『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』 長い話は聞いちゃダメ‼︎
2024年2月11日、Amazonプライム・ビデオで『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の配信が始まった。なんでもこのアニメ映画の公開が、40年前の同日1984年2月11日とのこと。40周年記念日に配信開始。粋なことをアマプラはしてくれた。あれから40年も経つ。当時子どもだった人も、すっかり初老になるだけの年月が過ぎ去ってしまった。人生って短い。
自分がこのアニメ映画を観たのも小学生の頃。『うる星やつら』の映画は前作にあたる劇場版一作目『オンリー・ユー』を、子どもだけで新宿の映画館に観にいったため、よその親からいろいろお叱りを受けてしまった。自分の中ではリアル『スタンド・バイ・ミー』みたいな思い出となっている。そんな大冒険の問題もあってか、今回の二作目『ビューティフル・ドリーマー』は、地元の市民ホールでの上映会で観ることにした。うる星好きの友だちと一緒に観に行った。
市民ホールで映画の上映会というのが、なかなか昭和っぽい。今でこそ郊外にもシネコンができてきて、上映環境の良好な映画館で気軽に映画鑑賞を楽しめるようになってきた。昔は郊外に住んでいると、映画鑑賞も都心に出かけなければならない。映画鑑賞は日帰り旅行みたいな一日仕事。アニメ映画が観たい小学生には、市民ホールでの上映会はかなり重宝していた。
休日1日だけ市民ホールで話題のアニメ作品を上映する。上映日が近くなると、路地の電柱のあちこちに、宣伝ポスターが掲示される。登下校時にそのポスターを見ながら、今度はこの映画が来るんだと、友だちと喋りながら週末の予定を立てる。市民ホールでの上映会なので、映画館よりも安い金額設定。これなら親の許可も取りやすい。小学生時代の市民ホールでの映画上映会は、当時の自分にとっては重大イベントだった。
当時の市民ホールは、そもそも映画上映用の設備が揃っていない。主催の映画館が運んできた映写機と、スクリーンの下に特設された精度の悪いスピーカーでの上映。映写機の操作が難しいらしく、フィルムチェンジのタイミングを間違えて、まだ場面の途中で次の場面に切り替わったり、映写機が故障して上映が止まったりと、劣悪な上映環境だった。上映がが止まると、会場の子どもたち全員で「カネ返せ」コールをする。実際のところ、映画の内容なんてどうでもいい。これは祭りなのだ。会場に集まっているのは、近所の子どもばかりなので、落ち着いて映画なんて観てられない。そもそもじっとしていられないのなら、なんでお金を払ってまで映画を観に来たのだろう。会場は、大声で喋ったり走り回る子どもたちでカオスと化していた。今ではそんな環境ではとても映画なんて観れない。『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は、台詞劇でもある。念仏のような長台詞が聞き取れなければ、この映画の醍醐味は味合えない。一緒に行った友人と、「台詞がちゃんと聞きたかったね」と言いながら帰路についた。
この映画『ビューティフル・ドリーマー』は、後に『GHOST IN THE SHELL』や『イノセンス』を撮って、世界的に有名になっていく押井守監督の初期作品。とうとうと語られる意味不明な長台詞や、何度も同じシチュエーションが繰り返される悪夢的描写の礎は、この頃すでに出来上がっている。むしろその後の押井守監督は、『ビューティフル・ドリーマー』のブラッシュアップに過ぎないとまで感じられてしまう。
クリストファー・ノーラン監督の代表作『インセプション』は、この『ビューティフル・ドリーマー』をモチーフにしているとのこと。そういえばノーラン監督の他の作品も、日本のアニメの映画の影響を強く感じる。『インターステラー』は、人類が地球意外の新天地を求めていく『宇宙戦艦ヤマト』や、スペースコロニーでの生活を描いた『機動戦士ガンダム』のイメージ。タイムマシンに乗って、歴史をやり直すための戦いを描いた『テネット』は、発想は『ドラえもん』と同じ。逆に、今の人気の日本のアニメ作品『鬼滅の刃』や、『チェンソーマン』で、ノーランへのオマージュ描写が多いのも目立っている。日本アニメとノーランとの相思相愛的な影響し合いで、作品のクオリティの相乗効果を上げている。なんだか嬉しくなる。
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は、アニメ映画の名作と言われている。自分はシナリオ作家養成学校に通ったことがあるが、そこで教わる脚本の作り方では、絶対にやってはいけない方法としての表現が、この『ビューティフル・ドリーマー』ではまかり通っている。
作家養成学校でお叱りを受けそうな描写として、劇中にあまりにも独白台詞が多すぎることがあげられる。映画やドラマは映像があるものなので、脚本を書くときには登場人物だけではなく、人物の動きや風景も想定しなければならない。ラジオドラマのような台詞劇もあるが、これは会話の面白さで描いていくもの。『ビューティフル・ドリーマー』のようなひとり語りが延々と続く台詞づくりは、劇作品の台本では禁じ手。台詞は短い会話のキャチボールでみせていく。そうしないと観客は飽きてしまう。大学の講義ではないので、ひとりのキャラクターがずっと喋り続けてしまうのはよろしくない。あくまで作品はエンターテイメントでなければならない。
