『トーチソング・トリロジー』 ただ幸せになりたいだけなのにね
最近日本でもようやく意識が高まりつつあるジェンダー問題。オリンピック関係者の女性蔑視発言で、海外から批判を集めたのも要因のひとつ。いままで国内では許されていた考え方も、世界標準で捉えたら後進的なものであることが証明された。蓋をされていた問題が、いまこの機に表沙汰されたことになる。多くのマイノリティが、グッと口を押さえて我慢していたせいもあってか、いささかここのところ、メディアでのこの問題の取り扱われ方が加熱して、ヒステリックになってきてるのも否めない。煽るような報道。これはこれで問題でもある。こんなときこそ冷静に、正しく伝えていく必要性。
1988年のアメリカ映画『トーチソング・トリロジー』。元々の原作は、トニー賞を受賞したハーヴェイ・ファイアスタインの同名戯曲。ハーヴェイ・ファイアスタインは、映画版の脚本も手がけ、主演もしている。ご本人自身がゲイだとカミングアウトしており、半自伝的な作品とされてる。映画版も彼(彼女?)が、主演を続投している。自身の半自伝的作品を、自身で演じているのだから迫力だ。
ハーヴェイ・ファイアスタイン演じるアーノルドは、ゲイバーでドラァグクイーン・シンガーを生業としている。トーチソングとは、失恋ソング、横恋慕ソングとでも言おうか。作品はアーノルドの人生の節目の三幕構成(トリロジー)を綴る。
映画公開時の1988年頃では、LGBTQの意識は薄く、日本ではまったく理解のされない人々のことだった。どこか遠くの世界のファンタジーのように感じていたことだろう。
現代になってようやくLGBTQやMeeToo運動、Black Lives Mtterなどで、世間から追いやられていたマイノリティの人々の人権について考えることが多くなってきた。そのことについて発言する人も増えてきた。日本人はそういった差別問題にはとことん愚鈍。他人事として無視し続けていた。でも、ひとたび日本人が海外へ出たら、アジア人として差別の対処とされる。アジアン・ヘイトにいつ巻き込まれてもおかしくない。これからの社会、日本の島国だけで商売が行き届くなって行く中、国際意識が低いままでは、経済的にも立ち行かなくなってしまう。
「普通」とひとことで言うけれど、果たして「普通」とは一体どういう状態なのか。どうやら「普通」とは、何事も問題がなく、家族の誰もが健康で、経済的に豊かなことを言うらしい。そんな完璧な家、果たして存在するのだろうか。世間で言う「普通」から逸れること、目立つことを恐れるあまり、どこの家庭も、自身の問題をひた隠しにして生きていく。それは生きづらい世の中。誰だってどこかの場面でマイノリティに属してしまう。「普通」の概念のアップデートが必要。
主人公のアーノルドは、普段から化粧をして街を歩く。彼(彼女)のアイデンティティは女性。化粧も自我の延長上、美意識のひとつ。でも、肉体がおじさんで化粧をして、人通りに出て行くことはとても危険。「私はゲイです」と、大きな看板を背負って歩いているようなもの。自分に近づいてくる者の目的がわからないので、とても怖い。そこで「そんな目立つ化粧をするから悪いんだ」と言うのは、無粋で無神経な意見かもしれない。化粧をすることは、アーノルドのアイデンティティに関わること。危険は承知の上だが、止めるのも自身を否定してしまうこと。アーノルドの心情を想像すればするほど、息苦しくなってくる。
アーノルドに近づいてくる男たちは、化粧をしていないのも特徴的。ある者は、女性も男性も恋愛対象で、見た目は「普通」の男。普段は、なにも問題のない男を演じきっている。己のアイデンティティをさらけ出して生きているアーノルドに比べると、なんともしたたかに生きている。ほとんどの人が、そうやって自分のマイノリティ要素を、ひた隠しに生きている。
