『シビル・ウォー アメリカ最後の日』 戦場のセンチメンタル
アメリカの独立系映画スタジオ・A24の作品で、同社ではかつてないほどの制作費がかかっているという『シビル・ウォー』。もしアメリカの思想の分断が激しくなって、内戦が起こってしまったらのシミュレーション映画。自分は社会風刺作品は大好きなので、この『シビル・ウォー』は絶対観なくてはと思っていた。
ただ自分はホラー映画が大の苦手。A24の作品はホラー映画がメイン。戦争映画も興味があるのだが、怖い描写はかなり苦手。若いときならまだしも、歳を重ねてくると、怖い映画がどんどん苦手になってくる。『シビル・ウォー』は前評判で、戦争場面がとても怖いと聞いていた。映画館で観るには、体力的にちょっと自信がない。映画館へ行く日程まで都合をつけたが、寸前で劇場での鑑賞は諦めた。老いはさまざまなところに現れてくる。
『シビル・ウォー』の映画館での鑑賞を早々に諦めた自分は、ご縁があればいつか配信でこの映画を観ることもあるだろうと割り切っていた。この映画の配信開始は、「いつか」をまったく待ち侘びることもなく、日本劇場公開の2ヶ月後に始まった。近年の映画事情は、海外作品がかなりの不人気と言われている。シネコンの洋画上映館は閑古鳥が鳴いている。シネコン側でも海外映画は公開開始後すぐに、観づらい時間へと追いやってしまう。洋画の不人気は、すぐ配信されてしまうからだけが理由とも言い切れない。シネコンがぞんざいに洋画を扱っていることが、洋画の不人気を助長しているようにも感じられる。日本国内でのカルチャーの鎖国化推進。世界からの文化のガラパゴス化まっしぐら。
自分は『シビル・ウォー』配信開始当時、肺炎を罹っていた。11月の初めから肺炎になって、治ったかと思ったら、反対側の肺に影が出て、また新たな肺炎になってしまう。二度目の肺炎が治ったかと思ったら、今度はインフルエンザに感染。この冬のトレンドである「トリプル感染」を経験してしまった。丸々2ヶ月間ずっと高熱と咳で寝込んでいた。これでは配信といえども、『シビル・ウォー』みたいなハードな映画を観る体力なんてない。映画鑑賞も健康がなければ愉しめない。健康とはなんと贅沢な状態なのだろう。
とはいえ『シビル・ウォー』は観てみたい。比較的熱がないときを見計らって、小さな音でこの映画を観ることにした。この映画は、映像や音響がすごいとのことだったので、小さな音と明るい部屋での鑑賞は邪道なのかもしれない。でも映画を気軽に観れるというチャンスを逃したら、映画そのものを見逃してしまうかもしれない。ときには飛行機で移動中に観た映画が、思い出に残る作品になったりもする。シートモニターの小さな画面と安いイヤホンで観た映画のことが、人生において貴重な映画体験になったりもする。これは、病床に臥したいまだからこそ、『シビル・ウォー』初鑑賞にふさわしいのかもしれない。
小さな音とはいえ、我が家のサラウンドシステムでこの映画を観ることにした。確かに音響が凝っている。陰惨な戦争映画にも関わらず、映像美を意識している。過去に実際に戦場となった場所は、自然のきれいな土地が多かった。この『シビル・ウォー』での戦場は、ワシントンD.C.のホワイトハウスへ向かう都市周辺と向かっている。破壊と美というのは一見のところギャップがあるが、スクラップ・アンド・ビルドという概念もある。破壊の次の世界を、この映画が夢みているのかもしれない。
映画『シビル・ウォー』の特徴は、政治的な設定をぼんやりさせているところにある。テキサス州とカリフォルニア州が結託して内紛を起こしていると、映画の冒頭のニュース映像でサラッと伝えている。アメリカの政治に詳しい人は、共和党寄りのテキサスと民主党寄りのカリフォルニアが組むわけがないと、そこで引っかかってしまうらしい。でも事実は小説よりも奇なり。近年の事件は机上の空論以上の奇想天外な出来事ばかりが起こる。絶対に有り得ないなんてことは、もう有り得ない。それに戦争という状況下にいる人の目線になれば、もう政治状況がどうこうと言っていられない。
『シビル・ウォー』で起こっている分断による内戦は、日本ではファンタジーでしかないが、アメリカではかなり切実な問題だろう。その温度感はアメリカに住んでみないとわからない。右か左の極端な選択肢しかなくなり、どちらかの思想が優位に立てば、残りの半分は納得ができないままになってしまう。
映画というフィクションを通して、アメリカ国内の分断を具体的にして煽らないで欲しいと思うアメリカ市民もいるだろう。決めつけないで欲しいと。アメリカで起こっていることは、数年後日本でも起こる。それは良いことも悪いこともどちらも起こる。ネットが進んだ現代では、そのタイムラグがさらに短くなった。『シビル・ウォー』みたいな映画がつくられる土壌というものを、日本人も想像してみるのもいいかもしれない。そうすることで映画をより一層深く楽しめてくる。
