『太陽を盗んだ男』 追い詰められたインテリ
長谷川和彦監督、沢田研二さん主演の『太陽を盗んだ男』を観た。自分の中ではすっかり観た気になっていたが、これが初見だった。自分が小学生のころ、森田芳光監督で沢田研二さん主演の『ときめきに死す』をテレビで観ていて、それがトラウマレベルで刷り込まれていた。なんとなくこの2作品が混同してしまっていた。そういえば鈴木清順監督の『夢二』では、この『太陽を盗んだ男』の長谷川和彦監督は、沢田研二さんとともに俳優として出演していた。周辺作品は観ていたが、肝心の『太陽を盗んだ男』を見逃していた。
『オッペンハイマー』が日本で公開されたとき、この『太陽を盗んだ男』をSNSで取り上げている人が多かった。被爆国日本でも、原爆をつくった男の映画があるよと。それがキワドイ内容で面白いのだと。
1979年製作の『太陽を盗んだ男』。中学校の理科教師が、プルトニウムを盗んで原爆をつくる。そして国家を脅迫するという内容。映画の冒頭、皇居の前でバスジャックが起こり、その犯人が「天皇と話したい。戦争で息子が死んだことが納得できない」と叫ぶ。現代なら絶対扱えない内容の映画。45年前でもキワドイ映画だろう。当時はシンプルにセンセーショナルを狙う意図で、過激な内容にしたのかもしれない。今ではあり得ない破滅的創作感覚。『太陽を盗んだ男』は、観た人に忘れられなくなるくらいのパンチの効いたトンデモ映画であることは間違いない。
いち中学教師が、拳銃を盗んだり、原子力発電所に忍び込んでプルトニウムを盗み出したりする。いっけん荒唐無稽に感じるので、当時はフィクションと言い訳ができた。そんなことが実際にできるはずはない、絵空事と笑える余裕もあった。事実は小説よりも奇なり。現代となって、マンガのよう事件が現実に多発するようになってきた。この映画で描かれる犯罪の現実味が帯びてくる。今ではまったく笑えなくなってきた。
沢田研二さん演じる主人公・城戸は、盗んだプルトニウムでコツコツと原爆を自宅でつくっていく。そのプロセスの描写が執拗に丁寧。理論や理屈で説明するのではなく、ただただ黙々と制作作業を再現している。作中でも、高官たちが「大学生レベルの知識とプルトニウムがあれば、個人でも原爆をつくれてしまう」と言っている。城戸が原爆のつくり方を中学の授業で講義している。黒板に書きめぐらされた数式は、もしかしたら実際の原爆の数式なのかもしれない。映画なのでとことんビジュアル的に説明する。近年の理論理屈が先行する世の作品の流れからすると、多くを語らないところがかえって説得力を増してくる。今この瞬間、城戸のような怪しい研究を、日本のどこかの誰かがやっているかもしれない。身近な恐怖が湧いてくる。
なんだか映画の劇伴が聴き覚えがある。庵野秀明監督の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』で使われていた曲だ。そうだよね庵野監督、この映画好きだよね。城戸は「この街はとっくに死んでいる」と言っている。このセリフも聞いたことがある。押井守監督の『機動警察パトレイバー2』のテロリストの言葉だ。多くの日本アニメに影響を与えているこの『太陽を盗んだ男』。自分の知っている作品のルーツに辿り着く。『太陽を盗んだ男』、侮れない。森田芳光監督で同じく沢田研二さん主演の『ときめきに死す』も、裏組織の犯罪者の話。『太陽を盗んだ男』があっての『ときめきに死す』の企画だったのだろう。
ヤバすぎる映画の内容。城戸はどうしてここまで危険な行動をするのだろう。犯罪の動機がすぐ浮かばない。これはけしてプロットが甘いわけではない。城戸は単純に刺激を求めているだけの人なのだろう。死んでるように生きている城戸は、命懸けのゲームをすることで、生きることを感じたかった。そして命懸けで遊んでくれる仲間が欲しかった。究極のかまってちゃん。菅原文太さんが演じる山下警部も、初めは仕事としんどそうだが、いつしかこの命懸けのゲームを楽しんでいるようにもみえる。菅原文太さんがめちゃくちゃカッコいい。生死を賭けた鬼ごっこが始まる。途中から池上季実子さん演じるラジオパーソナリティ・零子ことゼロもこの鬼ごっこに参戦する。2人の男の追いかけっこでは、あまりにホモソーシャルなので女性キャラも必要か。ゼロも刺激を求めて、わざわざこの危険な男たちに近づいていく。ゼロがどちらの男につくかも見せ場になっている。自身をゼロと呼ぶ彼女もかなりイタい。やがて男女の逃避行となる。アメリカンニューシネマさながらの絵面。エンターテイメントとして、観客を楽しませようとする仕掛けがいっぱいだ。