そしてこの『ビューティフル・ドリーマー』は誰が主人公なのか分からないのもポイント。物語の事象を突き詰めていくのは、巫女のサクラ先生なので、実質的な主人公はこの人になる。この映画でのサクラ先生は、後の『GHOST IN THE SHELL』の草薙素子のイメージにも繋がってくる。でも大団円でサクラ先生がことの真相に辿り着いた瞬間に、視点が本来の原作の主人公・諸星あたるに変わってしまう。それ以降、サクラ先生はいっさい登場しない。
主人公がいない群像劇と言えば言い訳も成立する。でもやっぱりちょっとモヤモヤする。それも含めてこの映画の悪夢感を醸し出している。それが監督が狙ってやったのか、苦し紛れに支離滅裂になってしまったのかはわからない。滅茶苦茶な脳内模様を描いていても、それはそれで作風にはマッチしている。不安感を煽る映像美は、フェデリコ・フェリーニ監督の影響を強く感じる。
このアニメ映画を観て、人生狂わされたというおじさんたちが大勢いる。今の感覚では、たかがアニメ作品で人生を左右させられるような子は少ないように思える。情報過多な現代社会では、いちいちセンシティブになっていては疲れてしまう。見聞きしたものをさらっと流すセンスは、デジタルネイティブの今の子どもたちの方がリテラシーが高い。
『ビューティフル・ドリーマー』は、オタクカルチャーの不健全さに、免罪符を得ようとする、言い訳的な作品にも捉えられる。80年代は、難しいことを言っている人の話は、とりあえず聞いておこうという風潮があった。今ではそんな人は、話の長い老害として一蹴されてしまう。学校の成績は優秀なのに、普通の人ができる判断力が著しく低い人の象徴。カルト教団に心酔して、反社会的な大事件を起こしてしまうような高学歴者の感覚。このアニメ映画がカルト的人気があるのも頷ける。危ういからこその魅力。
精神を病んだ温泉マーク先生や、永遠の命を持つサイコパスおじさんの夢邪鬼(むじゃき)たちの長話の講釈は、うるさいけど聞いてしまう。聞いてしまう自分こそがかなりヤバい。そこに惹かれてしまう感性が危うい。リビングで、アマプラでのこの映画の配信を観ていたのだが、自分以外の家族の反応は、お世辞にも芳しいものではなかった。台詞がうるさいって。喋り出したら止まらない感覚は病的なもの。精神疾患の頭の中を映像化できたのがこの映画なら、この奇怪さこそ名作たる所以。いまリブート版の『うる星やつら』が放送中だけど、そちらは原作にかなり忠実。この押井守監督の独壇場となった映画版『うる星やつら』は、原作者の高橋留美子さんからは当時「私の作品ではない」と言われてしまったとか。
原作には「ラム親衛隊」みたいなモブキャラは存在しない。脇役はあくまで脇役。押井守監督作品常連の千葉繁さん演じるメガネは、原作ではサトシに当たるキャラクター。このモブキャラはあくまで引き立て役で、個性がちゃんと描かれることはない。逆に押井守監督作品では、こういったモブキャラこそが重要だったりする。80年代のアニメ版当時は、原作連載も同時進行だった。アニメ放送が連載に追いつかないために、水増しエピソードをつくらなければならない。今で言うアニオリというやつ。押井守監督のアニオリは、原作テイストとは異なってはいるけれど、不気味で面白い。「ラム親衛隊」という、クラスメイトのガールフレンドの推し活をするという行為は、なんとも惨め。ずっと届くことのない一方通行の独りよがりな想い。
原作に忠実な現在放送中の『うる星やつら』を観ていると、ダメ男に見えていた主人公・諸星あたるは、スクールカーストでは上位のイケてるグループに所属しているのがわかる。あたるはダメ男にこそ見えるけど、すでに美人の彼女がいるだけで、世間体は良くなってしまう。だからこそスクールカーストの最下部に値する「ラム親衛隊」こそ、監督の興味の向きどころ。誰も望んでいない博識を、とうとうとひけらかす。オタク文化を正当化させんがため、如何に小難しい言い方でマウントを取らんとするか。なんとも嫌らしく、なんとも好ましい。
この映画を10代の多感な時期にハマってしまったら、そりゃあロクな人生にはならないだろう。当時年上だったあたるやラムたちの青春模様を、老成した今観直すと感じるものが変わってくる。水族館でひとりで寂しそうにしているラムをみつけて、夢邪鬼は恋をする。突然自分の身の上話をして、弱っているラムに良からぬことをけしかける。
出会ったその瞬間に、自分の話ばかりしだす奴はヤバいに決まってる。相手の気持ちなんて、微塵も分かろうとしないおじさんの戯言。きっと言ったその場で、本人が無責任に忘れてる。主人公のひとりであり、『ビューティフル・ドリーマー』その人であるラムの心情には、制作者たちはあまり興味がない。相手の様子もみないで、自分語りをするような人物に関わっても、百害あって一利なし。実際ならそんな奴からは距離を取った方がいい。
ラムちゃん、どうかそんな奴の話は聞かないで。でもそうなるとこの映画が始まらない。実のところ、自分の話を女の子に聞いてもらいたい、素直になれない哀れな男たちの映画なのかも知れない。
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