『T・Pぼん』 マンスプレイニングはほどほどに
Netflixで藤子・F・不二雄原作の『T・Pぼん』がアニメ化された。Netflix製作となれば、潤沢な資金のもとの作品づくりが有名。ケチ臭い日本の製作状況とは話が違う。ある程度のクオリティが初めから約束されている。それは製作費そのものだけではなく、作品に関わる関係者の待遇の確保も約束されている。
夢の仕事に就くのだから、賃金なんてなくてもいいだろ。駆け出しの下働き時期に、給料が欲しいなどとは贅沢だ。一人前になれば、逆転して取り返せる。……そんなうたい文句が、自分が映像学生だったころの求人項目には含まれていた。ブラック企業なんて言葉がまだ存在しないころ。今と物価が違うとはいえ、休日なし残業多し、家に帰れないのが状態化、それでもやりがいがあるから大満足の月5万円給料。そんな制作会社の求人募集は普通にあった。学校を出て就職しても、その待遇では生活などできるはずもない。社会経験のなかった自分にだってわかる。そんな就職先しかない業界。自分が映像学校を中退する理由には充分だった。
日本のアニメは、海外からも以前から注目されていた。企業がアニメ製作に投資して失敗したとしても、このジャンルには最低限の客層がある。大損することはないと、不景気な日本でも言われていた。それでも国内で作品製作に出資するような企業はほとんどない。大企業は絶対冒険しなくなってしまった。そうなるとチャレンジャーは、中小企業か個人しかなくなってくる。大企業が微動だに動かない姿を見て、小さな出資者も危機感を感じて身を引いてしまう。このまま日本のアニメは衰退してしまうのだろうか。そんなときに現れたのがNetflix。初めは『攻殻機動隊』で有名なスタジオIGが提携を結んだ。この『T・Pぼん』を制作したスタジオのボンズも、今でこそ『僕のヒーローアカデミア』で有名だけど、一度のれんをおろしたような記憶がある。ボンズが『T・Pぼん』をつくるなんて、なんともダジャレみたい。
なんでも2024年は藤子・F・不二雄さんの生誕90周年記念とか。『T・Pぼん』はその記念作品とのこと。そういえば同じ「フジ」つながりで、富士フイルムも起業90周年らしい。偶然だろうけど。
Netflix版の『T・Pぼん』、やはり丁寧につくられている。タイトルにある「T・P」とは、タイムパトロールのこと。同藤子・F・不二雄さんの代表作『ドラえもん』の大長編シリーズで登場する組織の名前。タイムマシンができて、時間旅行が可能になった未来の時代から、過去に遡って時代改変をする者がいないか取り締まる組織がタイムパトロール。昭和っぽい現代に生きる中学生・波平ぼん(なみひらぼん)が、ふとしたきっかけからタイムパトロールの一員となって、時代旅行をしていくというのが基本プロット。
「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないけれど、なんらかの些細な作用で、歴史が好転したり悪化したりもする。過去の人物で、そのときに亡くなっていない方が、人類の歴史にプラスになるという人物がいる。タイムパトロールは、その時代に馳せ参じて、その人のそのときの命を救うというのが使命。ただ単純にその人が将来、偉人になるというわけではなく、たまたま生き残って石を蹴っただけの効果が、巡り巡って人類の歴史を変えてしまうという、本人すらも意識しないバタフライ効果というのが楽しい。
きっと藤子・F・不二雄さんは、この『T・Pぼん』を書いたときは、教養作品を目指していたのだろう。学校の歴史の授業では、文字だけでサラッと流されてしまう事柄でも、多くの血が流れるような大事件だったりする。「明智光秀失脚」とひとこと言われても、そこに多くの人生が翻弄されている。その歴史の中で見えなくなる小さな個人の人生。具体的なエピソードやキャラクターを配することで、ひとつひとつの歴史を紐解いていく。勉強になる娯楽マンガ。