映像的に特に楽しいのは、沢田研二さんの変装ぶり。沢田研二さんの演じる城戸が、犯罪の足をつけないために、あちこちで変装して行動する。ときには老人、ときには黒装束、いちばん楽しいのは、国会議事堂に忍び込んだとき。全身青いワンピースの妊婦に化けている。帽子で顔を隠しているものの、実際に顔が見えても男性には見えない。『ミッション・インポッシブル』のトム・クルーズの変装よりリアリティがある。あちらはCGで別人に化けているが、こちらは沢田研二さん本人がすべて演じている。仕草や体型で、沢田研二さんとはわかるものの、パーソナリティはその化けたキャラクターそのものになっている。ただ、どの変装も怪しい雰囲気はプンプン。沢田研二さんのコメディセンスが滲み出る。もちろん映画的な大袈裟な演技もあるからだろうが、もし実際に押さえた演技でこのように変装されてしまったら、誰が誰だかバレないのではないかと思う。あの頃の沢田研二さんはカッコ良かった。現在は、まるでケンタッキーフライドチキンのおじさん、カーネル・サンダースみたいな風貌になっている。
この映画では皇居前や国会議事堂、新宿の実際の街をロケーションに撮影している。そのほとんどがゲリラ的に撮っているとのこと。ときには逮捕も覚悟の上での撮影だったらしい。その緊張感が映像から伝わってくる。女装の沢田研二さんは、もっとじっくり見たかった。でも、あの張り詰めた空気感は演出されたものではないので、そこにスリリングな面白さも感じる。ゲリラ撮影だったからこそ、あの時代の東京の空気感を映す記録として、この映画の価値はとても高い。
登場人物たちの後先考えない破滅的な行動。普段覇気がなく、突然激しく爆発する。元気のない当時の若者像。いわゆる「しらけ世代」というやつなのだろう。その世代世代で、若者を揶揄する言葉が生まれてくる。自分たちが若い頃は「ジェネレーションX」だとか「アダルトチルドレン」とか呼ばれていた。その後も「ゆとり世代」とか「Z世代」とか、呼称こそはその年代で幾つも存在する。そんな言葉を生み出すのは、たいていその時代のおじさんたち。若者を呼称する分断の言葉は、おじさんたちと若者たちとの壁を正当化するための詭弁の言葉。時代を振り返れば、すべて同じ現象。中高年が若者を理解できず、若者はわかものですっかり疲れてきってしまっている。年寄りが自分の若かりし日の感情を忘れてしまったことに、大きな原因がある。厳しい日本の教育を受け、社会で管理されやすい人物に自己演出していく。無個性であることで、生きやすさを手に入れられる。なんとも皮肉。映画はそのモヤモヤ感を払拭したい願望で炸裂する。エンターテイメントは、ガス抜きの役目も果たしている。
たとえ原爆が個人でもつくれたとしても、実際につくる人はいない。可能だからといって何でもかんでも挑戦するはずもない。それだけで寿命が縮まるし、引き止まるのが理性というもの。日ごろのモヤモヤした気分を発散させるガス抜き効果は創作物語にはある。エンターテイメントは、頭の中にある毒素を浄化させる力。この映画で描かれる犯罪は、具体的な動機や目的のない愉快犯。能力の高い人がおかしくなってしまったら、もしかしたら国家を転覆させるような犯罪を犯してしまうかもしれない。
この映画を観てすぐさま元首相銃撃事件を連想してしまう。ひと昔前なら、荒唐無稽なB級C級映画のアイデアにしかならないようなことが実際に起こってしまった。犯罪を犯した加害者は、有能な人だったのが最大の皮肉。生活苦に追い詰められた有能な人物が、その能力を抗議の名分で発揮させる。生活が苦しくなると、人の心は荒む。死なば諸共の計画的犯罪。それに対する綿密な計画と努力を注がれてしまうと手に負えない。理性的な犯罪計画。加害者の行動が冷静なので、本来なら何度も踏み止まる機会はあっだろう。それでも犯罪に至ってしまった。能力がある人をそこまで追い込んだのなら、社会がそこまで堕ちている現れでもある。
いまネットの中では、弱者を虐めて喜ぶ風潮がある。自分より弱者を貶めても、百害あって一利なし。そんなことをして目先のウサを晴らしても、それは投稿者が緩やかに自殺をしているだけのこと。今が苦しいなら、上にものを申していくのが本来の筋道。言葉を含めて暴力的にものごとを訴えるのは犯罪。日本には選挙制度があるじゃないか。市民はそこで意思表示していけばいい。実のところそれくらいしかできないし、それがいちばん世の中をより良く生きやすくできる方法なのかもしれない。
ちょうどこの映画を観たのが東京都都知事選の日だった。なんだか感慨深いものがあった。「この街は死んでいる」と劇中で言われて45年。死に続けた街は、まだ終焉を迎えることはなく緩やかな衰退を続けている。要するに45年間、何も変わらなかったということ。ちっとも良いことではないのだろうけれど、『太陽を盗んだ男』は45年の時代を経ても、新しい感覚の作品のまま。今の日本ではここまでアグレッシブな娯楽作品はつくれないだろう。本来なら、後世に語り継がれる作品は、もっと希望があるものが多く存在していてほしい。まだまだ暗い世の中が続いていくのだろうか。まったくもって楽しくないな。
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