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『Ryuichi Sakamoto: Diaries』 こうしてすべてが変わっていく

公開日: : 映画:サ行, 映画:タ行, 映画館, 音楽

『Ryuichi Sakamoto: Diaries』という映画の試写会が当たった。この映画は、坂本龍一さんが亡くなるまでを綴ったドキュメンタリー作品。自分は子どものころから坂本龍一さんの大ファン。いつかはあんなおじさんになりたいとずっと思っていた。アイドルというのは、恋愛対象の異性ばかりとは限らない。自分もあんな風にないたいという憧れの対象もアイドル。そうなると自分にとっては、坂本龍一は永遠のアイドルだった。そんな偶像がこの世を去った。アイドルも死ぬんだと、当たり前のことなのに驚いてしまった。芸術家は極端に短命か長生きするもの。坂本龍一は明らかに後者だと思っていた。推しは推せるときに推せと実感してしまった。

自分は普段、国内の人物に対しては「さん」付け敬称ありで記述する。坂本龍一さんについてはあまりに好きすぎて、どうしても今さら「さん」付けにするのが照れ臭い。坂本龍一さんに関して敬称略なのは、自分の中で親しみのあらわれだと思う。

『Ryuichi Sakamoto: Diaries』の試写会の応募時、会場は都内某所となっていた。坂本龍一の映画なので、てっきりサカモトシネマで上映するものと勝手に期待してしまっていた。サカモトシネマとは映画ファンの中で呼ばれている映画館の愛称。本当の名前は『109シネマズプレミアム新宿』。坂本龍一さんが病床の中プロデュースした映画館。音響がとにかく凝っていて、防音がしっかりしている。まるで映画館の上映ホールが、聴覚検査室でできているかのよう。設備がすごいので、鑑賞料金もかなり高額。ポップコーンとソフトドリンクもおかわり自由でセットとなっているので、それを加味すれば、もしかするとさほど高額でもないのかもしれない。ものは考えかた次第。映画館のロビーもゆったりしていて、ギャンギャン予告編がかかっておらず、この劇場オリジナルの坂本龍一のピアノ曲がかかっている。料金が高いのでなかなか行くことがない映画館なので、この試写会を機にまた行けるのかと思ってしまっていた。当選した案内での会場は渋谷の『ユーロライブ』とのこと。同じビルの『ユーロスペース』には最近行ったばかりなので、なんだかご縁がある。さすがにサカモトシネマでの一般試写会はありえないか。ただ当日はこの映画を演出した大森健生監督もトークショーに登壇されるとのことで、ここだけの話も聞けそうで楽しみにしていた。

坂本龍一の生前と没後では、客層が大きく変化したように感じる。自分は試写会には全身黒装束で、靴も坂本さんが宣伝してたニューバランスでキメてきた。さぞかしパチモンの坂本龍一で会場は溢れかえらんものと期待していたが、全身黒は自分だけ。どちらかというと、ほとんどの人がショッピングモールに買い物にでも来たかのようなラフな服装。坂本かぶれは自分しかいない。もしかしてアウェイ? なんだか居心地が悪くなってきた。画面のなかの坂本龍一とほとんど今の自分と同じ服装なので、いたたまれないくらい恥ずかしくなってきた。生前の坂本龍一ファンは、おしゃれさんが多かったので、気合いを入れないと何かに負けそうだった。今では坂本龍一というアイコンはもっと一般的なものとなっているのだろう。ひとりのアーティストというよりは、レジェンドの映画を観に来たという趣き。自分はすっかり古参ファンの部類になってしまった。きっと多くの人は『ボヘミアン・ラプソディー』の映画を観て、初めてクイーンやフレディ・マーキュリーを知るようなノリなのだろう。リアタイではなく後から知って、好きになっていく。すでに坂本龍一も過去の人。時代が変わるのは早い。

坂本龍一に関する映画は、過去に何本かつくられている。生前、ガン治療をメインに扱い、坂本龍一というアーティストを紹介するような映画『Ryuichi Sakamoto: coda』と、自身の死期を悟って最後のライブ収録となった『Ryuichi Sakamoto: opus』。今回の没後に制作された最期の日々を綴った本作『Ryuichi Sakamoto: Diaries』で、なんだか三部作のような感じになっている。今回の『Diaries』は、本人の死後につくられた作品だから、本人の意思はそこにはまったくない。映画も坂本龍一という人に密着するというよりは、どこか距離があって、もうここには居ない人という描かれ方だった。坂本龍一の生前に夢中になっていた自分のような者からしてみれば、なんだか寂しい。けれども、もういない人をまるで存在するかのように描くのも気持ちが悪い。『Ryuichi Sakamoto: Diaries』の冷めたタッチが斬新だった。ファンの持つ熱量はそこにはない。

上映後のトークショーで初めて知ったのだが、本作の大森健生監督は生前の坂本龍一さんとは会ったことがないとのこと。そもそもこの映画は、『NHKスペシャル』の特別企画『Last Days 坂本龍一 最期の日々』を再編集したもの。大森監督はその番組のディレクター。番組制作のために、坂本龍一死後に取材をしていったもの。だからこそのこの距離感。自分は『NHKスペシャル』の方も観ていたので、坂本龍一が亡くなる瞬間までの映像が流れるこの映画には、衝撃への耐性がある程度事前にできていた。ただのテレビ放送の拡張版だと思っていたが、まったく違う編集をされていて、きちんとひとつのテーマを持った映画作品に仕上がっていた。『NHKスペシャル』のときよりも、芸術性の高いドキュメンタリーになっていた。