今回のアニメ化にあたって、各話ごとに時代考証の先生がついている。原作連載当時と現代では、新しい発見などで歴史の解釈が変わってしまっていることもある。原作よりもより深く歴史に食い込んでいく。
歴史上で命の危険に晒される市政の人を救う。生死に関わる場所へ向かうということは、厳しい時代に飛び込んでいくことを意味する。物語を盛り上げるために、センセーショナルな時代が選ばれる。人が多く死ぬ時代ということは、人類にとって黒歴史ということでもある。ショッキングな史実が、どんどん描かれていく。歴史の授業で知ってはいても、魔女裁判なんかのエピソードは、鑑賞後かなりへこんでしまう。
こんな過酷な現場へ毎回向かうタイムパトロール。ときには自分も一度死んでしまったりもする。時間巻き戻しの技術があるから大丈夫。でも本人は死んだ記憶も残っている。ここで生じるタイムパラドックスは、昭和時代の原作なので大目にみたい。でもタイムパトロール隊員たちは、悲惨な死に方をする人たちをいつも見続けて、PTSDにならないのかといらぬ心配をしてしまう。まあ、タイムパトロールには特殊な精神安定の薬があるとか、いくらでもつじつまは合わせられる。主人公のぼんたちは、あくまで読者を歴史に導く語り部でしかない。
現在シーズン2まであるこのアニメ。驚いたのはシーズン1と2とでは、ぼんのパートナーとなるヒロインが交代してしまうところ。これは原作の通りなので、アニメスタッフの意図ではない。前半はぼんを指導する先輩のリーム。彼女はアメリカ人。会話する言語の問題はとりあえず置いておこう。後半はぼんと同級生のユミ子。連載当時、外国人のリームが不評だったのか、少年マンガではやはり男の子が女の子をリードする先輩でなければいけなかったのか。現代では予想もつかない理由で、主役格交代したのではないだろうか。
主役格が突然替わると聞いたので、自分はシーズン1を鑑賞後、なかなかシーズン2を観る気になれなかった。なんだか大人の事情が見え隠れして、興醒めしていた。重い腰をあげてシーズン2を観てみると、驚くほどヒロイン交代に違和感がなかった。今のマンガやアニメのキャラクターは、ちゃんと心理学も踏まえて人物造形をしている。むかしのマンガやアニメは、なんとなく男の子と女の子がいればいいような、デフォルメされた人物像のキャラクターづくりがされていた。今ほど観客も、マンガやアニメで人の心の機微を求めていなかった。
それに『T・Pぼん』は、SFや歴史ものというだけでなく、職業もののジャンルにもあたる。職場で円滑に仕事をするには、感情的にならない方がいい。それにそもそも本作は、壮大な歴史の悲劇を描いている。そこにキャラクターの深掘りまでされてしまっては、観客は情報過多で、なにをみせられているのかわからなくなって混乱してしまう。主役格の人物描写はこれくらいさっぱりした人物像でもいいのかもしれない。
このアニメを観ていてまず気になるのは、タイムパトロール隊の女子の制服。身体を張った危険な任務が多いのに、ミニスカートにノースリーブ。動きづらいに決まってる。未来の技術で、ちゃんと危険性はカバーされているというのはとりあえず置いておこう。これはまさに本作が少年マンガというのもあって、男目線の肌の露出の高い制服になっているのだろう。ジェンダーの差別をなくしていこうとしている現代では、なんとも時代錯誤なデザイン。でも原作がこのデザインなのだから、大幅に変更してしまうと、もうそれは『T・Pぼん』ではなくなってしまう恐れもある。
新米隊員だったころのぼんを通して、観客の我々もタイムパトロールとはなんぞやと知っていく。先輩のリームが、ぼんを通してさまざまな歴史を知っていく。作中での知識の伝え方が上手い。
