってしまう。闘う相手は悪魔であって欲しい。正義という名の矛盾。
かつて様々な作品で、この「正義の矛盾」というテーマを扱ってきた。この『進撃の巨人』は、この難しい哲学的な題材を上手にエンターテイメントに昇華させている。どんな残酷な状況にあっても、人は可愛いらしい存在であって欲しい。勧善懲悪な安易な解答は求めない。白と黒、0か100ではなく、グレーやその中間で世界は成り立っている。怖いものがあるなら、学ぶことを止めてはならない。笑いやユーモアがあってこそ、人が人らしく生きられる。
『進撃の巨人』は、戦争や大量殺戮など、想像し得る怖い要素をふんだん扱いながら、常に笑いとともに描かれている。もしこの作品が、堅苦しいクソ真面目なだけのものだったら、ここまで観客に愛されることはなかった。
原作マンガはすでに完結している。今年の秋にはいよいよアニメ版の完結編も発表されるらしい。テレビアニメも『final season Part.1』、『final season Part.2』Sで終わらず、『final season 完結編(前編)』と続いていく。いつ終わるんだと、終わる終わる詐欺にでもあっているような気分。いいですよ、良い作品が観れるのなら、いくらでも待ちますよ。次回の『final season 完結編(後編)』で、今度こそ終わると信じよう。さて、あとは秋の新作アニメを楽しみに待つばかりだ。
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