アーノルドの両親は、同性愛を病気と勘違いしていて一向に認められない。男女の恋愛ができないのは、本人の努力が足りないのだと、アーノルドを責める。愛ゆえの過干渉なのだが、それでお互いが苦しいだけなら毒親になってしまう。距離をとるのがいい。心理学が当時よりも浸透した現代なら、その答えに辿り着く。保守的なユダヤ系という家系も、多様性を受け入れられない要因ともみられてしまう。
ただ、どんな宗教下や文化圏のもとでも、知識があれば、乗り越えていけることは増えてくる。アーノルドのご両親も、アーノルドがゲイであることを受け入れて、その知識を得ようと努力したなら、もっとお互いを傷つけ合わなくても済んだはず。観ていてなんとも悔しく、やるせない気持ちになる。
映画ではマシュー・ブロデリックの名前がいちばん最初に出てくるから、あたかも彼の主演映画のようにみえてしまう。マシュー・ブロデリックが、ハリウッドでは有名だったので、宣伝のために彼だけ大きく扱われるのも、当時の制作の大人の事情。
同性愛を憎む思想のホモフォビアが、同性愛者たちを暴力で排除しようとする姿が恐ろしい。このレイシズムの凶暴性は、同性愛者も人種差別も、女性蔑視やルッキズムも、アジアン・ヘイトも、心理的には同じエネルギー。いま欧米では、街を歩いているだけでもアジア人が暴力を振るわれる事件が増えている。コロナはお前たちが持ち込んだと逆恨み。暴力性に走る心理には、思想的なものはない。暴力先にありき。移民だからとかアジア人だからとか、その時のトピックとして攻撃しやすいところを狙ってくる。むしろ暴力性に向かう心理の根源に向き合わなければ、一向に差別的暴力行為はなくならない。
大なり小なりの差別は、誰しも感情があるので払拭することは難しい。そこで個々の倫理観や自分で考える力が試される。差別心がムクムク浮かびあがったとき、いかにその感情と仲良く穏便に付き合っていくか。「差別を皆無にする」のは困難でも、「差別心を制御する」のは、自制の技術でなんとでもなる。それが知識や知恵というもの。人間らしい思考。
アーノルドの人生は、なぜこうも波瀾万丈なのだろう。多くの人が、ここまでドラマチックな人生を送ることはない。むしろ人生になにも起こらないと嘆く人もいるだろう。アーノルドの困難は、彼(彼女)が、幸せな人生を送りたいと必死で努力して、足掻いている結果。自分の運命を早々に受け入れて、それでも幸せになりたい姿。
同性婚や夫婦別姓など、日本ではなかなか許されていない問題。これらを反対する側の意見が、いまいちピンとこないのも特徴的。「前例がない」とか「それを許してしまうとどうなるかわからない」と言われても、実際それで困っている人たちがいる。古い慣例に囚われていると、どんどん日本の社会が後退していく。方法は現状維持だけで、他に手がないとうそぶくのでは、衰退が目に見えている。もう多様性を無視できない世の中になっている。無関心ではいられない。マイノリティを迫害しない社会を目指す。明日のマイノリティは自分かもしれないのだから。
この映画は、公開当時はLGBTQの当事者たちへのエール的存在だったかもしれない。「ゲイが主人公の映画か、自分はゲイじゃないから関係ない」で終わらすことができない。自分自身のマイノリティ、「世間から迫害されそうな要素」を、アーノルドのそれと照らし合わせてこの映画を観てみれば、この映画がただの問題提起で済まされなくなってくる。今ならコロナ禍が原因で、世界中に蔓延しているアジアン・ヘイトは、我々日本人にも切実な差別問題。そうなると『トーチソング・トリロジー』は、恐怖映画だ。
世の中で起こっているさまざまな問題。それを知るきっかけを、映画がもたらしてくれることもある。エンターテイメントであっても、興味が湧いたことは自分で調べて深めて考えてみる。情報過多な現代社会、無意識のうちに強引に清濁併せ飲まされて、腹一杯になってしまって終わるのは危険。自分で考える能力が、本当に問われていく社会になってきた。より良い世の中に向かうための議論は、これから必要になってくる。わかり合えなくても、そこにいてもいい。みんな違くて、みんないい。
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