ぼんが先輩になったとき、男子としてはちょっと辛い立場になる。ジェンダーフリーの価値観がない昭和時代。男は女を守ってなんぼのモノ。声なき圧を昭和時代の少年は感じていた。でも、今もむかしも女子はそこまで男子に期待していない。その圧があってかなくてか、ぼんはユミ子にマウントを取ろうと必死になる。これがなかなか痛々しい。先輩後輩とありながら、ぼんはユミ子を「ユミ子さん」とさん付けで呼び、ユミ子は「ぼん」と呼び捨ててる。心理的には上下関係が逆転している。ぼんがユミ子にマンスプレイニングしようとしても、ユミ子はサラッと流している。なんだかそのやりとりがリアル。嗚呼、頑張れぼん。
原作にはないという、先輩のリームの再出演。後半は歴史ものというよりは、ガチなSFになっていくのも面白い。量子についての解釈は、現代と昭和ではぜんぜん違う。SFものでの時間旅行の概念も、どんどん変わってきた。昭和の時間旅行の感覚を、現代的な解釈で補完していく。なんだかワクワクしてしまった。
それに先代と今のヒロインが邂逅するというのもスリリング。なんだか元カノと今カノが出くわすみたい。リームもユミ子も、頭の回転が早くて行動力がある。しっかりしているようでいて、ドジだったりもする。愛すべきヒロイン像。あまりにリームとユミ子のパーソナリティがそっくりなので、キャラが被ってしまう。実のところそのスリルがいちばん大きい。キャラクターデザインの見た目こそは違えども、リームとユミ子は性格はほとんど同じ人。そこでもパラドックスが起こってしまう。その予想外のハラハラも面白かった。つくり手はそこは意図していないだろうけど。
シーズン3も続いていけそうな雰囲気の本作。監督もその可能性は否定していない。歴史を辿る旅は、原作がなくともいくらでも浮かんできそう。完全にオリジナル展開になるリームとユミ子のダブルヒロインなんて展開も面白い。
日本のアニメやマンガは、エロと暴力描写は欠かせない。昭和時代はまだ新しいジャンルだったアニメやマンガ。メディアもどう扱っていいかわからず、無法地帯だった。アニメやマンガは、カートゥーンの性質上、小さな子どもも観てしまう。あまりに過激な描写を幼いうちから観てしまうのはやはり問題。
「小さなときに過激なアニメを観ていたけれど、全然問題なかった」と言う人がいるけれど、はたして本当にそうなのだろうか。そんなことを平然と言ってのける人は、おそろしく自覚がないのか、わかっているからこそうそぶいているだけなのかもしれない。
自分はできることなら、小さなときに過激な作品は観たくはなかった。無意識のうちに、相手の痛みに無頓着となったり、ミソジニーマインドが植え付けられてしまったような気がする。フィクションと現実の折り合いがつかなくなって、厨二病が常態化してしまう。世間とのものの捉え方のズレが生じてしまう。これはある意味、脳障害。もし自分がタイムトリップできるのなら、子どものころの自分に「アニメはあまり夢中になるな」と助言したいくらい。
藤子・F・不二雄さんは『T・Pぼん』を連載した当時は、子どもたちに向けた教養マンガを目指していたと思う。でもこの作品を現代の感覚でアニメ化すると、PG12以上の大人向けアニメとなってしまう。エロと暴力が見せもの小屋のように陳列された世界。作者の意図とは違う方向へと作品の価値は向かってしまった。時代と共に倫理観が変わってきていることも興味深い。
『T・Pぼん』は、可愛い顔をした残酷物語。残虐な世界史を巡る旅。それなりに覚悟がいる。あまりに毎回衝撃的な内容なので、なかなかサクサク先に進められない。歳をとったせいか、ここまでデフォルメされた描写であっても、鑑賞後はメンタルが参ってしまう。それは自分が歳をとって、虚構の世界でも、現実のことがらに変換できる人生の引き出しが増えたからもある。無神経でサイコパスな方がエンターテイメントは楽しめる。『T・Pぼん』は、子ども向けのアニメではないけれど、むしろ子どものころの方が、アニメと割り切って観れていたのかもしれない。どちらにせよ、現代の感覚では浮かんでこない作品企画。『T・Pぼん』は、さまざまなパラドックスを孕んでいる。
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