坂本龍一さんの親族から提供された彼の日常の姿。自身の寿命を知って、その残された時間でいったい何ができるのかと抗い続ける姿が淡々と綴られる。どんなに才能があっても、世界的に評価されても、多くの人の羨望を受けても、人はいずれ死ぬ。この世でどんなに認められても、ひっそりと亡くなっていく。その姿を坂本龍一は赤裸々に後世に見せつけてくる。このようなドキュメンタリー作品がつくられるであろうことは、おそらくご本人の意思もあるのだろう。でもその記録を観た人たちの、その後の化学反応を本人は見ることができない。それも覚悟の上。とても勇気のある行動。やっぱり坂本龍一はカッコいいし、最期までカッコつけてくれた。

ご本人が残された日記を縦軸にしてこの映画は組み立てられている。それはスマホに打ち込まれたひとことや、紙に書きなぐられたメモだったりする。大森健生監督は、何月何日に何が書いてあったか丸暗記してしまったという。遺族から提供された映像と、ご本人が残した日記はバラバラなものなのに、日記の記してある日付と、その同じ時期の映像が繋がってくるという。あのことを書いた日に、あの行動をしていたのかと。あたかも近代史や考古学で、見知らぬ過去の出来事を発掘していく作業のよう。大森監督が生前の坂本龍一さんと会っていなかったのは、この映画制作にとってとても良かったと思う。知らない人のことを、残された情報だけで紐解いていく。その人なりを想像しながら補完していく。観客の我々だって、日常の坂本龍一がどんな人だったかなんて知る由もない。監督の目線が、観客の我々と近い目線というのがとても大事。あるレジェンドの思考を考察していく作業。

トークショーには大森監督とともにコムアイさんも登壇していた。コムアイさんが坂本龍一さんと交流があったエピソードはあまり知らない。コムアイさんも数回しか坂本さんとお会いしたことがないと言う。なんでそのような浅い交流の人が呼ばれたか。そこに意味がある。観客の我々だって坂本龍一の何をどれだけ知っているかということにもつながってくる。コムアイさんは、坂本龍一さんが亡くなる数週間前に訴えた新宿外苑前の樹木伐採に抗議から始まるデモに参加したと言う。そのデモライブは、坂本龍一さんの死後にムーブメントとなった。コムアイさんは我々観客に近い視点での登壇者。坂本龍一の本当の人となりは知らないからこそ、この映画を楽しめる余地も生まれる。坂本龍一が去った今、人の数だけ自由に坂本龍一について語っていいということ。

大森監督は、活動家でもあった坂本龍一さんの思想にはなるべく触れないようにしたと言っている。ただ映画にはNHKアーカイブからのウクライナの戦争や、北陸の津波の映像が引用される。テレビではなかなか流れないようなショッキングな映像。人が殺されたり死んだりする瞬間の映像。NHKアーカイブの強さを見せつけられる。そこで観客の我々がどう感じるか。そして坂本龍一はその現実をどう感じて、活動を始めたのか。観客のみんなも何かを感じて考える。大森監督が作品に込めた、静かだけれど力強いメッセージを感じる。

坂本龍一は生前、雨音の美しさをよく語っていた。雨音をサンプリングした曲もあるし、この映画でも雨を重要な小道具として使っている。ある意味、坂本龍一は雨に導かれていった人ではないかとさえ思えてくる。雨という象徴。確かに雨音は聞いているだけでリラックスしてくる。それは忙しい喧騒の中ではなかなか気付けない音。ゆっくり時間の流れる郊外や田舎で生活していたり、縛られるものがまだ少ない子どもの感性がなければ、雨音をじっくり聴いて楽しむようなことはないだろう。自分も坂本龍一さんの言葉を通して、雨音を意識するようになってきた。そうなると雨が降るだけで坂本龍一を思い出してしまうようにもなってくる。

坂本龍一ロスもすっかり乗り越えて、グリーフワークの時期も過ぎてきた。少し落ち着いてきたところで、自分の青春時代を熱狂させた「坂本龍一」という現象はいったい何だったのかを検証してみるのもいいかもしれない。坂本龍一が自分の人生にもたらした影響とは如何なるものか。坂本龍一は自分の死をもって、生きることを示してくれた。ここまでやってくれるメンターは現実にもあまりいない。偉人でさえひっそりと死んでいくのだから、自分などはもっと密かに最期を迎えるだろう。戦争や洪水で死んでいく姿も、同じ人の死の姿。家族に囲まれた亡くなっていった坂本龍一さんは、とても幸せな人間らしい死を迎えられたと思う。映画を通して、悲しいけれど幸せなラストシーンを迎えることができたのは、観客である自分も幸せだったのかもしれない。

ひとりの偉人が最期の時を過ごす様子を観ることで、自分の人生を見つめ直すきっかけとなった。自分にも来たるべき時が訪れたら、どうするのだろうかと考えてしまった。

 

 

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