現代の文明社会で勃発する、内戦の状況をシミュレーションする。それが映画『シビル・ウォー』の最大の制作意図。映画を観ていると、思っていたものとだいぶ印象が違っていた。上映環境が生活感ある中だったせいもあって、映像や音響の没入感よりも、その技術を客観的に感じることができた。
戦争映画というと、残酷なグロ描写の連続なものだが、この映画はあえてきれいなものを撮ろうとしている。ロードムービーとして戦争をとらえている。行く先々で、戦争によって心が壊れた人々と出会っていく。作中には絶えず不穏な空気が流れている。それでも音楽がかかったり、夜の闇に煌々と燃える木々のなんとも映像美な感覚のズレ。それらを通して、戦争という体験や状況に酔いしれていくようになってくる。最悪の状況の真っ只中にいるにも関わらず、どこか他人ごと。
たとえばそこに血を流して今にも死にそうな人がいたとする。その状態は恐ろしいが、自分の命も危うい中では、その瀕死の人をどうすることもできない。そもそも怪我すらしていない今の自分からは、その瀕死の人がどれだけ苦しく痛くて怖いかなど、想像するしかない。自分自身が死にかけなければ、それらはすべて他人ごと。この恐ろしい空間にいても自分は無傷。脳がバグって、この状況にいる自分の姿に酔ってしまう。行き場のない感情は、音楽と火花でおセンチになっていく。なんとも現代的な戦争映画感覚だろう。
戦争映画はたいてい観終わる頃には気分が落ち込んでしまう。でもこの『シビル・ウォー』は清々しい読後感すらしてしまう。なぜだろう。この映画には、勧善懲悪的な明らかな敵がいるからかもしれない。その絶対悪の存在は、今までのアメリカ映画にはなかったもの。そこが新しい。
アメリカ映画での絶対悪の象徴は、時代によって変遷がある。80年代では『トップガン』や『ロッキー4』みたいに、アメリカの冷戦の相手・旧ソ連そのものだった。その後、アメリカ映画の敵の存在は、中東のテロリストとなったり、AIになったりもした。この『シビル・ウォー』の敵は、悪政そのもの。ラスボスは、その政治をつくりだして、何の対処もしなかった政治家たち。クライマックスで命乞いをする政治家たちが容赦なく殺されていく。そこにこの映画のカタルシスがある。A24がハリウッドの大手スタジオではないからこそできる表現。
奇しくも『シビル・ウォー』の公開時と同じころ、アメリカの大統領選と重なった。日本のニュースでは、他国の大統領選の状況を、プロ野球の実況中継のようにおもしろおかしく流している。自国の選挙もこれくらいエンターテイメント性高く報道してくれればいいのにといつも思ってしまう。トランプ大統領再誕生という結果が何をもたらすか。まあ日本にはあまりいいことが起こらなそうだ。映画『シビル・ウォー』のモデルになったのは、トランプ政権だとよく言われている。でも実のところバイデン政権も、アメリカを結構悪い方へ持っていってしまっている。どちらの政権もこの映画の社会状況になりかねない。なんとも皮肉。なんだかもう右も左も関係なくなってきた。
この映画の美意識の高さは、主演のキルスティン・ダンストの出世作『ヴァージン・スーサイズ』へのオマージュからとのこと。センチメンタルな心情とディストピアは、どうやら相性が良いらしい。我々はあまりに生きづらい現実から逃避するために、サブカルチャーへ心理的に避難してしまった。それから現実とフィクションの境目がわからなくなる感覚に陥ってしまった。
『シビル・ウォー』は、具体的なグロい描写をなるべくマイルドに表現している。戦争描写の没入感こそはあれど、本当の戦争はこんなものではないとすぐに想像がつく。ネットのすぐ向こうに戦場が広がっている現代だからこそ、この夢うつつな戦争映画が生まれたのだろう。もうどれが現実でどれが虚構なのか、さっぱりわからない。リテラシーをどんなに磨いても、真実を確かめる手段はない。すべてが藪の中。この映画が示す通り、政治なんてフワッとしたままでいいのかもしれない。いろいろ調べた上で、すべて疑っていく。でもそれでは疲れてしまうので、ちょっと距離もおいてみる。自分だけではどうしようもない問題は、とりあえずそのままにしておこう。それが自身への最大限の防御。はたして映画『シビル・ウォー』は、焦る人々のガス抜き映画になったのだろうか。
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