NHKでやっていたディズニーの
舞台裏を描いたドキュメンタリー『魔法の映画はこうして生まれる』をみた。
『ベイマックス』の日本公開を前にしていた頃だったので、
この新作のメイキングを中心に、取材されたものだった。

ディズニーやピクサーのアニメは、
集団で作られるので、
誰が監督というイメージは低い。
せいぜいジョン・ラセターくらいしか
名前があがってこない。

アメリカのエンターテイメントは
リサーチを充分にして、
大勢で話し合いながら脚本を作っていく。

このドキュメンタリー番組でのシナリオ会議は、
スタッフ全員が自分の人生観や
アイデンティティーを駆使して
どうやったらエモーショナルな脚本になるか
白熱討論していた。

とてもカッコよかった。

日本のエンタメは、
作家主義をメインとしている。
これは宮崎駿監督のような
絶対的な天才を中心に
その監督個人の表現に従って
大勢のスタッフが動くというスタイル。

だからこそ日本の作品は個性的でもある。

ちょっと前のネットの記事で
作家主義がいいのか、
集団で構築するのがいいのか
が問われていた。
『ベイマックス』を見て日本のクリエイティブは完全に死んだと思った
映画『ベイマックス』に見る秀才たちの限界

日本では大友克洋監督の
ライフワーク『AKIRA』のヒットや、
宮崎駿監督の作品は、
新作を発表すれば必ず大ヒットしてしまったがため
この作家主義幻想が定着してしまったのだと思う。

日本は本当に個人の頭の中だけで
莫大な制作費のかかる
映画が作られているのだろうか?

答えはNO!!

ディズニーやピクサー作品では
脚本家が大勢クレジットされている。
日本映画はせいぜい1人か2人。

でも作品の設計図である脚本を
そんな少人数でなんとかすることはない。
日本だってシナリオ会議はある。
数人のライターが集まって、
作品のアイディアを出し合っている。
作品にクレジットされない作家が
何人も存在している。

それではなぜ日本は
作家主義に走っていったのだろう。
ちょっとした推測。

自分が思うに、ベテランの作家先生は
カリスマ性や政治力を持っていると思うのです。
結局その作家先生が、
シナリオ会議では独演会になって
終わってしまうのでしょう。
説得力のあることを彼らは語るので、
他の若手作家は何も言えなくなってしまう。

もともと討論が苦手な日本人。
でも技術は世界標準。
ベテラン先生のイマジネーション実現の
力強い片腕にはこれでもかとなれる。

ただ、まずいのは作家主義になって、
作品がおかしな方向へ行ったとしても
だれも意見や文句を言わなくなってしまうこと。

肩書きのある人に意見を言うなんて
滅相もないという、
日本の縦割り社会が、
悪く作用してしまった場合は悲劇。

作家先生だって人間。
失敗や間違いもするのです。

己の人生論をぶつけながら
作品制作をしているアメリカスタッフの
カッコ良さと比べると、
日本の制作会議はちと地味かもしれない。

作家主義が良いとか悪いとかではなく、
自分で考え、責任もって
発言していくことが出来なければ、
これから何を作っても
良いものは出来ていかないと思います。

日本は自然と作家主義で作るのが
いちばんやりやすかったのでしょう。

でも本来、クリエイティブは
カッコいい仕事のはずだったので、
このままでは……。