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『怪物』 現実見当力を研ぎ澄ませ‼︎

公開日: : 映画:カ行, 映画館, 音楽

是枝裕和監督の最新作『怪物』。その映画の音楽は坂本龍一さんが担当している。自分は小学生の頃からの坂本龍一推し。自分のこれまでの人生は、彼の音楽と共にあったと言っていい。映画『怪物』は、大好きな坂本龍一の最後の映画音楽にあたる。

是枝監督から坂本龍一さんへこの映画のサントラのオファーが来たとき、「もう映画一本分の作曲できる体力がない。2曲なら書ける。あとは既存の楽曲を好きに使っていい」と言って仕事を受けたというのは有名な話。

坂本龍一さんのラスト・ソロアルバム『12』は、彼の71歳の誕生日にあたる2023年1月17日に発表された。その1月から、亡くなる3月28日までの間に書かれた2曲が、この『怪物』のサントラ。本当の意味で、坂本龍一最後の演奏作品となってしまった。是枝裕和監督はずっと好きだったけど、坂本龍一とのタッグ作品だったなら観ないわけにはいかない。

サントラで使われている楽曲は、近年の坂本龍一作品のアンビエント系既存曲が多く使われている。是枝裕和監督も坂本龍一さんのファンだと聞いていたので、よく理解されての選曲。あたかもすべての曲が、この映画『怪物』のためにつくられたかのようにマッチしている。オリジナル曲のもつ、音の組み合わせの実験のような意図の曲も、この映画で使われると別のドラマ性を持ち始めるのが不思議。普段リラックスするときに聴いていた『12』の曲も、劇中では不穏な響きを醸し出しているから不思議。映像と音がぶつかり合うと、分厚い音楽や主張の強い音楽はやかましくなってしまうことがある。是枝監督はそれもちゃんと理解していて、音楽と映像がぶつからないように細心の注意が払われている。この映画のために書き下ろされたオリジナル曲は、作品に溶け込んでいるのはあたりまえ。もし坂本龍一さんがもっと元気なときに『怪物』のサントラを手がけていたら、どんな曲をつくっていたのだろう。そう思うと切なくなる。ものごとに「もしも」と考えだしたらきりがない。今回はこの完成された『怪物』が完璧な坂本龍一の仕事として受け止めたい。是枝裕和監督による、坂本龍一コンピュレーションとして。

自分は若かりし頃、映画学校に通っていた。その学校でひとまわり年上の同学年のおじさん生徒がいた。どうやらその人も坂本龍一さんのファンだという。彼の習作に坂本龍一の楽曲がよく使われていた。その曲の使われ方のセンスの悪さに、「違う! そうじゃない」と毎回歯痒い思いをしたのを覚えている。原曲を汚されているような気さえした。素人監督の習作とプロの監督の仕事を同列にするのは酷だが、今回の是枝裕和セレクションの坂本楽曲は、そんな歯痒い思いをすることはまったくない。ただ、この映画の予告編で、坂本龍一ではない楽曲が使用されていたのは違和感があった。サスペンスタッチの煽るような曲。そこに「音楽 坂本龍一」とテロップが載ってしまうのがとてもイヤだった。本編で使用されない曲を、予告編だけで流すのはやめて欲しい。近年の日本の映画予告編のセンスの悪さ、集客できればいい詐欺的意図がとても気になる。

この映画ははたしてハッピーエンドかバッドエンドか賛否両論となる。是枝監督は、「解釈は観た人に委ねる」と発言している。この映画の大事な場面で、坂本龍一さんの『Aqua』という曲がかかる。この曲をかけたことがすべての意味。『Aqua』はそもそも坂本龍一さんの愛娘・坂本美雨さんのファーストアルバム用に書かれた曲。坂本美雨さんのラジオ番組に是枝監督がゲスト出演していたときに、この曲を使ったことは希望なのだとヒント発言があった。自分もこの映画を観終わったとき、あれだけ怖いことばかりだったのにとても後味がよくなっていた。このあと、登場人物たちが救われていくのではと感じられた。ただ、傷ついた登場人物たちが「誰にでも手に届く幸せ」に辿り着くまでは、まだまだ長い道のりがかかりそう。映画のラストシーンは、現実の場面なのか心象風景なのか、あえてわかりづらくしている。是枝監督の映像美と坂本龍一さんの音楽が、静かに涙腺を刺激する。

『Aqua』という曲は、これまで坂本龍一さんによる演奏のバージョンが幾つもある。アンビエント志向になった近年の演奏を使用すれば、サントラに統一感がでるのではと思っていた。『怪物』に使用された『Aqua』のバージョンは、いちばん最初に発表されたテイクのもの。近年の『Aqua』の演奏は、情感たっぷりに奏であげている。使用された初期バージョンは、味気ないくらい淡々とした演奏。これがかえって感動的。ともするとエモーショナルな演奏は、鎮魂歌にも聴こえてしまう。蛋白な演奏だからこそ、そこに余白ができて希望を見出せる。きっと是枝監督はにはそんなことは重々承知。いろんなバージョンの『Aqua』を、自分の映像に当て込んでシミュレーションしているはず。

映画『怪物』に登場する子どもたちは、我が子とも同世代。学校で自分の子どもがいじめに関わっていると知ったら、ぜったい冷静ではいられない。映画の冒頭では、いま現実に何が起こっているのかまったくわからない。映画が進んでいくにつれて、ことの次第が段々と見えてくる。3部構成で、主役となる登場人物を入れ替えて、視点を変えて同じ時系列を辿っていく。そうすると一体誰が怪物なのかわからなくなってくる。ミステリー作品の要素がある。

是枝裕和監督の目線は優しい。性善説を映画のなかで描いている。映画を観ていくと、登場人物の誰も間違っていない。だからこそどうしてこんなことになってしまったのかと、やるせなくなってくる。怪物は誰の中にも存在するかもしれないが、やっぱり人は怪物ではない。みんな周りを見ながら、いろいろ考えて生きている。映画が進むにつれて、あちこちに散りばめられた点がつながっていく。点が線となり、面となる。そうすると直接映画では描かれていない場面すら見えてくる。映画を観終わる頃には、多くの謎や誤解が解けていく。どうにかみんな救われて欲しいと感じる。

人はわからないものが怖い。怖いものには攻撃的になる。この映画の最大の悪は、人々の中にある偏見や同調圧力、見栄や事勿れ主義などがあたる。それらが人の心に怪物を宿す。人は生きていれば嘘をつく。人が1日でつく嘘は200以上と聞いたことがある。いっけん嘘は悪いことだと思いがちだが、嘘にもいろいろ種類がある。相手を思い遣り、無闇に傷つけないためにつく嘘や、円滑に人間関係を進めるためにつく嘘もある。

カンヌ映画祭でこの映画は脚本賞を獲得した。坂元裕二さんのトリッキーな脚本の受賞は大納得。構成に工夫を凝らされているけれど重苦しくない。物語の行間は残しつつ、現実はひとつ。それを受け止める人によって、さまざまな解釈になっていくことで生じる不気味さや面白さ。自分と他人の思考が必ずしも同じとは限らない。でも人が物事に覚える感覚は、それほど大差はない。自分と他人の壁を作ってしまうと、かえって生きづらくなる。シリアスな作品のテーマを、ミステリータッチの敷居の低いエンタメスタイルで調理していく。ある意味、ホラー映画でもある。

是枝監督の作品は、いままで監督自らで脚本を書いているものが多かった。是枝作品はいつも真面目な題材を扱っている。観客のこちらもそのクリエーターの真摯な姿勢に、ぞんざいな態度をとることをはできない。ある意味、ちゃんと正座して観なくてはならない気分。映画は気になるけれど、ちょっと肩が凝る。元気なときでないと、是枝作品はなかなか観れない。

過去作の『万引き家族』というタイトルも、当初是枝監督は哲学的な覚えずらいものをつけていたらしい。周りのスタッフから『万引き家族』というタイトル案が出て、それを起用したらしい。なんともキャッチーで、興味をそそるタイトル。

是枝監督には悪いけど、ご本人による脚本執筆より、第三者の作家に委ねた方が、作品の本筋が客観的になり伝わりやすくなる気がする。ひとりの人間が、ワンマンであらゆる部署に取り掛かるとどうしても視野が狭くなってしまう。映画は総合芸術。多くの人が携わって、多種多様な誤解を混ぜこぜにしながら作品はつくられていく。答えのない余白の多い作品は、観客の性別や年齢、そのときの体調で印象が変わってくる。作品鑑賞では、そのズレが面白い。

人は自分が信じたものを現実として見ていきたい。ネットが普及して、ひとつのニュースでも多くの解釈の報道があることがわかってきた。普段の生活で起こる事柄も、人によって違って見えている場合も多い。

最近実感するのは、「自分は常に正しい」と言い切れる人がいちばん怖いということ。ひとりの人間が、生きていくうえで得られる情報は限られている。その中で人は自分で考えて行動をとる。ただ、判断基準となる情報が限られているため、後から考えが変わることもある。そこで「自分は常に正しい」に執われていると、途中で道を変更できなくなってしまう。これまでを捨てられない執われも、幸せとは遠藤い選択になる。もし何も先入観のない事象に違和感を感じたなら、その感覚は正しい。その事象からは距離をとっていく。危険なのは感情に任せて大胆な行動をとってしまうこと。自分が感じる違和感は、周囲の人も同じように感じている。ことの成り行きを静観すると、案外周囲から自然と解決の方向に向かって行ったりもする。

映画『怪物』の安藤サクラさん演じる母親は、自分の子どもがいじめにあっているのではと焦って、感情的になって他者を責めてしまう。第一部ではこの母親の視点で描かれている。学校側がこの母親をモンスター・ペアレンツ扱いしているのに怒りを感じる。第二部では、永山瑛太さん演じる教師の視点となる。この教師はちょっと挙動不審なところもあるけれど、悪い先生ではない。第一部の母親からはモンスターに見えるこの教師も、こんなに優しくて良い教師なのかと驚いてしまう。教師からの視点からすればシングルマザーでヒステリックな母親が、モンスター化しているようにしか見えない。両者は誠実な人間なのに、反目し合うやるせなさ。このボタンのかけ違いは、少ない情報で物事を判断して、感情の赴くままに行動してしまったからにすぎない。人は余裕がなくなると感情的になってしまうもの。

シングルマザーで子どもを育てていくのは大変なこと。教師という職業の負担の多さが問題となっても、世の中は一向に解決する気配すらない。余裕のない大人たちのとばっちりを受けるのは、本来ならのびのびと生きなければいけない子どもたち。子どもたちには、「自分たちは社会から大切にされている」と感じながら大人になって欲しい。この映画の怪物はなんだろう。ミステリーから社会派になっていく物語の巧みさよ。

映画『怪物』は、カンヌ映画祭でクィア・パルム賞を受賞している。受賞自体は名誉なことだけど、クィアと限定されてしまうと、この映画のテーマが狭くなってしまう。映画の意図と真逆の評価になりかねない。

自分も子どもの頃は性別不詳のルックスだった。10代後半になっても、服装次第では女の子と勘違いされてしまうこともあった。そしてまた自分自身も、いろいろ世間から武装している女子よりは、同性と一緒にいる方がラクだったりもした。そんな感情もクィアと一括りにされてしまうと、かなり生きづらくなってしまう。なにかと決めつけてしまう方が、いっけんラクにおもえるが、それはとんでもない罠。是枝監督も「この映画はLGBTQ+の映画ではない」と言及している。偏見が人々を苦しめていた映画に、クィアというカテゴライズで新たな偏見をつくってしまう。なんともパラドックス。

多様性という言葉がどんどん一人歩きして、かえって息苦しくなってしまうのでは本末転倒。それでもいろいろ考えて生きて行くことは大切なこと。この10年で確実に世の中の価値観は変わっていった。いまはその過渡期にある。いまの子どもたちが大人になる頃には、今の問題が問題で無くなっていてほしい。日本からこんなエンターテイメント作品が、世界に発信できたのは喜ばしい。大好きな坂本龍一の最後の映画音楽も、母国である日本の作品で良かったと思う。

しかし監督「是枝裕和」、脚本「坂本裕二」、音楽「坂本龍一」と並ぶと、苗字が「さかもと」だったり、名前に「裕」の字があったりと、なんだか似ていてややこしい。まあこれは余談だけど。

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